「魚ーーーー!!!!」 いつ以来ぶりの星見市の海。 波打ち際へ向かって走っていく雫の背を見ながら、俺は海面の日差しの反射に目を細めた。 かつてはうまく話しができないことに落ち込んで、ここまで逃げ込んできたりしたこともあったが…。 改めて、本当に変わった…いや、成長したな、雫は。 「ね、牧野さん。早く早く!」 「ああ、今行くよ」 ちょっと疲れが見えていたから気晴らしに誘ってみたが、この笑顔だけでも来てよかったな。 「ふふふ、今日は目一杯遊ぶ…!ビーチボール、浮き輪、水鉄砲…それに、何をおいてもやっぱり釣り!」 「雫は本当に海が好きなんだな。あ、そうだ。遙子さんがせっかく海に行くなら、ってスイカを用意してくれたぞ。  クーラーボックスに冷やしてあるから、後でいただこうか」 「おお、スイカ!『何か飲みたいスイカ食べたい』!」 「『それは夏のせい』」 「さすが牧野さん。合いの手も完璧」 ぐっ、と親指を立ててお褒めの言葉をいただいた。 「おっと。時間ももったいないし、そろそろ着替えてきたらどうだ?」 「はっ、確かに…。それじゃ、行ってきます」 「ああ、待ってるよ」 さて、俺はパラソルとか諸々を準備しておこうかな。 ----- 「お待たせ…」 「ああ、来たかしず…く…?」 「?どうかした?」 「え、いやその…水着、よく似合ってるぞ!うん」 「そ、そう…?頑張って選んでよかった…」 そう、水着は似合っている。とても。 …こういうことを考えるのは失礼なのは承知の上だが…なんだか、『大きく』なっているような…? グラビアのチェック(…チェックだからな?)とかで見慣れているはずなんだが…。 「えっ、と…」 「ん?」 「背中届かないから…日焼け止め、塗ってほしい」 「!あ、ああ、そうだよな、うん。任せてくれ」 「お願いします。んしょ…」 雫は俺に日焼け止めを渡すと、ビニールシートの上に寝そべった。 ええい、あまり意識するから気になるんだ。一気にやってしまおう! …とはいえ、塗り残しがあってもいけないしな…。慎重に、かつ迅速にことを進めなければ。 ぬり…ぬり…。 「ん…」 「ど、どうした?」 「牧野さんの、手が」 手!?な、なんか変なところでも触ったか…? 「あったかくて、大きい…」 「そ、そうか…」 無心だ、無心になれ…。 「もう、大丈夫そう。ありがとう、ございます」 「あ、ああ…。それじゃ、まずは何をするんだ?」 「まだ。牧野さんも、日焼け止め塗らないと、後が大変」 「え。そ、それはそうかもしれないが…」 「ダメ。さ、まずは着替えてきて」 雫を一人にするのは心配だが、仕方ない…。 「わかった。ちょっとだけ待っててくれ」 「うん。行ってらっしゃい」 なるべく早く戻ろう。俺は小走りで更衣室を目指した。 ----- 「それじゃ、塗っていくね」 「あ、ああ…よろしく頼むよ」 「ん、しょ…」 雫の手の動きを背中から感じる。なんだか不思議な感覚だ。 「おお…意外と、ごつごつしてて、広い」 「まあ、女の子と比べればそれはな…」 雫の小さな手だとまだまだかかるだろうか。 くすぐったさに時折体を動かすと、そのたびに雫の手の動きも止まる。 「…ふむ」 急に何やら考えるようなポーズを取り始める雫。 「雫?どうした?」 「…ここ!」 「うひゃあ!?」 いきなり脇腹近くを触られて、妙な声が出てしまった。 「弱点発見」 「ちょ、ちょっと待ってくれ!それは卑怯だろ!?」 ちょっと悪い顔をしていた雫に目を向けると、 「ん〜…仕方ない。今日"は"やめておく。遊ぶ時間も無くなっちゃいそうだし…」 「そうしてくれ…」 不穏な接続詞は聞こえなかったことにした。 ----- ひとしきり遊んで、日も傾いてきた。着替えて一旦車に戻り、ラムネで乾杯だ。 「うーん…満足!」 雫は額に浮かぶ汗をぬぐって、満面の笑顔。 「リフレッシュできたみたいだな」 「うん。今日は、ありがとう、ございます。でも、やっぱり最後は、これ」 そうだよな。それをまだやっていなかった。 「ちょうどいい時間。天気もいいし、絶好の釣り日和」 釣り竿を手に、ニヤリと笑う雫。先ほどまでとは打って変わって、ハンター(アングラークイーン)の顔だ。 「よし、どこに行く?」 「うーん、今日の感じだと…あっちの桟橋の方とか」 「了解」 諸々の荷物を持って、雫の示した桟橋へ向かう。 ここから見える景色もなかなかいいものだ。 「ん〜…これと、これと…」 雫は真剣に道具を選んでいるな。でも、こういう時間も楽しみの一部なんだろう。 「…よし、これで行こう」 いざ決めたら早い。あっという間に準備を整えて、俺の分の釣り竿を手渡してくれた。 「いっぱい釣って帰ろうね」 「ああ」 雫の読みが冴えていたようで、今日の釣果は上々だ。クーラーボックスに次々と魚が収まっていく。 「雫、そろそろ一杯になりそうだけど、どうする?」 「あ、ほんとだ…。そうだね、いい時間だし、今日は…ん!待って、また、かかった…!」 釣り竿に向き直った雫に続いて視線を海面に移すと、激しく水飛沫が上がっていた。これは、大物だ! 「手伝ったほうがいいか?」 「んぐ…!お、お願い、します…!後ろから、支えて…!」 「わかった!」 必死な形相の雫の後ろに回り込み、両側から腰に手を回した。 魚に引っ張られてふらついていたのが、心なしか安定した気がする。 「ん、なんとか、大丈夫そう…!」 「よ、よし。頑張れ、雫!」 「うん、任せて…!」 雫が少しずつリールを巻き上げていくにつれて、水飛沫も段々と近づいてくる。もう少しだ、頑張れ…! しかし、その時の俺はまだ気付いていなかった。近づいてくる魚影を追っていくと、視線も少しずつ下に向かうということに。 服を着ている状態ではあるが、雫の胸元が視界に入ってしまった。(服越し!服越しです!見えてない!) その一瞬の動揺がよくなかった。 「あ、あれ…なんか力が弱くなった?」 「あ。す、すまん!」 「ん、疲れちゃった?もうちょっとだから、頑張ろう。後ろから支えてもらえると、安心できるから…」 「…ああ!」 そこからさらに格闘すること5分ほど。ようやく釣り上げることに成功した。もちろんこの日一番の大物だ。 「…やったね!」 「なかなか大変だったな…大丈夫か?」 「うん。釣れたら、疲れてたのなんて忘れちゃうから」 そういうものか。ドーパミンとかそういう話なのかもしれない。 「あ、そうだ。記念写真、撮ってくれる?」 「ああ。ちょっと待ってな」 今日はもう何枚も撮影していたが、新しい思い出がもう一枚。 今日一番の笑顔が、記録に収まった。 「よし、そろそろ帰ろうか。…雫?」 「ん…いっぱい背中触って、触られて、後ろからぎゅっとされたのが、今さら恥ずかしくなってきた…」 「本当に今さらだな!?」 その時。 「わぁ…」 遠くの空に、花火が上がった。 「あれは…シーパラさんかな」 「うん、たぶん…」 見慣れたジェットコースターやタワーの近くに上がっているから、きっとそうだろう。 「今度は、一緒に花火見れたね」 「あ、確かに…前はちゃんと見れなかったもんな」 あの時よりも、ほんの少し大人になった雫の顔を、改めて見つめた。 「…今日は本当に、楽しかった。連れてきてくれて、ありがとう、ございます」 「…ああ。また来ような」 星見市自慢の星空の下で、俺たちは新しい約束を交わしたのだった。 終わり。