六機の瑞雲 南沙諸島沖――第二撃滅確認  出撃したとき、山城の瑞雲は十機いた。  南沙諸島沖の目標海面へ到達したとき、残っていたのは六機だった。  瑞雲改二、六三四空、熟練。  索敵、爆撃、弾着観測。そのすべてを一機でこなす、昼の海では贅沢なほど高性能な水上機である。  高性能であることと、撃墜されないことは同じではない。  道中で四機を失った。  撃墜されたのか、損傷して引き返したのか、海面へ不時着したのか。編隊を組む六機からは、もう見えなかった。  見えるのは、いるはずだった位置に空いた四つの穴だけだった。 「十機で出て、六機か」  前席の操縦員が言った。 「ボスまで六機来た、と言え」  後席の偵察員が答えた。 「ものは言いようだな」 「報告書というのは、だいたいそういうものだ」  瑞雲は複座機だった。  前席には操縦員。  後席には偵察員。  二人分の目と耳を持ち、その両方が山城のために働いていた。  六機の瑞雲が戦場へ近づいたとき、基地航空隊はすでに前方を飛んでいた。  野中隊と江草隊。四個中隊、七十二機。海面すれすれを這う黒い群れは、味方から見れば頼もしく、敵から見ればただの災厄だった。  彼らは陸上基地から来た。  艦隊と同じ道中を通る必要はない。山城の射出機から放り出された瑞雲より先に、目標海域へ到達していた。 「基地隊、前方二時。もう降りている」 「敵を見つけたらしい」  そのさらに先に、二本の航跡が見えた。  味方艦隊、六隻。  松を先頭に、山城、葛城、樫、榧、高波。  敵艦隊も六隻。  軽巡新棲姫、軽巡ツ級elite、駆逐ラ級初期型、駆逐イ級後期型三隻。  彼我ともに単縦陣。  味方は敵の進路を横から押さえつつあった。 「T字有利」  偵察員が言った。 「敵航空戦力、認めず。珍しく条件が揃っている」 『珍しく、は余計よ』  風切り音と機関音の間に、山城の声が入った。  送信機が開いていた。 『こういうときに限って、不幸な目に遭うのよ』 『始まる前から縁起悪いこと言わないでよ!』  葛城の声が割り込んだ。 『こっちには正規空母がいるの! 航空戦は任せなさい!』  偵察員は葛城の上空を見た。  戦闘機隊の後方に、十三機の流星改がいた。  尾翼には友永隊の識別標識。  本来は飛龍の艦載機だったが、今は葛城の飛行甲板から発進している。改修は+6。本当ならMAXまで仕上げたいところだったが、司令部は一隊の完成より友永隊流星そのものの増産を優先していた。 「飛龍から借りた友永隊か」 「借り物でも、飛んでいる間は葛城隊だ」 『そこ、聞こえてるわよ!』  無線に葛城の怒声が響いた。 『借り物じゃなくて戦力の有効活用! 今は私の艦載機なんだから!』 「元気そうだな」 「基地隊、攻撃に入る」      *  七十二機の陸攻が低空で展開した。  敵艦隊から対空砲火が上がる。  赤い曳光弾が海面とほとんど平行に走り、その間を野中隊と江草隊が抜けていった。  魚雷が投下された。  何十本もの白い航跡が海面へ並び、敵艦隊へ収束していく。 「ツ級が前へ出た」  軽巡ツ級が旗艦の射線へ割り込んだ。  意図して庇ったのか、回避行動の結果だったのかは分からない。  魚雷には関係のないことだった。  一本がツ級の舷側へ突き刺さった。  船体が水柱の中で持ち上がり、その中央部が見えなくなった。水柱が崩れたとき、艦首と艦尾はすでに別々の方向を向いていた。  駆逐イ級一隻も、ほぼ同時に消えた。  ラ級の左舷にも魚雷が命中した。大型の船体が傾き、速力が落ちる。  だが、沈まない。 『敵軽巡一、駆逐一、撃沈確認!』  松の声が流れた。 『ラ級、損傷。なお戦闘継続中です』  第一波が抜けた。  間を置かず、第二波が海面を這ってきた。  編隊には穴があった。  往路にいた機体のうち、いくつかは煙を曳き、いくつかは見えなくなっている。  それでも残った陸攻は進路を変えなかった。  軽巡新棲姫の左舷へ魚雷が入った。  水柱が艦橋より高く立った。  白い船体全体が海水の壁に隠れ、数秒後、黒煙を曳きながら再び姿を現す。 「旗艦に命中」 「小破にも届いていないように見えるな」 「あれだけの魚雷を受けて、そう見えること自体がおかしい」  残るイ級二隻にも魚雷が命中した。  一隻は爆発した。  もう一隻は横転し、黒い艦底を上空へ晒して沈んだ。  敵六隻のうち、四隻が消えた。  残るのは軽巡新棲姫とラ級。  列は短くなった。  単縦陣であることに変わりはなかった。 『基地航空隊、攻撃終了。敵残存二隻』  松が告げた。 『旗艦およびラ級、なお健在です』 『基地隊、ガチで仕事するじゃん!』  樫の明るい声が入った。 『あと二隻なら、もう終わったようなもんじゃん!』 『樫、油断しないでください』  榧の声だった。 『敵旗艦は、まだ戦闘能力を保っています』  上空から見ても、その通りだった。  軽巡新棲姫の主砲塔は、すべて動いていた。      * 「瑞雲隊、攻撃配置」  操縦員が機首を下げた。  六機。  出撃時の十機ではない。  左右にいるはずだった四機のことを考える時間はなかった。  上空を味方戦闘機が通過する。  敵戦闘機は一機も上がってこない。  制空権確保。  その下で、十三機の流星改友永隊がラ級へ向けて散開した。 『友永隊、突撃! きっちり当てなさいよ!』  葛城の声。  瑞雲隊の目標は軽巡新棲姫だった。 「高度六百。風、左から弱く」  敵の対空砲がこちらを向く。  黒い弾幕が機体の前方へ広がり、曳光弾が翼のすぐ下を抜けた。 「投下まで三、二、一――」  爆弾を切り離す。  機体が浮いた。  六個の爆弾が敵旗艦へ落下する。  軽巡新棲姫が回頭した。  爆弾は艦尾後方へ落ち、水柱を並べた。 「至近弾」 「効果は?」 「認めず」  瑞雲の爆撃は有効打にならなかった。  友永隊の魚雷も、ラ級の後方を通過した。 『ちょっと!』  葛城の声が無線を埋めた。 『何で外すのよ! 友永隊でしょう!?』 「友永隊でも外すことはある」 「本人に言うな」 『聞こえてるわよ!』  操縦員は機体を引き起こした。  爆撃機としての仕事は終わった。  失敗だった。  だが瑞雲には、まだ別の仕事が残っている。  索敵機であり、爆撃機であり、弾着観測機でもある。  十機から六機へ減っても、その六機が飛んでいる限り、山城は昼の砲戦で観測射撃を行える。  器用貧乏という言葉は、能力が足りない者に使われる。  瑞雲の場合、能力は十分にあった。  仕事が多すぎるだけだった。      *  水平線の彼方が光った。  支援艦隊の射撃。  発砲した艦影は見えない。  砲声が届くより早く、砲弾が戦場へ落ちてきた。  軽巡新棲姫の周囲に水柱が並び、一発が前部構造物へ命中した。  装甲板がめくれ、黒煙が太くなる。  ラ級にも一発。  すでに基地航空隊の魚雷を受けていた船体が大きく折れ曲がった。 「ラ級、大破」 「まだ動いている」  ラ級の魚雷発射管が旋回した。  一本の航跡が山城へ向かう。 『山城さん、魚雷かもです!』  高波が警告した。  山城が回頭する。  だが、大型の航空戦艦は駆逐艦のようには曲がれない。  魚雷は右舷近くで炸裂した。  水柱が山城を覆う。  上空の瑞雲まで、爆風で揺れた。 『痛っ……!』  山城の声。 『もう。やっぱり不幸だわ……』 「母艦、損傷」 「小破未満。速力に変化なし」  水柱が崩れた。  山城の主砲は、すでに敵旗艦へ向いていた。 『瑞雲、弾着をお願い』 「了解」  偵察員が照準器へ顔を寄せた。  山城の主砲が発砲する。  砲口炎が先に見え、遅れて衝撃波が届いた。 「飛翔確認」  二発の砲弾が敵旗艦へ落ちる。  一発目、短。  二発目、命中。  軽巡新棲姫の前部が爆炎に包まれ、装甲に黒い穴が開いた。 「命中。次弾、二百延ばせ。右へ一」 『了解したわ』  山城の声が返った。 『見ていなさい。次は二発とも当てるから』  昼の瑞雲は有能だった。  敵を探し、爆弾を落とし、主砲弾の落下位置を測る。  道中で四機を失ってなお、残った六機は働き続けていた。      *  ラ級が葛城へ発砲した。  至近弾。 『きゃっ! 飛行甲板は!?』 『使用可能です!』 『なら問題なし!』  樫の砲撃は外れた。 『うわ、マジか――』  軽巡新棲姫の主砲塔が樫を向いた。 「敵旗艦、発砲」  砲弾が樫を囲んだ。  一発が至近で炸裂し、海水と破片が小さな艦影を叩いた。樫は海面へ倒れ、航跡が途切れる。  無線も途切れた。 『樫!』  松の声。  一秒。  二秒。 『……いるって』  雑音の底から樫が答えた。 『まだ沈んでないし。こんなの、ガチで余裕……』  声から、先ほどまでの勢いが消えていた。 「樫、大破」  偵察員が報告した。  大破は状態を示す。  痛みの大きさを示す言葉ではない。  高波がラ級へ発砲した。 『高波が仕留めるかもです!』  砲弾は損傷した中央部へ命中した。  最初に小さな爆発が起きた。  続いて内部から炎が噴き上がり、ラ級の船体が二つに分かれた。 『敵ラ級、撃沈したかもです!』  残るは旗艦一隻。  榧が命中弾を与え、松が続いた。  葛城の友永隊は外れた。 『また!?』  回答する者はいなかった。      *  第二次砲撃戦。  松の砲弾が敵旗艦へ命中した。  反撃は松へ向かった。  砲弾が旗艦の周囲に落ち、その一発が艤装へ食い込んだ。爆炎が小さな艦影を包み、先頭の航跡が大きく乱れる。 『松さん!』  榧の声。  炎の中から松が出てきた。 『旗艦、中破』  声はかすれていた。 『指揮に支障ありません。攻撃を続行してください』 「支障がない声には聞こえない」 「旗艦がないと言えば、しばらくはないことになる」  山城が再び発砲した。 「第一弾――命中。第二弾も命中」  砲弾が連続して軽巡新棲姫を叩いた。  最初の一発が左舷を裂き、次の一発が同じ場所へ食い込む。敵旗艦の速力が明らかに落ちた。 『どう?』  山城が訊いた。 「二発命中。良好」 『当然よ。六機しか残っていなくても、熟練の瑞雲でしょう』  葛城の友永隊が再び攻撃に入った。  今度は敵艦上で爆発が起きた。 『当たった! 見た!?』 『見たじゃん。ちょっとだけど』  大破した樫だった。 『当たったことが大事なのよ!』  樫、榧、高波の砲撃が続いた。  一発ごとの損害は大きくない。  だが、敵旗艦の煙は増え、速力は落ち、動いている砲塔も減っていった。  雷撃戦。  榧と高波の魚雷が命中した。  軽巡新棲姫は中破。  火災多数。  なお射撃能力あり。  日が落ちようとしていた。  敵随伴艦、全滅。  味方は松が中破、樫が大破。  通常なら、撤退を選ぶ理由はあった。  だが、今回必要なのはA勝利ではない。  同じ海面で三回のS勝利。  一回目は成功。  次の出撃は道中撤退。  今回は、二回目を得るための戦闘だった。 『夜戦に移行します』  松が命じた。      *  夜になると、瑞雲の仕事はなくなった。  この機体は夜間用の瑞雲ではない。  昼間なら、索敵、爆撃、弾着観測を一機でこなす。熟練搭乗員を乗せ、六三四空の名を持ち、通常の瑞雲よりはるかに高い性能を発揮する。  その高性能機も、夜になれば上空を旋回しているだけだった。  昼間に何でもできる機体は、夜間には何もできない。  兵器の性能とは、たいてい条件付きである。 「昼なら高性能」  操縦員が言った。 「夜は見物人か」 「夜間用ではないからな」 「高性能という言葉には、日没まで、という但し書きが必要だ」 「仕様書の文字が増える」 「報告書よりは正直だ」  瑞雲は高度を落とし、燃える敵旗艦の上空を旋回した。  爆弾はない。  弾着観測もできない。  ただ、見ているだけだった。  松が敵へ接近する。 『魚雷発射用意』  中破した旗艦の声。 『目標、敵旗艦。てーっ!』  酸素魚雷が走った。  二度の爆発。  軽巡新棲姫の火災が広がり、傾斜が増す。 「敵旗艦、大破」  偵察員が報告した。 「まだ沈まない」  山城が発砲した。  夜の主砲射撃に、瑞雲からの修正はない。  二発が命中したが、昼間ほどの破壊は生まれなかった。 『当たったのに……不幸だわ』 『当たっただけ、よかったかもです』 『高波、慰めになってないわ』  松の声が続いた。 『次、榧。お願いします』 『はい』  榧が隊列から出た。  六隻のうち、唯一、損傷していない駆逐艦だった。  航跡はまっすぐで、速度も落ちていない。  大破した敵旗艦の砲塔が榧を追った。  まだ動いていた。  大破していても、砲を撃てるなら敵である。  榧は回避せず、距離を詰めた。 『第四三駆逐隊、榧』  無線に、静かな声が流れる。 『参ります』  二条の魚雷航跡が夜の海へ伸びた。 「一本目、中央へ向かう」  魚雷が軽巡新棲姫の中央部へ入った。  爆発。  敵艦の内側で何かが連鎖した。  装甲板が外へ膨れ、艦橋と煙突の間から炎が噴き上がる。前部と後部の動きが、別々になった。 「折れるぞ」  二本目が艦尾へ命中した。  軽巡新棲姫は中央から折れた。  艦首が先に沈み、艦尾が持ち上がる。  破断面の内側を赤い炎が照らし、海面に燃料の輪が広がった。  やがて艦尾も沈んだ。  敵旗艦耐久、0。 『敵旗艦、撃沈確認』  松の声。 『やったかもです!』 『榧、ガチで決めたじゃん!』 『戦闘海域の警戒を継続します』  松が歓声を切った。 『第二撃滅、確認。S勝利です』      *  瑞雲は戦場をもう一周した。  眼下には、六本の味方の航跡。  海面には敵艦の残骸と油膜。  葛城の上空には、帰投する友永隊。  山城の周囲には、六機の瑞雲。  出撃時には十機いた。  四機分の空白は、帰投するまで埋まらない。 「二回目だな」  操縦員が言った。 「あと一回」  偵察員が答えた。  三回必要なS勝利のうち、これで二回。  その間に道中撤退が一度。  艦隊は帰投し、松と樫を修理する。  基地航空隊は失った機体を補充する。  瑞雲隊にも補充機が届き、次の出撃時には、また十機になるかもしれない。  そして、また減るかもしれない。 『瑞雲、帰ってきなさい』  山城の声が入った。 『夜間用じゃないんだから、暗い海で無理をしないで。着水に失敗したら、本当に不幸よ』 「了解」  操縦員は機体を傾けた。 「昼は高性能、夜は慎重に、か」 「生きて帰れば、次の昼にも使える」  眼下で山城が速度を落とし、収容準備に入っていた。  瑞雲は母艦の横へ着水するため、燃える海面を離れた。  今回の敵艦隊は全滅した。  作戦は、まだ終わっていなかった。