・01 教室の扉が開かれた瞬間、柚子は少しだけ後悔した。 視線。人の声。椅子の音─家とは違う情報量に、頭がじわじわと痛くなる。 「よっす」 先に教室へ入ったハルカが、適当に手を振った。 その声に反応したクラスメイト達が、一斉にこちらを見る。 その中から、白っぽい髪の女子が二人の前に立った。 「おはよ、井赤っち。秋元っち」 人懐っこい笑顔を浮かべながら、彼女は軽く手を振った。 柚子は反射的にハルカの後ろへ隠れた。 「馬頭もおはこにゃぱちりんこ〜」 「おっ、おっ、お、お、お、おはよ…ござす…」 「う〜ん。二人とも変な挨拶だね」 柚子は吃りながら小さく会釈したものの、正直この女の名前は思い出せていなかった。 「うち、馬頭現亜(ばとう りあ)ね。話したことあったよね」 「ああああ…あります…ぅ…」 聞き返す前に言ってくれて助かった…柚子は内心そう思った。 「なんか安心したわ〜。二人とも揃って休み増えてたからさ」 「そー?」 「我々には出席日数というものがありましてぇ…」 なんとも思ってないハルカに、リアは呆れたように笑う。 だがその時、教室の空気が少しだけ張った。 廊下側から、規則正しい足音が近づいてくる。 「風紀委員である。今日は話をしに来た」 新撰組かなにかのような一声で、ハルカたちのいる教室の空気がピタッと凍りつく。 「最近、校外の廃墟へ不法侵入している生徒がいるらしいな」 教室の入口に立っていたのは、腕を組んだ声の低い女子生徒だった。 長い銀髪、鋭い視線、膝下までしっかりと伸ばされたスカート、風紀委員の腕章。 そして、見るからに厳しそうな雰囲気。 「近隣住民から苦情…とまではいかんが、意見もも来ている。軽い気持ちで済ませていい問題ではないぞ」 「うわ、出た」 リアが小声で呟く。 「だ、誰ですか…?」 「紫葉杏子センパイ。厳しいって噂よ」 小声で話す柚子に、噂好きなリアは即答する。 「お、それってさ〜」 真顔のまま僅かに声を上擦らせるハルカに、二人は嫌な予感がした。 止めるより先に、ハルカが口を開く。 「あたしこの前、N区の廃ホテ─むぐっ」 柚子は反射的にハルカの口を塞いだ。 「〜〜」 「しっ、しーっ!!」 教室中の視線が突き刺さる。 柚子はその視線をキョロキョロと確かめると、顔を真っ赤にしてふらふらと自分の席へ戻る。 そのまま机へ突っ伏し…いや、半分くらい机の下へ潜り込んでいる。 「っていう感じでさ〜。急に変なの出てきてびっくりしたんだからも〜」 「全然黙ってない…」 リアが乾いた笑みを浮かべる。 杏子は腕を組んだまま、じっと二人を見下ろした。 「その素直さ、度胸は認めてやろう」 静かな声だった。 「では放課後、風紀委員室へ来てもらおうか」 柚子の肩がびくっと震える。 「も、もしかして私も…ですか……?」 「あらら」 リアはちょっと面白そうに様子を見ている。 「当然だ」 「ぉひゅ…」 机の下から、柚子の死にそうな気配だけが漂っていた。 一方ハルカはきょとんとしていたが、状況を理解してニヤつきだす。 「なんだよ二人とも。悪いことやったの?ま、あーしは部活やったら先に帰らせてもらうよ」 「井赤っちのことだよ?」 ハルカに脇をこのこの〜とつつかれたリアは、呆れた顔でいちおう突っ込む。 杏子も腕を組んだまま一瞬だけ怯むと、ハルカのバッチをチラ見してからまた言葉を続ける。 「井赤、お前に言ってるんだが…」 「あっそうなの!?風紀委員室って初めて行くなぁ〜」 「つらい…」 机の下から、柚子のか細い声だけが聞こえた。 「あぁ〜久々の登校早々に怒られちゃった…もう退学しようかな…」 風紀委員室を出た途端、柚子は魂が抜けたように項垂れた。 「まぁまぁ。いいことあるって」 隣ではハルカが呑気に歩いている。 「自分も怒られておいてなんでそんな偉そうなの!?」 柚子は思わず振り返って声を大きくするが、当の本人はまるで気にしていない。 「あれあの人が書いたのかな。めちゃ上手いよ」 風紀委員室の窓ガラス越しに見えている書道作品を見て楽しそうにしている。 規律!礼節!誠実!…生真面目かつ圧の強めな文字が並んでいる。 「風紀委員室の椅子、ちょっと低かったね」 「ああ…はい…」 どこにでもあるパイプ椅子にどうして興味を示すのだろうか…柚子は頭を抱える。 「そんなんだから私だけが怒られたんだよ…」 実際、お叱りの大半は途中から柚子へ向いていた。 ハルカは話を聞かず、聞いたとしてもどこかへ飛んでいく。 杏子も途中から諦めたのだろう。 仲が良いのなら、せめて止めてくれ…そう言いたげな視線を何度向けられたかわからない。 だが、そのおかげで都市伝説の怪獣たちが実在したことは話題に挙げられずに済んだ。 「友達って大変なんだねぇ」 「勝手に友達扱いしないで…」 「え、違うの?」 ハルカが少しだけ首を傾げると、柚子は返事に困って黙り込んだ。 その沈黙を見たハルカは、なぜか満足そうに頷いた。 ・02 「ん…見ろ秋元」 不意に足を止めたハルカは、前方を指差す。 柚子も釣られて視線を向けた。 そこは、学校から少し離れた小さな公園。 数羽の鳩がポッポと鳴き声を上げながら、狭い1ヵ所に集まっている。 「いてててて!これはおっちゃんのや!!」 そして、その中心には鳩から全身をつつかれる肌色の球体だった。 妙に筋肉質な腕、妙に筋肉質な脚。 そして髭面の中年男性じみた顔。 どう見ても生物として何かがおかしい。 その球体はコンビニのパンくずを握り締めながら鳩と激しい争奪戦を繰り広げていた。 「コラ!羽根生えとるからって飛ぶのは反則やろ!!」 抵抗して拳をぐるぐると振るうが、鳩はサッと飛び立って回避する。 「くっそ…案外強いなコイツら!!」 「押し負けてるじゃん」 ハルカが笑う横で、柚子の顔から血の気が引いた。 間違いない…アレには見覚えがあった。 むしろ見覚えがあってほしくなかった。 あの夜、家の向かいの非常階段でコンビニ袋を漁っていたやつだ。 「いやいやいやいや……」 柚子は思わずピアスをグッと握る。 そのまま少し引っ張るが、痛い─見間違いでも、幻覚でもなかった。 「秋元、知り合い?」 「いや…」 「でも知ってる顔だよね」 「えと…」 「ホントは?」 「知りたくなかったです…」 ハルカとの押し問答に敗北した柚子が遠い目をしている間にも、球体は鳩へ向かって叫び続けていた。 「おっちゃんにも人権あるやろー!!」 「アイツ、ヒトらしいぜ」 ハルカは妙に楽しそうだった。 ─学校から少し離れた河川敷のベンチで、柚子たちはナニモンを囲んでいた。 「いやぁ助かったわ!」 ハルカの突撃によって、ナニモンは自らに食らい付く鳩の群れからようやく脱出できた。 「彼はナニモンでござる」 「何者…?」 「せや」 「…ナニモンって名前なんですか?」 「せや」 ハルカのスマートフォンの中に隠れていたテントモンが、この奇妙な存在について説明する。 柚子はなんだかちょっと不服そうだ。 川面を赤く染めていた夕陽も沈みだし、塾やバイトへ向かう学生がちらほらと目立つ時間になっていた。 だが、目立った建物の無いこの辺りまで来る者は少ない。 「え〜、つまりやな!」 ナニモンは座りやすく削られた石の上へ立ち上がると、ちょっと偉そうな感じで話し始める。 「最近デジモンが消えたと思ったら変な機械つけられとるっちゅーウワサあるやろ?」 「拙者もそれを追ってこちらの世界に来たでござるよ」 グリズモンの姿が脳裏を過ったテントモンは、真剣な表情で頷く。 「へーそうなんだ」 「ハルカにはもう五回説明したで…いや、もういいでござる…」 テントモンはハルカに話の腰を折られかけたものの、なんとか堪える。 「つまりヒト浚いっちゅうやっちゃな!」 「デジモンが目的ならデジ浚いじゃないんです…?」 得意げな顔をするナニモン。 数秒の沈黙から柚子がおそるおそる口を開いた。 「賢いなお嬢ちゃん!おっちゃん頭悪くてな!」 ナニモンは大きく頷くと、胸を張った。 説明している本人が一番理解していない気がして、テントモンは額を押さえた。 「そこは自慢するところではないでござる」 それでも情報自体は気になる…テントモンは姿勢を正した。 「それで、本当に何か知っているのでござるか?」 「おう」 先程までとは違い、ナニモンは素直に頷いた。 「誰かが集めとるんや」 その言葉に、テントモンの触角がぴくりと揺れる。 失踪した仲間達、暴走させられたグリズモン─全部が一本の線で繋がるような気がした。 「人浚いねぇ」 その空気を壊したのはハルカだった。 汚い座り方でベンチの背もたれへ寄りかかりながら、何気ない調子で呟く。 「そういやさ、あたしの好きなバンドのベースの人も消えたんだよね」 「えっ」 柚子は初耳の情報に思わず顔を上げた。 【バーチカルナイト・トウヤ失踪!事件性はいかに】 ハルカが見せてきたスマホの画面には、その手の界隈では有名だったのか専門的なサイトのニュース記事が表示されていた。 「うーん。これはデジ浚いだから…でも心配だね?」 そう聞かれたハルカに数秒のロード時間が発生した。 「いや別に」 「え?」 「なんか見つけられたら面白そうかなって」 「え?」 数秒熟考した上で繰り出された「別に」という答えに、柚子は固まった。 そして、隣ではテントモンも固まっていた。 ナニモンだけが膝を叩いて大きく頷く。 「ええやん!おっちゃん手を貸すで!」 「どこがいいんでござるか?」 夕暮れの河川敷にツッコミが響く。 ハルカ本人は何が問題なのか全くわかっていない顔をしていた。 そして、柚子はストッパーの無い人物が増えたことに焦りを感じていた。 ・03 ナニモンに案内された先は、人気の無い資材置き場…という体の不法投棄場だった。 立入禁止の看板は錆び付き、フェンスは何度も切断された跡がある。 中には廃タイヤ、壊れた冷蔵庫、用途不明の金属部品─誰かが捨てたゴミが、半ば山になっていた。 「ほれほれ。怪しいやろ?」 「あまりにも徒歩圏内でござる…そんな都合よくあるんモノか…?」 ナニモンは自信満々に胸を張ると、テントモンも触角を揺らして答えた。 「んじゃ、テントさんとあーしは右。秋元とナニさんは左ね」 「仕方ないでござるな」 「おう!おっちゃんキバるで!」 即座に決まった班分けに、柚子だけが固まる。 (…あれ?私いつの間にこの人とセットになってない?) 了承した覚えは無かったが、ハルカもナニモンも既に歩き始めていた。 「なんでこうなるの…」 結局、追いかけるしかない。 だが結果から言えば、何も無かった。 「何も…ない、ですね…」 「おかしいなぁ。この辺やと思ったんやけど」 並ぶコンテナ、伸び放題の雑草、風に揺れるフェンス…それだけしかない。 「その情報源は?」 「ホームレスのじいちゃんや!」 「あぁ〜…帰りたい…」 「ま、まだや!」 へにゃへにゃと溶けていく柚子をナニモンが、慌てて引き留めようとした。 「…ん?」 ナニモンは不意に足を止める─そして、少し遅れてからドンッと爆発にも似た轟音が響いた。 「…右側ですね」 「やな」 ナニモンが駆け出すと、柚子は一瞬だけその足を止める。 正直怖い…だが、それ以上に気になった。 探求心の方が勝った彼女は、遅れて駆け出した。 そして柚子か見たものは、吹き飛ばされた複数の大きなコンテナだった。 「おー秋元。なんかあった?」 「これ!これです!」 ハルカは相変わらずのテンションで、ただそれを見送っていた。 ブッ飛んで来るコンテナは変なものに決まっている。 「秋元、井赤!何故貴様らがいる!?」 「なんだ。センパイも来てんじゃん」 物陰から現れた杏子に驚くことなく、ハルカはそう告げる。 「近隣から不審な報告が相次いでいてな。私はその確認を…聞いてるのか?」 「聞いてる聞いてる」 明らかに聞いていない顔に、杏子は深く息を吸う。 数秒の沈黙─やがて、もう一つコンテナが吹き飛ぶと柚子の後方に落下した。 「んにゃっ」 「んひっ!超能力…!?」 柚子は体を跳ねさせ、近くの猫は逃げ出す。 「ここは危険だ」 「痛い目見るかもしれないから面白いんじゃん?」 土煙が上がる中、そう脅す。 「…ならば仕方ない。驚かせてやれ、メラモン」 どこからかズンっと一つの影が飛び降り、ハルカたちの眼前に着地した。 「よォ。さっきのコンテナを投げたのは俺さ」 「へー、デジモンじゃん」 パチパチと身体を燃やす異形の存在に驚くこともしないハルカに、杏子の眉がぴくりと動く。 「知ってるのか」 「おー」 「…知った上で関わるか」 「友達だからねー」 返事だけは素直だった。 だが、ハルカは制服のリボンを緩めながらスマートフォンを構えた。 「ていうかさ…猫のこと驚かせたでしょ」 テントモンが物陰から素早く飛来する。 ハルカは少しだけ首を傾げ、スマートフォンを突き出す。 杏子は眉間に皺を寄せつつ、懐からD-3を取り出した。 「そっちがその気なら、遊ぼうか」 「そっちがその気なら、痛い目を見てもらう」 先制─メラモンが地面を蹴る。 「んじゃ軽く一発かましてやんぜぇ!!」 爆ぜるような踏み込みと共に炎の拳が振り下ろされた。 「遅いでござる!」 テントモンは小柄な身体を生かし、その脇をすり抜ける。 遅れて拳が叩き付けられた地面から土煙が上がり、近くに積まれていた廃材がグラっと揺れる。 「逃げるな!」 「拙者、忍者故に逃げも隠れもするでござる」 テントモンは転がっていたタイヤを蹴り、さらに加速する。 小柄な身体が廃棄物の隙間を縫うように走り抜けた。 「右」 「御意!」 ハルカの声に合わせ、テントモンが体の角度を変える。 次の瞬間にドンっと廃材へ足を着けたテントモンは、それを蹴って跳躍・加速した。 「はっ!」 すれ違いざまに爪を振るう。 文字通りに火花が散る─だが。 「効ッかねぇなァ!」 炎の身体に浅い傷が走るだけで、メラモンは笑っていた。 振り返りざまに腕を薙ぐと、炎が弾丸のように放たれた。 「むん!」 テントモンは着弾より先に移動していた。 再び廃材を蹴り、反転─別の鉄骨へ飛び移る。 その直後、ボンッと先程までいた場所が爆発した。 「もっかい」 「御意!」 再び加速─メラモンの周囲を旋回するように駆け回る。 すれ違いざまの一撃はやはりダメージを生まない。 「ナニモンさん、テントモンさんを助けれますか!?」 「おっしゃ、まかしとき!おっちゃんの必殺技で─」 柚子の声に、ナニモンは勢いよく飛び出しかけるが、そこまで言って止まった。 「…いや、やめとくわ」 「え?」 黒いサングラスで隠れているが、その顔はきっと真剣だった。 「その。おっちゃん必殺技が、ほら、あの…カッコ悪くて…というワケで!頑張りや、テントモン!」 ナニモンは拳を握り、応援に徹した。 「え…えぇ〜」 「なんだか気が散るでござる…!」 柚子とテントモンはすっころびそうになるが、踏みとどまる。 「チョロチョロと面白くねぇ─」 拳・蹴・炎…メラモンの振るうものはどれも当たらない。 だがテントモンの攻撃も決定打にはならない。 「まとめて吹き飛ばしてやらァ!!」 完全な膠着状態に、メラモンが両腕を広げて待ったをかける。 周囲の熱量が一気に上昇し、巨大な火球が生み出される。 【マグマボム】 二人の端末に、ビビッという技使用の警告音が鳴る。 杏子は熱くなりすぎたメラモンを押さえようとするが、既に聞く耳を持たない。 「しゃあオラッ!」 「待て、それは回りへの被害が─」 次の瞬間、巨大な火球が放たれた。 爆発・騒音・引火、そして再びの爆発…周囲の廃材が次々と吹き飛ぶ。 積み上げられていた家電や瓦礫が宙へ舞った。 「はっはぁ!やったかァ!」 「くそ…やりすぎだ!」 土煙が視界を覆う中、メラモンはケタケタと笑う。 しかし、ハルカは笑みを崩さなかった。 「テントさーん、驚かせちゃって」 ハルカは横目で物陰に隠れた猫の方を見ながらそう呟いた。 突如として地面から飛び出したテントモンが、空中を舞う冷蔵庫へ向かって一直線に飛翔した。 「か、隠れ蓑の術です!」 風に流される薄い布を見た柚子は思わず叫ぶ。 ハルカは最初から待っていたのだ。 テントモンが隠れられる場所と、メラモンが大技を撃つ瞬間を。 「では、失礼!」 赤虫は空中で身体をヒラリと反転させ、電撃を纏った脚でオーバーヘッドキックを叩き込む。 冷蔵庫は勢いよく射出され、放物線を描きながら杏子の背後へ落下した。 「うっ─!?」 杏子は舞い上がった土煙が目に入り、目を擦る。 煙が晴れると、そこではハルカがピースサインを作っていた。 「これでおあいこっしょ?」 「か…かっかっかっ!なるほど全く生意気なヤツめ」 一通り笑った杏子が大きくため息をついた、その時だった。 ゴギ、と金属が潰れるような音が響く。 咄嗟に全員の動きが止まった中、唯一ハルカが振り返った。 何かが叩き付けられる音が連続し、聞こえてきた。 今度は明らかに近い─廃材の山の向こう側から響いてくるそれに、柚子は不安そうに辺りを見回した。 「い、いい、今の音…」 「何かいるでござる」 テントモンの触角がぴくりと揺れる。 次の瞬間、廃タイヤの山が爆発したように吹き飛んだ。 土煙と鉄くずが宙を舞い、その中心から巨大な岩の人型が姿を現す。 【ゴーレモン:成熟期】 ・04 「んぎょっ!?私のスマホどうなってるの!?」 柚子は突如として形の変わったスマートフォンを思わず落としてしまう。 デジヴァイスicとなったその画面には、デジモンのステータス表示がされている。 「やはり現れたか…」 杏子が僅かに歯軋りする。 灰色の巨体が廃材を踏み砕く。 丸太のような腕が揺れるたび、胸に埋め込まれた黒い機械の赤いランプが脈打った。 まるで、外付けされた心臓のように。 「お。クマちゃんのと同じやつだ」 「破壊せねば…!」 ハルカが気軽に指差し、テントモンは敵意を漏らす。 ゴーレモンの身体が痙攣する。 一歩踏み出すたび、胸の機械が赤く明滅した。 その度に低く、苦しげな唸り声が漏れる。 メラモンは一人と一匹の反応に、炎を揺らしながら鼻を鳴らした。 「なるほどなァ」 そう言って杏子と目を合わせると、互いに小さく頷いた。 「俺たちが追っていた噂はこいつだぜ。暴れまわるデジモンの目撃情報が相次いでるってなぁ」 「情報源はアングラなサイトだが、生徒への危険を見過ごす訳にはいかなかった…そして既に怪我人は出ている」 杏子の開いた手帳にびっしりと並んだ名前の中には、理由もなく欠席や欠勤が続いている者が何人も記されていた。 「もしかして全員いるか毎日メモってんの」 「当然だろう。やらないのか?」 真顔で返事する杏子に、ハルカはげーっという顔をした。 「わっ、わた…私たちもです!」 柚子が思わず声と手を上げる。 「ナニモンさんから似たような話を聞いて、その子を助けに来たんです!」 その言葉にナニモンは首…というか全身を傾げた。 数秒ほど考え込んだ後、ぽんと手を叩く。 「つまりおっちゃん達は実質目的が一緒やな!」 「…仕方あるまい。井赤、秋元。一時休戦だ」 ハルカが口を開くより先に、ゴーレモンの胸の機械が赤く明滅する。 次の瞬間、呻き声と共に巨大な腕が近くのコンテナを殴り飛ばす。 三人の会話を遮るように、宙を舞った鋼鉄の箱がハルカと杏子に迫る。 「─っとォ!」 しかし、メラモンの放った炎がなんとかコンテナの向きを逸らす。 僅かにズレた位置に落下し、鉄と鉄のぶつかり合う轟音が響いた。 「やるじゃん」 「へへ。大丈夫かよ?」 メラモンはありもしない鼻を擦り、少し照れる。 「あーしの好きな展開になってきたじゃん?」 ハルカはスマホを上に投げてキャッチすると、構え直した。 「ついてこい井赤。我々が先行する」 杏子がハルカの横に並び、D-3を構える。 それに応えるようにメラモンも両腕へ炎を集めた。 「胸の機械…あの洗脳装置を狙うでござる!」 テントモンが指差した先…ゴーレモンの胸部では赤いランプが激しく点滅していた。 脈打つ度に巨体が痙攣し、苦しげな唸り声が漏れている。 「助けられる見込みはあるのだな」 敵意というより悲鳴に近い様子に、杏子は僅かに眉を顰める。 杏子の問いに、テントモンは真っ直ぐ頷いた。 「保証は無いでござる。しかし、やる価値はある」 「ならばやるぞ、メラモン!」 「おらよーっ!」 先制したのはメラモンだった─両腕から生み出した火球を勢いよく投げ放つ。 だがその瞬間、ゴーレモンの拳が地面へ叩き付けられた。 轟音と共に地面が揺れ、周囲の廃材が跳ね上がる。 浮き上がった鉄くずや瓦礫は偶然にも火球の進路を塞ぎ、そのまま盾のように攻撃を弾いてしまった。 「あらら。ハズレ」 飛んできた空き缶を避けながら、ハルカが楽しそうに笑った。 「ならば」 テントモンが走る─稲妻のような軌道で廃材の山を縫い、鉄骨を蹴り、廃タイヤを飛び越える。 小柄な身体は一瞬ごとに位置を変え、人間の視線で追うのも難しい。 【ダイナモスピン】 高速回転しながら、胸部に埋め込まれた黒い機械に向かって一直線で突っ込んだ。 だが、ゴーレモンは迫るテントモンを見据えたまま大きな手を伸ばす。 「なっ─ぐぼぁっ!」 回転する身体が軽々と受け止められ、勢いを殺された。 瞬間─岩の拳が真正面から振り抜かれると、テントモンの小さな身体が吹き飛ぶ。 コンクリートの壁へ叩き付けられ、そのまま地面を転がった。 「テントさん、進化しないの?」 「そうしたいのは山々でござるがな…」 ハルカから声をかけられながら、テントモンはふらふらと立ち上がる。 「同等のレベルで囲んで責め立てれば、あのゴーレモン殿を殺しかねん」 胸の機械を破壊するのが目的であり、ゴーレモンそのものを倒したい訳ではない。 テントモンが体勢を立て直すより早く、今度はメラモンが動いた。 「だったら俺がぶっ壊してやるぜ!」 廃材の山を踏み台にして跳躍する。 炎を引きながら舞い上がったメラモンは、ゴーレモンの頭上を取ると両腕へ火炎を集中させた。 放たれた火球が一直線に降り注ぎ、轟音と共に炎が炸裂する。 しかし、炎の向こうから現れた巨体はまるで意に介していないようだった。 ゴーレモンはその巨腕を交差させるように構え、防御姿勢を取っていた。 「硬ぇなァ、おい!」 そのままメラモンはゴーレモンの背後に着地する。 メラモンの炎は岩の身体を焦がしきれず、テントモンの突撃も巨大な拳で叩き落とされた。 ゴーレモンは苦しそうな唸り声を漏らしながら周囲の廃材へ手を伸ばす。 コンテナ、鉄骨、冷蔵庫…掴んだ物を見境なく振り回し、そのまま投げ始めた。 「まずいでござる!」 「避けろ!」 杏子の声が飛ぶ。 胸に埋め込まれた機械は赤く激しく点滅し、その度にゴーレモンの身体が痙攣していた。 まるで暴れているのではなく、暴れさせられているようだった。 飛来する鉄骨を炎で弾き飛ばしながら、メラモンが舌打ちする。 「くそっ…近付けねぇ!」 ゴーレモンは苦しそうに唸りながらも暴れ続けている。 胸の機械が点滅するたび、その動きはどこかぎこちなく見えた。 「このままではゴーレモン殿が先に壊れてしまうでござる!」 焦りを滲ませるテントモンとは対照的に、ナニモンだけは少し離れた場所で腕を組みながら唸っていた。 「な、なんとかできたりしませんか…?」 「うーーーん…まぁ、できんこともない」 全員の視線が集まる真ん中で、ナニモンは難しい顔のまま全身を振った。 「い、いやアカン…絶対アカンで!」 さらに首…いや、やはり全身を振る。 「何故だ!?」 「いやその…おっちゃんの必殺技な、コンプラ的にアレなんや」 杏子の問いに対し、気まずそうに頭を掻くナニモン。 テントモンは固まり、メラモンは固まり、杏子は無言になった。 そして、風だけが吹いた。 「ほら、今の時代かなり厳しいやろ?」 「なんだか知らんでござるがそこを気にしてる場合でござるか!?」 テントモンの悲鳴にも似たツッコミと同時に、今度は巨大な鉄骨が崩れ落ちる。 「きゃっ!?」 土煙から飛び出した石片が膝を打ち、柚子は思わず尻もちをついた。 「秋元!」 普段の間延びした声ではなかった。 ハルカは即座に駆け寄り、柚子の前へしゃがみこむ。 その横でゴーレモンは胸の機械を激しく点滅させ、 なおも苦しそうに唸り続けている。 「いっつ…最悪…」 ゴーレモンも苦しそうだが、柚子も痛そうだ。 痛む膝を押さえる柚子を見て、ハッとしたナニモンは数秒だけ黙り込む。 「あーもう!」 そして、観念したようにハゲかかった頭を掻きむしった。 「おっちゃんは世界を救いに来たんや!」 ナニモンは大声を張り上げ、丸い身体を揺らしながら前へ出る。 「ええか!後でSNSに上げるのは禁止やで!」 「えっだめなの」 ちょっとショックを受けるハルカを尻目に、ナニモンはゆっくりと前に進む。 「おっちゃんを信じろ!」 「い、いや不安なんだよ!」 メラモンから突っ込まれるが、ナニモンは力強く親指を立てる。 「こうなったらアレしかあらへん!力でも、早さでもない!アレや!」 「言葉だけはソレっぽいでござる…だが、乗った!」 テントモンは体から光を放つ。 「ん…テントさん、行けるの」 ハルカはスマートフォンの画面に表示された進化の項目をタップする。 光はやがて卵を形成─それを破裂させるとテントモンは成熟期・フライビーモンへと進化した。 「任せろ…ナニモン殿、どうすればいいでござるか」 「少しや、少し動きを止めてくれればええ!」 ナニモンはゴーレモンの頭上に力場を展開。 おどろおどろしい色をしたデータの残骸が、地面から持ち上がると一点に集中しはじめた。 「おおおっ!!」 稲妻のような軌道でフライビーモンが迫る─胸の装置を狙った一撃は、ゴーレモンの腕に弾かれた。 だが、その隙を突くように廃材の山の向こうからメラモンが飛び出す。 「もらったァ!!」 燃え盛る拳が脇腹へ突き刺さるが、岩の身体は砕けない。 熱で表面が赤く染まるだけだった。 「硬ぇなァ…!」 ゴーレモンは苦しげに唸ると、そのまま二匹をまとめて振り払おうと腕を振るう。 「これは最早、完全体級ではないか…!」 杏子がD-3へ視線を落とすと、表示された数値は異常だった。 暴走と引き換えに能力値が跳ね上がっており、負担など無視して力だけを引き出されているような状態だ。 振り回されたメラモンが体勢を立て直すと、同じく踏み止まったフライビーモンに合図を送る。 「フライビーモン、根性だ!」 「応!」 次の瞬間、二匹は左右から同時に飛び込んだ。 岩肌へ爪が食い込み、炎が爆ぜる。 ゴーレモンの巨体が僅かによろめいた。 「今でござる!」 「上出来や─退いた方がええで!」 折れかけた柱を駆け上がっていたナニモンが叫ぶ。 そのまま柱の頂上へ飛び乗ると、頭上に浮かぶ禍々しい力場へ向かって大きく跳躍した。 フライビーモンとメラモンが同時に飛び退くと、ナニモンは力場に腕を丸い身体ごと叩き付ける。 「うおおおおおおおっ!!」 次の瞬間─力場がゴーレモンの頭上へ落下し、ドンッと爆風が吹き荒れて廃材の山が揺れた。 ゴーレモンは解読不能な絶叫を轟かせながら、巻き上がった土煙の中に消える。 「な、何をしたのでござる…」 言葉にし難い空気に、フライビーモンが思わず後ずさる。 やがて土煙が晴れると、そこにいた全員が言葉を失った。 ゴーレモンは無事だった。 少なくともデリートはされていないし、胸の洗脳装置も沈黙している。 だが問題は別にあった。 気絶したゴーレモンの身体、その三分の一ほどを覆う巨大な桃色の塊である。 「うんちだ」 ハルカだけが率直な感想を述べると、ナニモンが恐る恐る手を上げた。 「その…説明させてもらうとな?」 誰も返事をしない。 「これは必殺技や」 依然として沈黙。 「おっちゃんも好きでやっとる訳やないんや」 それでも返事は無かった。 「力でも、早さでも無い武器ってそういう…」 「廃棄データを一点に圧縮し、対象へ叩き付けてデータを攪乱する技でござるな」 「せや」 ドン引く柚子から視線を逸らしたナニモンに対し、フライビーモンは精一杯のフォローを飛ばす。 「その、見た目はどうにかできな」 「これはな、誰がやっても何故かそうなるんや」 杏子の問いに対し、ほとんど被せるように即答するナニモン。 ナニモンはしょんぼりしつつ、ぐちゃぐちゃと嫌な音を立てながらゴーレモンを転がす。 その下から現れた洗脳装置へ手刀を振り下ろした。 パキンと軽い音を立てて黒い機械が砕け、赤いランプが消えた。 「はい…終わりです…」 「あ、うん…お疲れ様です…」 先程までの勇ましさはどこにも無く、柚子も何と言えばいいのかわからない。 できることなら、この空気から一刻も早く逃げ出したい…二人の気持ちは間違いなくシンクロしていた。 ・05 それからしばらくして、洗脳装置を取り外されたゴーレモンは完全に沈黙。 荒れていた呼吸も少しずつ落ち着きを取り戻していた。 ついでに、柚子のデジヴァイスicもいつのまにかスマートフォンに戻っていた。 「これで、よし」 杏子はD-3の画面を確認すると、ゴーレモンをデジヴァイスへ格納する。 光となった巨体が吸い込まれ、廃棄場には静寂だけが残った。 夕陽はすっかり傾き、辺りは茜色に染まっている。 「…井赤」 「んー?」 杏子が不意に口を開くが、ハルカは振り向かないまま返事をする。 「先程はすまなかった…危険な場所から追い出すつもりだったのだが、少々やり過ぎた」 「別に気にしてないよ」 杏子の素直な謝罪に対し、ハルカはそう言ってへにゃっと笑った。 「あたしは楽しいこと最優先だし」 「そういう問題ではないと思うのだが……」 杏子は小さく額を押さえる。 その横では柚子がナニモンへ視線を向けていた。 「ナニモンさん」 「ん?」 「その…ちょっとかっこよかったですよ…?」 ナニモンが固まる。 「うおおおおっ!!」 数秒後、突然その場で飛び跳ねた。 「聞いたかテントモン!おっちゃん褒められたで!」 「聞こえていたでござる」 「っぱ世界救う男は違うわ!」 「こやつは調子に乗るのが早いでござるなぁ」 テントモンの背中をバシバシ叩きながら高笑いする。 「嬢ちゃん!おっちゃん達、ええ相棒になれそうやな!!」 「え…?」 柚子は思わず周囲を見回した。 忍者みたいな虫、人の形をした炎の塊、そして酒臭い肌色の球体。 「いや、その並びに入るんですか…?」 「なんでや!?ええやろ!照れんな照れんな!」 やっぱりちょっと格好悪い…そう思われてる事も知らず、ナニモンは上機嫌のまま夕焼け空の下を転がり回る。 柚子は困ったように笑いながら、その後を眺めていた。 おわり .