その日はヒメズブートキャンプの一環で、とある山の麓の村に向かった時のことでした。指南役のヒメ=ノハズダッタはその実年齢の割に可憐な容姿をしていながら、その中身はまさに鬼が付く鬼軍曹でした。  あの山籠もりでの魔物ハントもそう。トレーニングにはなるし、麓の村人の治安の改善になる。まさに一石二鳥と高笑いしてやがりましたが、やられるこっちの側からしたら全くたまったもんではありません。疲労困憊、満身創痍。ふくらはぎはパンパン。毎日しくしく泣く日々でした。  そんなある朝のこと。久々に村に降りてきた私は村の宿で久しぶりに熟睡の朝を迎えました。三度寝の幸せをあれ程噛み締めたことはありません。起床して大きく欠伸しながら部屋の窓を開けたら、私の世界とはまるで違う。美味しい朝の空気をしこたま吸い込んでいるとき、遠くから「それは本当ですか!?」という大声が聞こえてきました。恐らく山でチャッテさんが魔鹿を追いかけているのでしょう。彼女の無事を祈り快晴の空に向け手を合わせました。いえ、あの逞しいチャッテさんのことですから心配はしておりませんが。  リビングに向かうと既に起きていたエクレールさんが「やっと起きたか、ユーコ」と声をかけてきました。私の遅起きを呆れるその顔ですら絵になる美しい顔、と思ってしまったのですから。全く創作の世界の美少年キャラとは恐ろしいものです。  既にお湯を沸かしてくれてたのでしょう、リビングの椅子に座るとエクレールさんが直ぐに熱々のコーヒーを淹れてくれました。美味しいコーヒーを啜っていると、こちらをじっと見ていたエクレールさんが「ユーコ。朝食にするか」と声を掛けてきました。なにごとも気が利くお方、と思いながら首を縦に振ると、そうか、と言いながらエクレールさんは席に座りました。そのまま無言で見つめ合うこと10秒、20秒、30秒…。なんとも不思議な空間が続きます。やがて、私が首を傾げて「あ、あのっ。な、なんで用意してくれないの…?」とどもりながら聞くと、逆に問い返されました。 「いや、お前がいつキッチンに向かうのかと」  言い忘れておりましたが、私たちが宿泊している宿は格安なのが売りですが、代わりに食事は自分で用意しなければいけません。外食すればいいと思うのですが、ヒメ教官に自炊を厳命されておりましたので、その選択肢は私たちにはありません。なんということでしょう。 その時になってようやく私は今日の朝の当番が自分だったことを思い出しました。でも考えてみれば私は起きたばかりでまだ頭は碌に回らない身。一縷の望みをかけてお願いしてみましたが、「断る」の一言で断じられ、渋々キッチンに足を運びます。  キッチンに立って(さて)と、私は考えます。頭に浮かんだのはウインナーとパンと適当に野菜を切ったサラダ。まあこれなら文句は言われないだろうと(今思うと、これはエクレールさんへの偏見だったかもしれません)思いましたが、それだけでは何かピースが足らないような、そんな物足りなさを抱いたのです。キッチンの調味料を確認した私は一人頷くと、ボウルを取り出し、オリーブオイルに酢を入れて塩コショウを振りまけてかき混ぜました。頭に浮かんだのは小学生の時、お母さんが私に料理の手伝いをさせてた時に教えてくれたアレンジドレッシング。その時はレベルアップで賢さのステータスが上がったから閃いた程度に考えていた私ですが、今思うと元居た世界の、私の実家への郷愁だったのかもしれません。  朝食を用意し終わると何やら読書をしているエクレールさんに声を掛け、テーブルに朝食を運びます。「いただきます」と、エクレールさんと私の声が重なります。異世界でも言う言葉は一緒なのかという疑問も今は殆ど抱かなくなりました。慣れとは恐ろしいものです。 サラダを一口食べたエクレールさんが、「んっ」と驚いた声をあげて固まりました。まさか美味しくなかったかと恐る恐る聞くと、エクレールさんは首を横に振りました。 「逆だ。美味しくて驚いた。食べたことないドレッシングの味だがこの村の特産品なのかい?」  ……その時の私は正直言ってテンパりました。あたふたと挙動不審になる私を変なものを見るような顔で見ていたエクレールさんが、コーヒーを渡して落ち着くように言います。一口、二口と飲んで深く息を吐き、ようやく話せるようになった私は、爆発しそうな心臓を抑えながら親に教えてもらった直伝のドレッシングを記憶を頼りに作ってみたことを、どもりながら必死に伝えました。 「そうか」  その時のエクレールさんの顔は忘れることはできないでしょう。眩しいものを見るような、悲しく、優しく、色んな感情の籠った顔をしてサラダをじっと見下ろしておりました。ゆっくりと、サラダを、フォークで口に運ぶと、じっくりと味わうように咀嚼すると、私の顔を優しい笑みを浮かべて見つめました。 「これが家族の料理の味か」  感に堪えない顔を浮かべて目を瞑るエクレールさんの姿に私はハッと胸を打たれました。  勇者エクレール。第一王子で優秀ですが、高慢な所が多く主人公PTのお邪魔キャラにという立ち位置の彼は、実は妾の子という生まれであるゆえに父親に愛された経験がなく、第二王子の弟の皇位継承に自分の存在が邪魔になると察し、自ら国を出たという、重い過去を持つキャラ。愚かなことにその情報を知っていたはずの私は、今日まで目の前の彼の身に実際に起きた悲劇ではなく。他人事のように、エクレールというゲームの設定という以上の感想を抱かないままここまで来てたことに気づきました。なんという愚か者でしょうか私は。引きこもりの時に数々の罵倒を己に向けた私ですが、今日ほど私自身を呪ったことはなかったです。 「お前の親は健在か?」 「は、はい」  震える声で私は答えました。そうか、と微笑むと私に次の言葉を言いました。 「お前は死ぬなよ。絶対に生きて両親の下に帰るんだ」  その瞬間、私の中から色んな感情がドバっと溢れたのです。わけもなく涙が溢れて止まらなくなり、私はみっともなくもエクレールさんの前で泣きじゃくりました。涙の正体が、家族を想っての悲しみか、エクレールさんの心中をわかってしまったからか。自分でもどちらかわからないまま嗚咽する私の涙を、エクレールさんが拭いました。 「あ、安心しろ。お前は死なせない。色々情けないけど、お前は僕のた、大切な仲間だからなっ」  ぶきっちょに言ってそっぽを向くエクレールを見てたら、なぜか自分の頬がどんどん火照ってくるのが理解できました。その朝食以降、私はエクレールさんをゲームのキャラの一人、ではなく、この世界を一生懸命生きてる、悲しくも優しく、強い男の子として意識してしまうようになったのです。  「「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日」という歌をご存じでしょうか?教科書で初めて見た時は正直何言ってんだかという感想しか抱かなかった私ですが、今はあの歌が今、私の脳内で強い輝きを放って蘇っております。  今も、ついカレンダーであの日にちを眺めては、つい口ずさんでしまうのです。 「「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日………ふ、ふへへへ……」