六機の瑞雲・後編 南沙諸島沖――第三撃滅確認  補充によって十機に戻された山城の瑞雲隊は、目標海面へ着いたとき、六機になっていた。  四機減った。  ただし、四機は一度に消えたわけではない。      *  最初の前衛警戒部隊との戦闘では、十機すべてが山城の上空にいた。  敵味方ともに警戒陣。  反航戦。  味方艦隊は松を先頭に、山城、葛城、樫、榧、高波の六隻。対する敵は、軽巡ツ級eliteを旗艦とする駆逐艦中心の前衛部隊だった。  前席の操縦員から見れば、敵の陣形は海面に引かれた曲がった線だった。  後席の偵察員から見れば、それは六つの標的だった。 「敵艦隊、十一時下方」 「確認。瑞雲隊、爆撃に入る」  瑞雲は機首を下げた。  十機。  葛城から発進した友永隊は十八機。  敵戦闘機はなく、制空権は最初からこちらにあった。  それでも軽巡ツ級の対空砲は生きている。  曳光弾が上空へ伸びた。  瑞雲隊は爆弾を投下した。  駆逐イ級の周囲に水柱が立ち、その一発が艦体を捉えた。小さな駆逐艦は爆炎に包まれ、わずかに浮力を残したまま海面を引きずられていった。 「敵駆逐艦、大破」 「沈んでいないな」 「あと少しだ」  友永隊の魚雷は敵駆逐艦の脇を通過した。 『ちょっと、何で外すのよ!』  葛城の声が無線に響いた。 「始まったな」 「聞かなかったことにしろ」  遠方から支援艦隊の砲弾が到達した。  扶桑、長門、妙高、飛龍、長波、不知火。  砲声より先に水柱が並び、一発がロ級後期型eliteを捉えた。  敵艦は爆発し、海面から消えた。  その後の砲戦は短かった。  山城の砲弾は一度外れた。  高波と樫は小さな被弾を受けた。  榧がイ級を削り、樫が仕留め、松が別のイ級を沈めた。  山城は二巡目の射撃でロ級後期型eliteを砕いた。  最後まで残ったツ級へは、駆逐艦たちの魚雷が集中した。  最初の一本で沈んだ後にも、さらに二本が同じ海面へ突き込んだ。  戦場では、目標が沈んだという情報が魚雷より速く届くとは限らない。  敵艦隊、全滅。  味方損傷、軽微。  艦隊は止まらなかった。  この海面での勝利は、目的ではない。  通過するための費用だった。      *  その頃、艦隊から遠く離れた基地へ敵航空隊が向かっていた。  瑞雲の搭乗員には見えなかった。  無線報告だけが届いた。 『基地空襲。防空隊、迎撃開始』  Me 262。  Me163B。  秋水。  ロケットとジェットで飛ぶ防空機が上昇し、敵航空隊を迎え撃った。  航空優勢。  敵機二百七機、全滅。  基地被害なし。 「景気のいい数字だな」  操縦員が言った。 「見ていない戦闘は、数字だけになる」  偵察員が答えた。 「見た戦闘も、報告書では数字になる」 「なら、見ない方が楽か」 「それを決めるのは、見た後だ」      *  次の長距離空襲を迎えたとき、瑞雲隊は八機になっていた。  葛城の友永隊は十六機。  どこで二機ずつ減ったのか。  対空砲火か、損傷による帰投か、あるいは航法上の事故か。  編隊の中にいる者に分かるのは、左右にいた機体がいなくなったという事実だけだった。  敵艦載機百六十二機が、輪形陣を組む艦隊へ向かってきた。 「敵編隊、前方上空」 「数が多いな」 「味方も上がっている」  震電改と零式艦戦五三型岩本隊が迎撃へ向かった。  両軍の航空隊が上空で交差する。  航空均衡。  敵機が十二機、二十機と落ちていく。  味方機も減った。  空戦を抜けた敵攻撃隊が艦隊へ降下する。 『対空戦闘用意!』  松の命令。  樫の二基の高角砲が旋回した。  対空電探が敵編隊を捉え、砲火が一点へ集中する。 『樫に任せとけって! まとめて落とすじゃん!』  高角砲弾が敵攻撃隊の前方で炸裂した。  一機。  数機。  さらに十数機。  編隊が空中で崩れた。  それでも一機が高波へ向かって急降下した。 『こっちに来るかもです!』  爆弾が投下された。  海面に水柱。  高波はその脇を抜けた。  損害なし。 『当たってないかも!』 『だから樫が落としたって言ってんじゃん!』  艦娘には損害がなかった。  航空隊にはあった。  空襲を抜けたとき、瑞雲は六機になっていた。  友永隊は十二機。  八機で入った瑞雲隊の左右には、新たに二つの空白ができていた。 「十機で出た」  操縦員が言った。 「今は六機だ」 「六機あれば仕事はできる」 「十機あれば、もっとできた」 「その議論は帰投してからにしろ」 「帰投できればな」      *  六機の瑞雲は、そのまま潜水艦隊の上空へ進んだ。  敵潜水艦四隻。  ヨ級flagship二隻、カ級flagship一隻、カ級elite一隻。  味方は単横陣。  交戦形態、T字不利。  海面から潜水艦は見えない。  見えるのは、潜望鏡の航跡と、魚雷が作る白い線だけだった。 『先制対潜、始めます』  榧の爆雷が海中へ沈んだ。  数秒後、海面が持ち上がる。  カ級eliteが浮き上がり、そのまま動かなくなった。  松の爆雷も別のカ級を捉えたが、沈めるには足りない。  直後、海面に三本の魚雷航跡が現れた。 「雷撃!」  一本は葛城へ。  一本は山城へ。  もう一本は樫へ向かった。  樫は回避した。  葛城と山城は間に合わなかった。  葛城の舷側近くで水柱が立つ。  続いて山城の右舷で爆発。  瑞雲の機体まで衝撃で揺れた。 『痛っ……!』  山城の声が入った。 『また私なの? 不幸だわ……』 『こっちも被雷したんだけど!』  葛城が怒鳴る。 『山城だけ不幸みたいに言わないでよ!』 「母艦、損傷軽微」 「葛城も航行可能」  対潜戦闘が続いた。  瑞雲も海面へ爆弾を落とした。  爆発。  潜水艦に損害を与えたが、わずかだった。 「二発分くらいか」 「航空戦艦の対潜攻撃に期待する方が悪い」  榧が二隻目を沈めた。  松と榧が三隻目を仕留めた。  最後のヨ級は損傷したまま潜航し、海中へ逃れた。  A勝利。  敵を一隻残した。  艦隊は追わなかった。  必要なのは、この海面でのS勝利ではない。  先にあるボス海域へ到達することだった。      *  山城は傷ついていた。  葛城も傷ついていた。  高波と樫には、前衛戦で受けた小さな損傷が残っている。  榧も完全な状態ではなかった。  松だけが無傷だった。  それでも艦隊は反転しなかった。  今回必要なのは、南沙諸島沖の指定海面での三度目のS勝利だった。  一回目は成功。  その次は道中撤退。  続く出撃で二回目を得た。  そして今回。  前衛部隊を全滅させたことは数えられない。  基地を無傷で守ったことも数えられない。  空襲を切り抜けたことも、潜水艦隊からA勝利を得たことも、指定された条件には含まれない。  目標地点へ到達し、そこで待つ敵を一隻残らず沈める。  必要なのは、それだけだった。  六機の瑞雲は高度を保ったまま、目標海面へ進んだ。  編隊には四つの空白があった。  だからといって、前回と同じ四機が失われたわけではない。  搭乗員の名も、機体番号も、消えた場所も違っていた。  同じなのは、いるはずだった機体がいないという事実だけだった。  三度目のS勝利。  この海面で求められた、最後の一回。  最後という言葉は便利である。  その仕事の後に、別の仕事が残っている場合でも使うことができる。      *  基地航空隊は、今回も瑞雲より先に戦場へ入っていた。  野中隊と江草隊。  四個中隊、七十二機。  海面すれすれを這う黒い群れは、味方から見れば頼もしく、敵から見ればただの災厄だった。  ただし災厄にも、毎回同じ結果を出す義務はない。 「敵艦隊、前方」  偵察員が双眼鏡を上げた。  深海任務部隊ミンドロ島警戒群。  旗艦は同じ軽巡新棲姫。  その後方に、重巡リ級flagship、軽巡ツ級elite、駆逐ラ級初期型、駆逐イ級後期型二隻。  前回よりイ級が一隻減り、その位置に重巡が入っていた。 「敵編成変更」 「向こうも学習するらしい」 「学習しているなら、同じ場所で三回も待たない」 「命令されているんだろう」 「それは、こちらも同じか」  彼我の艦隊は、反対方向へ斜めにすれ違おうとしていた。 「反航戦」  偵察員が報告した。  前回のT字有利とは違う。  こちらの砲力は削がれ、敵の砲力も削がれる。  公平である。  戦場における公平とは、両方が不便になることをいう。 『敵艦隊を確認しました』  松の声が無線に入った。 『全艦、単縦陣を維持。三度目を取ります』 『今度こそ、これで最後かもです』  高波が言った。 『この海面では、でしょう』  山城が答えた。 『どうせ、ほかにも面倒な仕掛けが残っているわ。不幸だわ……』 『今は目の前の敵に集中してよ!』  葛城の声が割り込んだ。  葛城の上空には、十二機の流星改友永隊。  飛龍から借り受けた航空隊だった。  前回は十三機いた。  今回は十二機。  瑞雲と同じように、艦載機は目標海面へ着くまでに減る。  空母の甲板に戻れるのは、残った機体だけだった。 「基地隊、攻撃に入る」      *  第一波が低空で散開した。  敵艦隊から対空砲火が立ち上がる。  前回より濃かった。  軽巡ツ級に加え、重巡リ級とラ級の対空砲火が、海面近くを飛ぶ陸攻隊へ集中する。  赤い曳光弾が編隊を横切った。  一機が右主翼から火を噴いた。  高度を維持しようとしたが、海面に触れ、そのまま白い飛沫の中へ消えた。  それでも魚雷は投下された。  最初の雷撃は軽巡新棲姫へ向かった。  白い航跡が敵旗艦の左右を通り過ぎる。 「旗艦、損害なし」  別の魚雷がツ級へ入った。  船体側面が破裂し、艦上構造物が傾く。  しかし沈まない。 「ツ級、大破。残っている」  イ級一隻は魚雷を受けて消えた。  第一波が離脱する。  七十二機で入った編隊には、すでに大きな穴が開いていた。  第二波。  重巡リ級が雷撃を受けた。  魚雷は艦体中央へ入り、重巡を一撃で折った。  二つになった船体は、ほとんど同時に沈んだ。  残るイ級が旗艦の前へ出た。  庇う動作だった。  その小さな艦体へ、必要量を遥かに超える雷撃が集中した。  爆発の中心に何が残ったのか、上空からは確認できなかった。  確認する必要もなかった。 『敵重巡、駆逐艦二隻、撃沈!』  松の声。 『ツ級大破。敵旗艦およびラ級、健在です』  基地航空隊は離脱した。  第一波では十七機。  第二波では二十七機。  攻撃を終えた編隊は、来たときより明らかに小さかった。 「今回は高くついたな」 「高くついても、戦果が必要なら飛ばす」 「三回目だからか」 「一回目でも同じだ」      * 「瑞雲隊、攻撃配置」  操縦員が機首を下げた。  六機の瑞雲。  十二機の友永隊。  攻撃機、合計十八機。  敵戦闘機はいない。  制空権は確保された。  それでも安全ではなかった。  敵の対空砲火が空へ伸びる。  軽巡ツ級は沈みかけていたが、その対空砲はまだ生きていた。ラ級と軽巡新棲姫も加わり、黒い炸裂雲が攻撃隊の進路を塞いだ。 「来るぞ」  機体の右側で砲弾が炸裂した。  瑞雲が一機、翼を失った。  回転しながら落ちていく。  左前方では友永隊の一機が火を噴き、そのまま編隊から外れた。  さらに一機。  もう一機。  高度を下げるほど、機影が減った。 「攻撃隊、残り三!」  偵察員が叫んだ。  十八機で入った。  対空砲火を抜けたとき、攻撃可能な機影は三つしか残っていなかった。  そのうちの一つが、自分たちだった。 「目標は?」 「ラ級。友永隊が入る」  生き残った流星が魚雷を投下した。  白い航跡がラ級へ伸び、艦首付近で爆発した。  ラ級の船体が揺れる。  損害は軽微。  致命傷には遠かった。 「瑞雲隊は?」 「攻撃中止。爆撃隊形を維持できない」  爆弾は投下されなかった。  この一機が落ちれば、山城の目が減る。  爆撃より弾着観測を優先する。  戦場では、勇敢さより順番の方が重要な場合がある。  操縦員は機首を上げた。  黒煙と炸裂雲を抜け、戦場上空へ戻る。 『航空攻撃終了』  松の声が流れた。 『ラ級に損害。なお健在です』 『友永隊、少しは当てたわね』  葛城の声。  強がっていた。  十二機送り出し、無事な機影はほとんど残っていない。  空母は、自分の艦載機が戻ってくるまで損失を数えられない。  上空にいる者だけが、すでに数を知っていた。      *  水平線の彼方で、支援艦隊が発砲した。  扶桑、長門、妙高、飛龍、長波、不知火。  発砲した艦影は見えない。  砲声より先に砲弾が届く。  軽巡新棲姫の周囲に水柱が並んだ。  すべて外れた。  大破したツ級の周囲にも着弾したが、命中はない。  一発だけが、ラ級へ向かった。  ラ級が旗艦の射線へ割り込む。  砲弾が中央部を直撃した。  船体が大きく折れ曲がり、速度が落ちた。  沈まない。 「ラ級、戦闘能力を維持」 「しぶといな」 「前回もそうだった」  ラ級の魚雷発射管が旋回する。  航跡は艦隊先頭、松へ伸びた。 「旗艦へ魚雷!」  山城が進路を変えた。  松と魚雷の間へ入る。  魚雷が山城の右舷近くで炸裂した。  水柱が母艦を包み、瑞雲の翼まで爆風に煽られる。 『山城さん!』  松の声。 『平気よ。このくらい……』  山城の声は平気には聞こえなかった。 『姉さまなら、もっと上手に庇ったでしょうけど』 「母艦、損傷。小破未満」 「砲撃可能」  山城の主砲が旋回する。  その照準は敵旗艦ではなかった。  大破しながら対空砲火を続けるツ級へ向いていた。 『瑞雲、観測を』 「了解」  山城の主砲が発砲した。  二発の砲弾が落下する。  ツ級の周囲に一つの水柱。  次の瞬間、その内側で船体が消えた。 「命中。ツ級撃沈」 『これで空は少し静かになるわね』 「遅いな」  操縦員が言った。  十八機の攻撃隊が三機になる前に静かになっていれば、意味があった。      *  軽巡新棲姫が砲撃した。  狙われたのは榧だった。 「敵旗艦、発砲」  榧の周囲に水柱が上がる。  一発が艤装へ命中し、爆炎が小さな艦影を包んだ。  榧の航跡が途切れ、速度が落ちる。 『榧!』  樫の声。  一拍置いて、榧が答えた。 『中破です。まだ戦えます』  声は落ち着いていた。  落ち着いていることと、痛くないことは同じではない。  榧の砲弾はラ級へ当たった。  損害は小さい。  松が敵旗艦を撃った。  軽巡新棲姫の前部に大きな爆発が起きる。 「敵旗艦に命中」  続いて高波。 『高波も行くかもです!』  砲弾が敵旗艦の上部構造物へ入り、火災を広げた。  ラ級が山城を撃った。  砲弾は外れた。  樫の砲撃はラ級へ命中したが、損害はわずかだった。  葛城の友永隊が再びラ級へ降下する。  残った一機が爆弾を投下した。  命中。  ラ級の艦体から炎が上がる。 『当たった!』  葛城の声が無線に響いた。 『友永隊、やるじゃない!』  上空から見る限り、喜ぶには残存機が少なすぎた。  だが、命中は命中だった。      *  第二次砲撃戦。  松の砲弾がラ級を掠めた。  ほとんど損害はない。  軽巡新棲姫が葛城へ主砲を向ける。 「葛城、狙われている!」  警告と発砲はほぼ同時だった。  砲弾が葛城の飛行甲板付近へ直撃した。  炎と黒煙が甲板を覆う。  大きな破片が海面へ飛び散り、葛城の速度が急激に落ちた。  無線には、しばらく声がなかった。 『葛城!』  松が呼んだ。 『……飛行甲板、大破』  葛城の声が返った。  先ほどまでの勢いは消えていた。 『艦載機の収容は……無理かもしれない』  上空に残った友永隊は、帰るべき甲板を失った。  帰投先はほかにもある。  飛龍へ向かうことも、陸上基地へ降りることもできる。  だが葛城の艦載機として飛び立った以上、本来の帰る場所は葛城だった。 「葛城、大破」  偵察員が報告した。 『まだ沈んでないわよ!』  葛城が反射的に怒鳴った。  その声に、少しだけ元の調子が戻っていた。  山城が敵旗艦へ発砲する。 「着弾、短――次、命中」  軽巡新棲姫の左舷へ砲弾が入った。  しかし反航戦の砲撃は、敵の巨大な船体を揺らすだけで終わった。  ラ級が再び旗艦を狙う。  山城が二度目の射線へ入った。  砲弾が艤装を掠め、破片を散らす。 『また私なの……?』  山城の声。 『本当に不幸だわ』 「母艦、小破」 「まだ主砲は動く」  樫がラ級へ砲撃。  榧が続く。  どちらもわずかな損害しか与えられない。  最後に高波が撃った。  砲弾はラ級の損傷箇所へ入り、内部で爆発した。  艦体中央から炎が噴き上がる。  ラ級はその場で折れ、沈んだ。 『ラ級、撃沈したかもです!』  敵は軽巡新棲姫だけになった。      *  雷撃戦。  松、樫、高波が魚雷を放つ。  三方向から伸びた航跡が敵旗艦へ収束した。  最初の爆発。  次の爆発。  最後の魚雷は艦尾近くへ入り、黒煙と炎を大きく広げた。  軽巡新棲姫は中破。  速力低下。  火災多数。  それでも沈まない。  敵旗艦も魚雷を放った。  航跡は高波へ向かう。 『魚雷、来るかも――』  回避は間に合わなかった。  水柱が高波を包む。  小さな艦影が海面へ叩きつけられ、しばらく見えなくなった。 『高波!』  無線に複数の声が重なった。 『……中破、かもです』  弱い声が返る。 『まだ、夜戦には行けるかも』  昼戦終了。  敵随伴艦、全滅。  敵旗艦、中破。  味方は葛城が大破。  榧と高波が中破。  山城と樫も損傷している。  完全に無傷なのは、旗艦の松だけだった。  前回より、はるかに悪い。  前回の昼戦終了時、敵旗艦は沈没寸前だった。  今回は、まだ半分近い戦闘力を残している。  しかし撤退という選択肢はなかった。  ここでA勝利に終われば、四度目の出撃が必要になる。  道中で誰かが大破すれば、五度目になる。  必要なS勝利は三回。  軍隊の数字は、事情を考慮しない。 『夜戦に移行します』  松が命じた。 『これで終わらせます』      *  夜になった。  瑞雲の仕事はなくなった。  この機体は夜間用ではない。  昼なら索敵し、爆撃し、弾着を観測する。通常の瑞雲より高性能であり、熟練搭乗員を乗せ、六三四空の名を持つ。  日が沈めば、その性能の大半は使用できない。  昼に何でもできる高性能機は、夜には何もできない高性能機となる。  兵器の説明書には、たいてい都合の悪い条件が小さな文字で書かれている。 「夜は見ているだけか」  操縦員が言った。 「墜ちずに見ていろ。それも仕事だ」  偵察員が答えた。  眼下では軽巡新棲姫が燃えている。  その炎だけで、夜の戦場は昼より見やすかった。  松が単独で前へ出た。  無傷の旗艦。  二基の六連装魚雷発射管。 『魚雷発射用意』  松の声に、迷いはなかった。 『目標、敵旗艦。てーっ!』  酸素魚雷が暗い海へ走った。  一本目が命中した。  敵旗艦の左舷で爆発が起きる。  続く一本が、ほぼ同じ位置へ突き刺さった。  今度の爆発は大きかった。  軽巡新棲姫の装甲が内側から吹き飛び、艦橋の一部が炎の中へ崩れ落ちる。 「敵旗艦、大破」  偵察員が報告した。  松の一撃で、中破していた敵艦は一気に沈没寸前まで追い込まれた。 『いい感じかもです!』  高波の弱い声が無線に入った。 『松さん、すごい……』  榧が続いた。  山城が発砲する。  夜の砲撃に、瑞雲の修正はない。  一発目は装甲表面で砕けた。  二発目は命中したが、敵艦を沈めるには足りなかった。 『たったこれだけ……』  山城が呟いた。 『やっぱり夜は不幸だわ』  軽巡新棲姫はまだ浮いている。  主砲塔も一基だけ動いていた。  次の攻撃順は樫だった。  前回、耐久7まで追い込まれ、大破した駆逐艦。  今回は傷ついていたが、砲も照準器も生きている。 『樫、行けますか』  松が訊いた。 『誰に聞いてんの?』  樫の声が返った。  昼間より低く、しかし明るかった。 『こういうの、最後に決めるのが一番エモいじゃん』  樫が敵旗艦へ接近する。  軽巡新棲姫の残った砲塔が樫を追う。  樫は速度を落とさない。 『照準、オッケー』  二門の高角砲が火を噴いた。  第一射。  砲弾が敵艦の上部構造物へ入り、炎を広げる。  軽巡新棲姫は沈まない。 『まだ?』  樫が笑った。 『じゃあ、もう一発!』  第二射。  砲弾は松の魚雷が破壊した左舷へ突き込んだ。  装甲の裂け目から爆炎が噴き上がり、軽巡新棲姫の艦体が大きく傾いた。  残っていた砲塔が停止する。  艦首が沈み始めた。 「敵旗艦、沈下」  偵察員が双眼鏡を下ろした。 「撃沈だ」  軽巡新棲姫は左舷を下にして沈んでいった。  燃えていた上部構造物が海面に触れ、炎が一度だけ大きく広がる。  やがて、それも海中へ消えた。 『敵旗艦、撃沈確認』  松の声。 『やったじゃん!』  樫が叫んだ。 『三回目、取った!』 『やったかもです……!』  高波の声。 『本当に、これで三回目です』  榧が言った。 『この海面の条件は達成ね』  山城が静かに続けた。 『でも、作戦はまだ終わりじゃない。ほかの仕掛けが残っているんでしょう?』  無線が短く沈黙した。  誰も否定しなかった。      *  戦闘終了。  敵艦六隻、全艦撃沈。  味方艦隊、全艦生存。  判定、S。  MVP、松。  この海面で要求されていた三回のS勝利は、これで完了した。  一回目、S勝利。  次の出撃、道中撤退。  二回目、S勝利。  三回目、S勝利。  必要数、三。  達成数、三。  その記録だけを見れば、仕事は終わったように見える。  だが作戦図には、まだ消えていない印が残っていた。  解除されていない仕掛け。  達成していない条件。  まだ進めない航路。  この海面の戦闘は終わった。  作戦そのものは終わっていなかった。 『戦闘海域の警戒を継続』  松が命じた。 『葛城の艦載機は、収容可能な艦および基地へ誘導してください。損傷艦を中央に。艦隊、帰投します』  瑞雲は戦場を一周した。  葛城の飛行甲板からは黒煙が上がっていた。  榧と高波の航跡は細く、山城も二度の庇護で速度を落としている。  樫は、敵旗艦を沈めた砲を肩に担いでいた。  松だけが、先頭を進んでいた。 「三回目だな」  操縦員が言った。 「ああ」 「終わったか」 「この海面は」  偵察員は、遠ざかる炎を見た。 「次の座標が待っている」  無線に山城の声が入った。 『瑞雲、帰ってきなさい』 「了解」 『私の近くへ慎重に着水して。暗い海で機体を壊したら、揚収もできなくなるわ』  少し間を置いて、山城は付け加えた。 『三回も勝った後で、帰投に失敗するなんて不幸すぎるもの』  操縦員は機体を傾けた。  眼下で山城が速力を落とし、風上へ艦首を向けている。  瑞雲は母艦の傍らへ降りるため、高度を落とした。  着水した後は、山城のクレーンによる揚収を待つことになる。  夜の海が荒れれば、戦闘を生き延びた機体を、最後の最後で失うこともある。  六機で目標海面へ到達した瑞雲隊が、何機まで山城の甲板上へ戻れるのかは、まだ分からなかった。  生きて帰った機体は補給され、修理される。  空いた席には別の搭乗員が座り、編隊は再び十機に戻される。  そして、新しい座標を与えられる。  戦争は、条件を達成すれば終わるものではなかった。  次の条件が表示されるだけだった。