食堂のカツカレーを思い出す。 実習のあいだ、何が一番印象的だったかを考えながらレポートに向かう、書くべき事はいくつもある。 長くはないが短くもない数日の船旅、進化した巨体で船の隣を進んでは荷の積み下ろしも手伝ったパートナー、入港した見知らぬ土地の景色や知らない匂い、慣れない事だらけの自分達を気遣ってくれた船員達。 それでも象徴として脳裏によぎるのは、実習を終えた自分達を迎えに来た背の高い彼女に連れられて入った埠頭の食堂、向かい合って食べたボリュームたっぷりカツカレー。 太陽が中天にある時間、ギラギラと刺すような夏の陽射しと対照的なブルーグレイの重たい海がよく見える窓際の席、冷房の効いた店内での時間。 デジタルワールドを旅した者、こちらでデジモンを拾い育てた者。 パターンはいくつかあるが、デジモンに関わり今後もデジモンと共に生きようとする人間への支援は近年は意外と手厚く。公的機関と複数の企業が連携した社会復帰や就業支援のプログラムがある。 パートナーの進化体にデストロモンという巨大戦艦を有する片桐篤人には、海洋産業の選択肢があった。 人員物資の運搬、悪天候を無視出来る高い航行性能、意思疎通出来それ自体も作業可能な巨体。 全ての武装に厳重なロックを掛けるという前提で、デストロモンは引く手あまただ。 将来どんな職に就くかは分からない、ただ今のうちからパートナーの力の活かし方とどんな選択肢があるか知っておいた方が良い。 支援プログラムの担当者の勧めもあり、篤人は一つの会社の貨物船での数日間の実習を選んだ。 そこはプログラムのパートナー企業の一つ、代表の王水麗が篤人と同じく、デジタルワールドからの帰還者だった事も理由の一つだったかもしれない。 そうして数日の船旅と最後の積み下ろしを済ませた実習の終わり、迎えを待っていた篤人の前にその王水麗が現れた。 「ちょうどタイミング合ったから、うちを選んでくれた子なら最後まで面倒見たいしね」 社長と言うものはもっとフットワークが重いだろうと考えていた篤人の動揺を気にもせず、話が進む。 気付けばパートナーのジャンクモン共々彼女の車に乗せられ、お互い昼飯がまだという事で埠頭の食堂まで運ばれた。 「なんか食べたいのある?なかったら苦手なの教えて」 「俺様カツカレー食いてえな、慣れねえ事して疲れたから食いでが欲しい」 篤人が答えるより先に、ジャンクモンの言葉を受けた水麗がカツカレー定食3人分を注文してそのまま窓際に陣取る。 港の労働者の活気に満ちた食堂、その中でパペット型デジモンを連れた詰襟の少年とチャイナドレスの女の組み合わせは目立って仕方ないが、向かいの彼女には周囲の視線は取るに足りないものらしい。 白いテーブルに届いたカツカレー定食は、港の労働者達を満足させるだけのボリュームに溢れていた。 白米とルーを幅広の厚い豚カツが隔てる3層構造のカツカレー、横には玉ねぎの味噌汁、鮮やかなトマトとキュウリのサラダ、いずれも並より多い量。 自分とジャンクモンには丁度良いが女性には厳しい気配、しかし今回相席している彼女に限っては杞憂だったらしく、向かいのカツカレーはハイペースで減っていく。 船員との関係はどうだったか、慣れない環境で不調はなかったか、飯はちゃんと食えたか。定食を口に運びながら家族とでもするような会話が続く。 その態度にようやく、この派手な女社長は自分を心配していたのかと思い至り、同時に湧いて出た疑問が篤人の口をついて出る。 「どうして、僕に構ってくれるんですか」 予定が噛み合ったのはそうなのだろう、それでも社長という立場の人間が、特に面識があるわけでもない支援先の子供一人に時間を割くのには違和感があった。 早々に食べ終わり麦茶に口を付けていた水麗の動きが止まる、もしや何か良くない一線を越えたのかと冷や汗をかく少年をよそに女の目は何かを思い出すように上に向く。 「そうね……、世界に怒ったり絶望して欲しくないからかな?」 「……え?」 「ん?」 予想外にすぎる言葉に篤人もジャンクモンも呆気にとられる。 「全部すっ飛ばしてそれだけ言っても分かんないでしょ……、最初から説明しなさいってば」 見かねて意見したのはこの場に居合わせるもう一つの声、水麗のパートナー、デジヴァイスの中に宿る実体を持たないスピリット、霊蛟。 スピリットは通常のデジモンとは異なる形態を取り戦闘時には持ち主と一体となると言うが、平時はデジヴァイスから声だけが響く幽霊じみた存在だ。 パートナーからの意見に改めて思考した水麗は、懐かしむように窓の外の海に目を向けて語り出す。 「私ね、君より年下の11歳の時にデジタルワールドに飛ばされて戦ったの、おかげで霊蛟に会えたし他にも色々あって今となっては良い思い出なんだけど、あの頃は世界が許せなかった」 世界が許せない、ただの思い出としてこぼすにはやや重く無視出来ない言葉だが我慢して先を促す。 店内の涼しさも他の客の賑わいも、どこか遠ざかっていく感じがした。 「どうして子供の私がやってるんだ、なんで私に守らせておいて私を守ってくれないんだよ、ってそんなデジタルワールドと大人への怒り」 篤人の変化を察しているのかいないのか水麗は淡々とした語り部だった。 「それが全部じゃなかったし、私が皆を助けよう世界を救おうって気持ちの方が強かったけど。ただ私より長く生きていたり強いはずの相手が頼りにならず助けを求めてきて、そんな特別に選ばれた時間が終わったらただの子供に戻されたり、そういう物だから仕方ないからで回ってる世界と大人の都合が嫌いで、突き放された気分がした」 海を見つめる目がそっと細まる、釣られて篤人の目も窓の向こうの海に向く、何もかも沈めて封をしているような重たいブルーグレイの海だけがそこにある。 「私がいたじゃない、それじゃ駄目だったわけ?」 11歳の時からのパートナーの拗ねた声に水麗は笑みをこぼす。 「アンタは私でしょ、おかげで一人でも一人じゃなかったし他にも仲間はいたから寂しくはなかったけど、それ以外にはどんどん冷めていった」 残っていた麦茶を一気に飲み干すと、篤人の方に向き直った。 「それもこれも20年も前の話、あの頃の気持ちはそう感じていたなって記憶でしかなく、私は大人って生き物が思った程強くも図太くもないのだと知ったし、私自身も仕方ないをする大人で最善を尽くせない事ばかりだと分かってる」 それでもと、かつて少女だった瞳が真っ直ぐ前を見る。 「11歳の子供の王水麗が自分を取り巻く世界に怒って失望して傷付いてたのは本当で、むざむざそれを繰り返す側になるわけにも行かないし、放っておきたくないからせめて支援をしたり首を突っ込んだりしてるわけ、長くなっちゃったけどこれで良いかな?」 とっくに空になった器だけがならぶテーブルに頬杖を付いた先達に、話を聞き終えた篤人の口から、抱えて来たものの一つが絞り出される。 支援プログラムの関係者で自分の名前も顔も知っている彼女は、自分がデジタルワールドで経験した事を知っていると今更になって気付いて。 「僕も……そうなるんですかね、この感情が思い出になって痛む事もなくなって、さわれる様になる日が来るんですかね」 「さあね、私と君は違うから、君とその感情の間にどんな決着がつくかは分からない、出来るのは君がそれ以外を経験する手伝いとまたそれを味わわないよう全力を尽くす事だけ」 カランと、麦茶が入っていたコップの氷が音を立てる。 言葉が途切れて周囲の雑踏がまた耳に届き出す、ここには昼食に来ていたのだと思い出した篤人の横で、長話が苦手なのか頭を掻いていたジャンクモンがやっと口を開けた。 「要するによぉ、社長の姉ちゃんは篤人と俺様の味方ってわけかい?」 散々語って出した結論を一言で済ませるものを直球で投げられて、篤人の味方は一瞬目を丸くしてからくつくつと笑い出す。 「そうねそうだわ、私は片桐篤人とジャンクモンの味方、何かあったら頼ってちょうだい」 改めて口にするには照れ臭かったのか、この場を切り上げるように水麗が立ち上がる。 「そろそろ出ようか、駅まで送るわ」 「はい」 篤人も頷いて、ぬるくなった麦茶を飲み干して後に続く。 未だ賑わう食堂の厨房に向けて、他の客と同じように礼を言った水麗を真似てジャンクモンと二人で厨房に声をかけ、外へ踏み出す。 太陽はまだ真上、陽射しは激しく空気は熱い、それでも食堂に入る前より足取りが軽いのは腹が満ちているせいだけでもないだろう。 先を往く背中、味方と約束してくれたそれにまだ今日の礼を言っていなかった事を思い出す。 「社長、今日はありがとうございました、それと……えっと社長が誰かを助ける時は僕にも声かけてください、僕も社長の味方ですから」 格好をつけた言い方な事に後から気付いて少し赤くなる、それでも振り返って来た顔から目は逸らさず。 それを見た彼女も、どこか満足気に微笑んだ。 「ありがと、期待しとく」