兄さんと僕は、一歳違い。 小さい頃から、暇さえあればカードで遊んでた。 一緒にパックを買った日は共有カード。 誕生日にもらったり、お小遣いで買ったカードは個人のカード。 最初はちゃんと区別していたはずなのに、何年も「アンティ」を繰り返しているうちに、境界なんて曖昧になっていた。 「これ、元々俺のだったっけ?」 「いや、たぶん僕のじゃない?」 そんな会話で済む程度には、気楽な遊びだった。 負けた方は、自分の個人カードの束を裏向きで差し出す。 勝った方が、その中からランダムに一枚引く。 たったそれだけ。 その日も、いつも通りだった。 「じゃ、アンティな」 「了解」 互いにデッキを切り、何度も遊んだテーブルにカードを並べる。 勝負は接戦だった。 運よく追い詰めて、どうにか接戦を制して、勝ち切る事が出来た。 「‥‥よし、勝った」 「負けたかー」 兄さんは苦笑しながら、自分の個人カードの束を差し出した。 僕は裏向きの束へ手を伸ばす。 いつも通り。 何も考えず、一枚だけ引き抜いた。 表へ返す。 そこに描かれていたのは、一人の少女。 ぴっちりとしたボディスーツを身にまとった、可愛らしい少女。 バイクの上に腰掛け、不敵な笑みを浮かべる女情報屋。 IP:マスカレーナ。 兄さんも覗き込む。 その反応は、あまりにも軽かった。 「当たり引いたな。良かったじゃん」 「いいの?」 「そりゃいいだろ、アンティだし」 まるで、「少し珍しいカードが移った」程度の言い方で笑う。 でも、僕は違った。 部屋に帰ってからも、何度もそのカードを眺める。 光を当てる。 そのまま角度を変えて見る。 勝負で勝って、自分の物になった。 その事実が、今までになく心を満たしていた。 「やほ♡」 聞き慣れた声が、部屋に響く。 「今日から弟君がマスターなんだね。よろしくね~♡」 カードが一瞬光り、その光が消えると。 そこには、いつも兄さんの隣にいた少女が立っていた。 「‥‥マスカレーナ。」 「正解~♡」 くるり、と一回転する。 ぴったりとした黒いスーツが光を反射している。 いつもの、人懐っこい笑顔。 「アンティで正式に所有権が移ったからね。今日からは弟君のところでお世話になりまーす。」 「‥‥うん。」 「そんな緊張しなくても大丈夫だってば~」 彼女は笑いながら机へ腰掛ける。 「前からいっぱい話してたじゃん?」 確かにそうだ。 兄さんが呼び出している時、僕も一緒にゲームをしたり、雑談したりしていた。 彼女は兄さんのカードだった。 それが今は、僕のカード。 その事実が、胸を妙に満たしていた。 マスカレーナはそんな僕の様子を見て、小さく笑う。 「あはっ♡弟君、そんなに嬉しい?」 図星すぎて、思わず視線を逸らす。 「‥‥少し」 「ふふっ」 兄さんは、本当に気にしていない。 アンティで負けた。 だから所有者が変わった‥‥それだけ。 兄さんにとっては、昔から続く当たり前のルールの延長だった。 どっちがどっちのカードなのかとか、特に気にしてない様子。 でも、僕は違う。 こうして目の前にいるマスカレーナが兄さんのところへ帰っていく姿を想像しただけで、胸の奥がざわつく。 返したくない。 そんな感情が、静かに根を張り始めていた。 「じゃ、これからよろしくね♡」 目の前に立つマスカレーナから、どうしても目が離せなかった。 黒いスーツは身体に吸い付くように密着していて、輪郭を隠すどころか、むしろ強調している。 胸元の起伏も、腰のくびれも、脚のラインも――全部がはっきり分かる。 サイバーチックな質感のその素材は、レザーよりも薄く、光を受けて滑らかに反射していた。 「んー?」 マスカレーナがこちらの視線に気付いたのか、わざとらしく首を傾げる。 「どこ見てるのかな~?」 僕は慌てて視線を逸らそうとした。 でも、一度意識してしまうと、余計に目が行ってしまう。 いやらしい目線を向けてしまうのも、仕方ないことだった。 「弟君って、思ってたより正直なんだね♡」 「えっ。」 「顔に出てるよ~?」 そう言われて、一気に顔が熱くなる。 視線を逸らしても、どうしても引っかかる一点があった。 スーツは全身にぴったりと密着していた。 それなのに、妙に「滑らか」すぎる。 普通なら、どこかに境界が出るはずだった。 布の重なりとか、段差とか。 けれど、それが一切ない。 スーツの下には、別の衣服が存在しない。 一瞬で、頭の中が熱くなる。 理解したくなかったのに、理解してしまった。 「‥‥っ」 さっきまで以上に、視線の置き場が分からない。 意識すればするほど、その存在が頭から離れなくなる。 マスカレーナはそんな僕を見て、少しだけ目を細めた。 「ねえ、そんなに気になるならさ」 軽い口調で言う。 「触ってみてもいいよ?」 触れていいのか、触れたらどうなるのか。 「ほら。」 逃げ場を失って、僕の手は中途半端に宙に浮いたままになる。 頭の中でぐるぐる考えているうちに――指先を軽く取られて、そのまま彼女のスーツへと導かれる。 硬い装備でも、無機質な何かでもなく、薄いスーツは下の柔らかさを殆ど完璧に伝えてくる。 「弟君、大胆だね♡」 からかう声。 その声が、胸の奥に引っかかる。 「弟君。」 その呼び方。 さっきまでは軽く受け流していたはずなのに、今は妙に耳に残る。 まるで――“マスターの弟”みたいに扱われている気がして。 もう僕のカードなのに。 まだ、完全に「マスター」として見られていない。 そんな気持ちが、じわじわと広がっていく。 「‥‥マスターって呼べ。」 気付けば、口から出ていた。 少しだけ強い口調で。 マスカレーナは一瞬きょとんとしたあと、くすっと笑う。 「へぇ‥‥?弟君、そんなこと言うんだ♡」 その言い方、まだ変わっていない。 だから、手が自然と伸びる。 彼女の腰を越えて、さらに下へ。 ぴったりと身体に沿うスーツ越しに、柔らかな感触が指先に伝わる。 「‥‥んっ♡」 思ったよりも、はっきりとした存在感。 弾力のある感触を、押し込むように確かめてしまう。 スーツ越しなのに、そこにある“形”が分かってしまう。 指先で軽く押せば、ぷに、と柔らかく返ってくる。 一度触れてしまえば、もう躊躇は薄れていく。 「弟君、強引だね♡」 その呼び方のまま。 マスカレーナは少しだけ目を細めて、くすっと笑う。 「ふふっ。」 僕の手の上で、わずかに身体を揺らしながら、わざと間を置いて楽しむように。 「マスター、って呼んでほしいなら――」 その先を言わずに、にやりと笑う。 からかうような態度。 「ほら、どうするの?」 そんな空気を崩すように、指に力を込める。 認めさせるしかない。 押して、確かめていた感触の柔らかく沈み込むそれを、今度は逃がさないように。 指先を滑らせるように動かす。 スーツ越しでも分かる柔らかさを、何度も確かめるように。 擦るように、繰り返し。 「ふふっ‥‥そう来るんだぁ♡」 楽しんでいる。 期待していたみたいに。 その反応が、さらに歯止めを外す。 指先の動きを止めず、一定のリズムで執拗に、逃がさないよう。 「弟君‥‥ほんと、遠慮ないね‥‥♡」 まだ、その呼び方。 だけど、声は変わってきている。 余裕を装いながら、どこか滲むような響き。 「‥‥マスターって呼べ。」 柔らかさの中に、少しだけ硬い部分が浮き出て来て、そこに指が引っかかる。 腰が跳ねるけど、逃がさない。 「‥‥っ、あ‥‥♡」 小さく、彼女の息が漏れる。 だけどその場に立ったまま、僕の手を受け入れている。 「っ、や‥‥そこ‥‥♡」 耐えるような声が出るけど、それでも言わない。 だから、さらに強く。 「‥‥っ、マスター‥‥♡」 その瞬間。 声と同時に、全身が跳ねる。 マスカレーナは、わずかに息を整えながら、こちらを見る。 その目は、少しだけ熱を帯びていた。 『マスター』と、確かにそう呼ばれた。 さっきまでの「弟君」じゃない。 その事実だけで、胸の奥がじんわりと満たされていく。 そして、指先に残っている感触が、それ以上に現実を強く引き寄せていた。 マスカレーナの黒いスーツの股間部分には、はっきりと変化が出ていた。 ぴっちりとした素材に、じわりと滲むような濡れた跡。 光の加減で分かる、湿った質感。 さっきまで触れていた場所。 そこから伝わってきたものが、指に絡みついて残っている。 「ねえ、マスター♡」 わざと、その呼び方を強調する。 「どうするの?」 にやりと笑う。 完全に、分かっていて言っている顔だった。 「そのままにしておくの?それとも――」 完全にからかわれている。 「へ、変な事はしないから!」 慌ててポケットからティッシュを取り出す。 指を拭き取る動きが、少し乱暴になる。 「はいはい。」 マスカレーナは肩をすくめて笑う。 「そうやって慌てると、余計それっぽいよ?」 「うるさい‥‥」 指先を拭き終えても、さっきの感触は頭から離れなかった。 マスカレーナはそんな僕を見て、楽しそうに目を細める。 そのあと、マスカレーナはふっと姿をほどいて、カードへと戻った。 部屋は、さっきまでの熱が嘘みたいに静かになる。 「‥‥」 机の上には、カードと――さっき使ったティッシュ。 何気なく手に取る。 一度は拭き取ったはずなのに、さっきのやり取りが頭にこびりついて離れない。 マスカレーナの笑い方。 「マスター」って呼ばれた瞬間。 指先に残っていた、あの感触。 気付けば、ティッシュを少しだけ顔に近づけていた。 すぐに、はっとする。 「‥‥なにやってんだ。」 誰に見られているわけでもないのに、妙に後ろめたい気持ちになる。 でも――一度意識してしまったものは、簡単には消えない。 さっき触れたときの感触が、やけに鮮明に蘇る。 手のひらに残っている気がする柔らかさ。 指先に感じた弾力。 ほんの一瞬だけ触れたはずなのに、細かい感触まで思い出せてしまう。 「‥‥」 ほんの少し、匂いを確かめるように、ティッシュを近づける。 一瞬、眉が寄る。 生々しい、湿ったような匂い。 単純に言えば、女の子に抱いてた幻想みたいに綺麗なものじゃない。 だけど、どうしても止められなくて。 ズボンの奥で、はっきりと分かる変化。 思考を振り払おうとしても、逆に意識がそこへ集中していく。 もう我慢できなかった。 ズボンを乱暴におろして、手が自然と動く。 頭の中で繰り返されるのは、柔らかさと弾力と、あの反応。 暫くして、そのまま力が抜けて息を吐く。 しばらく動けないまま、天井を見上げる。 ティッシュの匂いと、体の奥に残る虚脱感が、現実感を鈍らせる。 次の日、マスカレーナを呼んでみる。 「やほ、マスター♡」 最初から、その呼び方。 わざと甘く、耳に残る声で。 昨日はこっちから命令して言わせたはずなのに、今日は彼女の方から自然にそう呼んでくる。 「また、触りたくなった?」 からかう声。 でも、前よりも距離感が近い。 ただの冗談じゃない、何かを含んでいる。 「じゃあさ――」 するり、と。 ぴったりと張り付いていたスーツが、音もなく解けるように消えていく。 スーツ越しでも十分に分かっていたはずなのに。 直接目にすると、全く別物だった。 「どう?」 彼女は悪戯っぽく笑う。 「マスターだけに、特別サービス♡」 心臓が跳ねる。 何も言えない僕を見て、マスカレーナは満足そうに笑った。 そして、僕の考えと今のタイミングは、あまりにも都合が良かった。 「悪い、ちょっと今無理。」 兄さんは机に向かったまま、ノートから目を離さずに言う。 「模試近いからさ。」 「あー‥‥うん。」 僕は曖昧に頷く。 カードで遊ぶ時間は、確実に減っていった。 夕飯のあとも、兄さんはすぐに部屋へ戻る。 机に向かい、問題集を開き、ペンを走らせる音だけが聞こえてくる。 「‥‥また今度でいいよ。」 自然な声を装って、そう言う。 今度なんて、来なくても良い。 こうしている間は、マスカレーナは僕の物だ。 「おう、助かる。」 兄さんは軽く手を上げるだけで、また問題集に視線を落とした。 受験のことで頭がいっぱいなのが、見ていて分かる。 だから、独占出来た。 そうして、一年が過ぎた後。 季節が一巡して、同じ時期がまたやってくる。 今度は、僕の番だった。 「最近どうだ?」 久しぶりに、兄さんが声をかけてくる。 リビングで顔を合わせた時の、何気ない一言。 「受験、近いだろ。」 「あー‥‥うん。」 曖昧に頷く。 去年、兄さんがしていた表情と同じものを、自分がしているのが分かった。 「最近あんま遊べてないな。」 兄さんがぽつりと呟く。 その言葉に、ほんの一瞬だけ胸が揺れる。 昔なら、すぐに 「やる?」 って返していたはずなのに。 今は違う。 「‥‥ちょっと余裕なくてさ」 自然に出た言葉。 嘘じゃない。 でも、本当の理由はそれだけじゃない。 「そっか」 兄さんはあっさり引いた。 「まあ、今はそれどころじゃないよなぁ」 それ以上、何も言ってこない。 何も疑っていない。 何も気にしていない。 だからこそ―― 僕は、簡単に距離を取れた。 自室に戻り扉を閉める。 「‥‥」 机の上には、開いたままの参考書、シャーペン、ノート。 全部、ちゃんと“勉強している”形だけは整っている。 でも。 手は、それに触れない。 代わりに、カードケースへ伸びる。 「‥‥マスカレーナ。」 彼女を迷いなく呼ぶ。 光が滲み、粒子が形を作る。 そして、いつものように。 「マスター♡」 甘い声。 黒いスーツの少女が、目の前に現れる。 「今日もお勉強?」 くすっと笑うけど、その言い方に、少しだけ皮肉が混じっているのが分かる。 「‥‥するつもりだった。」 「へぇ?」 一歩、近づいてくる。 「じゃあ、なんで私呼んだの?」 分かっているくせに。 そういう顔。 答えられない。 マスカレーナは、そんな僕を見て楽しそうに目を細める。 「ふふっ‥‥素直じゃないなぁ、マスター♡」 距離が、自然と縮まる。 参考書は開いたまま。 でも、視界には入らない。 頭の中にあるのは、別のものだけ。 「ねえ♡」 マスカレーナが、わざと耳元で囁く。 「今日はどこまで堕ちる?」 その一言で、理性が揺らぐ。 勉強するために部屋に入ったはずなのに。 もう、その目的は形だけになっていた。 「‥‥少しだけ。」 自分でも分かる、意味のない言い訳。 マスカレーナは小さく笑う。 「うんうん‥‥“少しだけ”ね♡」 机の上の参考書は、ページを開いたまま。 でも、その上に影が落ちる。 どろどろの欲望をぶつけた後、 机の上の問題集とノートに向き合う。 ちゃんとやらなきゃいけない理由も、分かっている。 “勉強するから”って言い訳に使った。 だからこそ、成績を落とすわけにはいかない。 この言い訳を使う以上、結果が伴っていないと不自然だから。 もし落としたら。 そうなれば――この時間が壊れるかもしれない。 勉強して、進路を考えて。 その時に気付いた。 気付いたのは、ほんの些細な瞬間だった。 学校で貰った進路希望の紙を前にして、ペンが止まる。 「‥‥」 何を書こうとしていたのか、一瞬分からなくなる。 将来のこと、大学への進学、就職。 普通なら、もっと現実的な理由で選ぶはずだった。 偏差値とか、通いやすさとか、やりたい分野とか。 でも。 頭の中に浮かんでいたのは、別の基準だった。 ――ここなら、偏差値も高いから、受かったら多少の融通が利くだろう。 ――ここなら、家からは少し遠いから、一人暮らしを提案する事が出来る。 ――ここなら、誰にも邪魔されない。 「‥‥っ」 手が止まる。 一年、たった一年で。 ここまで思考が侵食されている。 いつの間にか後ろにいるマスカレーナが、くすくすと笑う。 「ちゃんと勉強して、ちゃんと結果出したら――」 わざと間を置く。 「その分だけ、私に溺れていいよ♡」 その提案は、あまりにも都合が良すぎた。 もう、彼女との事を最優先に自分の人生設計しているのだと、気付いてしまったから。 時間が出来て、久しぶりに兄さんと向かい合って座る。 テーブルの上には、スリーブに入ったカードと、デッキケース。 「久しぶりに遊ぶな。」 兄さんが笑う。 「バイトした金でだいぶ仕上がったぞ、これ。」 「へぇ。」 僕もデッキを取り出しながら頷く。 空気は、昔と同じはずだった。 でも。 胸の奥だけ、少し違う。 兄さんと距離を離していたけれど、別に嫌いになった訳じゃない。 だから、遊びたいという気持ちも本物だった。 ‥‥アンティは? そう聞きそうになって、言葉を飲み込む。 代わりに、向こうから口を開いた。 「今回は普通にやろうぜ。」 あっさりとした口調。 「デッキもテーマカードでちゃんと揃ったし、アンティはもういいかなって。」 「‥‥そっか。」 拍子抜けするくらい自然な理由だけど、その言葉を聞いた瞬間。 どこかで、ほっとしている自分がいる。 同時に。 ほんの少しだけ、違和感も残る。 対戦中、一枚のカードが目に入る。 他よりも明らかに扱いが丁寧な一枚。 何気なく視線を向けると、マスカレーナを見た時と同じ感覚。 ただのカードじゃないと、分かってしまった。 思わず、口元が緩んで苦笑が漏れた。 「ん?」 兄さんが怪訝そうに見る。 「なんでもない。」 首を振る。 多分、兄さんはこのカードを手に入れたから、アンティを辞めたんだろう。 兄弟揃って、どうやら似た物同士みたいだ。