架空イベント「暑い国から帰ってきたスパイ」 Ev3-1 ミッション・ポッシブル  ――――かくて因果はひと巡り、報いをもたらすというわけさ。  カラカス、エリア3商業区。  大きな公園の外れを大統領宮の方角へ少し進み、角を曲がったところに小さなパン屋がある。  特別立派なわけでも、有名なわけでもない。退役したニンフとウンディーネが二人で始めた、近所の住人に朝食やおやつを提供するだけの素朴なパン屋だ。  シラユリがドアを開けると、ベルが軽やかに鳴った。 「いらっしゃいませ」 「ワッフルを下さい」 「あ、ごめんなさい!」カウンターに立つニンフが申し訳なさそうに両手を合わせた。「ワッフルは月曜日しか焼かないんです」 「そうですか」シラユリはふう、と息をつき、「チョコと、マーマレードと、メープルシロップが三分の一ずつかかった特製ワッフルを一ダース欲しいのですが、それも品切れですか?」 「……ああ!」一瞬だけ考えたあと、ニンフがぽんと手を叩く。「それならあります。ちょっと待ってください」  ニンフはいったん奥に引っ込んで、大きな紙袋を持ってきてシラユリに手渡した。シラユリは袋を受け取り、代金を払って店を出ると、公園までのんびり歩き、人気のない片隅のベンチに腰を下ろした。  袋の中から、ていねいに一つずつ紙でくるまれたワッフルを取り出していく。十二個すべて出してから、もう一度袋へ手を入れると、古めかしいオープンリール式の小型テープレコーダーと、一枚の封筒が出てきた。  膝の上に置いて、スイッチを入れる。封筒を開けると、中には一枚のエルブンの写真と、彼女の経歴を記した履歴書が入っていた。 《お早う、シラユリ君》テープレコーダーから声が流れ始めた。《彼女はエルブン・フォレストメーカーgtF3c36。旧ガイアナ、ジョージタウン拠点で暮らしていた平凡なバイオロイドだ。姉妹機のダークエルブンgtF3n09があるときトリニダード・トバゴ拠点へ招聘されたが、それきり行方知れずになったという。こちらで調べてみたが、当時トリニダード・トバゴにダークエルブンが配属された記録はなく、行方不明扱いになっている。  そこで君の使命だが、このダークエルブンを探し出し、姉妹と再会させてやることにある。例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは負傷しても、当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する。成功を祈る》  音声が終わるとシラユリはワッフルを丁寧に袋へ戻し、封筒とともに小脇に抱えてベンチを立った。後に残されたテープレコーダーは、突然パンと音を立てて火を噴き、あっという間に燃え尽きてしまった。 「先日の報告書です」  ドクターと雑談していたところへシラユリが入ってきて、いくらか乱暴に書類をデスクへ置いた。中を見ると、以前から定期的に実施している、PECS支配下で暮らしていたバイオロイド達の再会支援サービスに申し込んだエルブンの調査結果だ。 「どうやら当時、移送中に鉄虫と戦闘になり、グアノコ拠点で治療を受けてそのまま居着いたようです。安否を確認し、迎えを送っておいたので、来月にはジョージタウンに戻れるでしょう」 「ありがとう。さすが、仕事が早いね」 「特段の困難はありませんでした」シラユリは一礼してから、ちょっと険しい顔になってデスクに手を置いた。「それよりなんです、あのテープレコーダーは」 「いいだろう、あれ? 素材を工夫してね、環境にも優しいんだ」  俺ではなく、デスクが得意げにしゃべり出した。  あの後、到着した太平洋艦隊の部隊にコロニアの調査を任せ、俺たちとノーワンはカラカスまで戻ってきた。いや、ノーワンは机になったまま動こうとしなかったので、ノーワンをカラカスまで持ち帰ってきた、と言うべきか。  俺はノーワンに……もちろん、ドクターやスカディーによる徹底的なチェックを経た上でのことだが……オルカの080機関の局長兼、俺の執務机として働いてもらうことにした。もちろん懸念の声はあったし、 「正気かね? あんなことがあった後で、この私を司令官の一番近くに?」  ノーワン自身からもこんなことを言われたくらいだが、今のオルカを知ってもらうにはこれが一番いいと判断したのだ。  何より、 「なあ、この一列に並んだボタン何?」 「各支部の支部長に繋がるホットラインを接続していたボタンだ。今なら各部隊の指揮官などにつないでおくといいかもしれないな」 「引き出しの中になんか出っぱりがあるんだけど」 「右に三回、左に二回押してみたまえ。足下の隠し引き出しが開く」 「肘掛けの下にあるこのスイッチは?」 「緊急用のマシンガンと防弾スクリーンがポップアップする。危ないから無闇に押さないでくれよ」  こんな面白いギミック満載の机、使いたくなるじゃないか。 「ドラマの見過ぎです。無駄に回りくどいだけで、秘匿手段としてはあまりに時代遅れ。そもそも、別に秘匿する必要などない普通の指令ではないですか」 「特製ワッフルはどうだったかね」 「たいへん美味でしたが、それとこれとは別です」 「ニッキーやトモにはたいへん好評なんだが」 「その二人だけでしょうが!」 「私もわりと面白いと思ったけど」ドクターが笑い、シラユリは頭をかかえた。 「あなたまで……」 「そういえば、ヴァイオラが使ってた装備もノーワンが造ったと言ってたな」 「あれは自信作だ。特に腕時計、あのサイズに七つもの機能を詰め込むのは苦労したんだよ」 「まったく……私たちのトップが、こんな性格だったとは……」  頭をふりふりシラユリが出ていくと、俺はドクターと顔を見合わせて笑った。 「私の下にいたシラユリモデルとは別人のようだ。丸くなったものだなあ」 「そうでもないよ」ドクターは小さなお尻を机にひょいと乗せた。 「実はそう丸くないと?」 「逆、逆」ドクターは指を振る。 「ずっと昔、私がいた支部のみんなはね……本部と連絡がつかなくなって、補給の当てもなくなって、もうどうしようもなくなった時、人間の救助要請に応じて出動していったんだ。どうせヒュプノス病にかかった人達で、助かる見込みなんてなかったのに」 「……どうなったんだね、それで?」 「全滅しちゃったよ、もちろん。でも最後に、ノーワン局長と同じようなことを言ったよ。人類がいなくなった今くらい、本当にしたいことをするんだ、人を守るために戦いたいんだって。だからさ」ドクターはいたずらっぽく笑った。 「080機関の人って、長くやってるとみんな同じような気持ちになるものなのかもよ」 「そうだな。……そうかもしれないな」 「さて、今日の仕事も終わった。いい天気だし、ちょっと散歩しようか。ノーワン、つきあってくれ」 「いいとも」 Ev3-2 カラカスより愛をこめて 「あっ、司令官様だ!」 「司令官様、それかっこいい!」 「やあみんな、遊びに来たよ」  公園でボール遊びをしていた子供型のバイオロイド達がいっせいに駆け寄ってくる。俺は椅子に座ったまま手を振って答えた。  最近はこうして、ノーワンの人型モードに乗っかって街を散歩することが多い。てっきりノーワンが自分で自分を改造したのだと思っていたが、人型モードは最初から設計されていたのだそうだ。非常時に要人……つまり、この机に着いている人間を守るための機能だそうで、ノーワンが変形すると座っている俺は椅子ごとノーワンの背中に半分埋め込まれるような形になる。なんとなく、ロボットのコクピットにいるようで気分がいい。 「旧時代、本来の意味でその椅子に座った者は誰もいなかったがね。私も百年越しにようやく、ふさわしい主人を得たというわけだ」 「お世辞はいいよ」 「いやいや、本心だとも」  この状態で外を歩くのにはもう一つ効能があって、今みたく子供たちがめちゃくちゃ食いついてくる。 「司令官様、コクピットに乗せて!」 「私も、私も!」 「はいはい、順番にな」  俺は椅子から降りて、かわりに子供たちを順番に乗せてやる。ノーワンも心得たもので、ポーズをとって写真を撮らせてあげたりしている。そのうちヒーローショー用の外装でも作ってもらおうか……などと考えていると、広場でサッカーをしていたグループがこっちに気づいて駆け寄ってきた。その中の一人、栗色の髪にスカートの子がひときわ大きく手を振る。 「司令官様! ボス!」 「ヴァイオラ、元気そうだね。カラカスはどう?」  ヴァイオラ……今はもう男装をやめ、どこから見ても普通の女の子になった彼女は輝くように笑った。 「楽しいです! いろんなことができるし、ご飯は美味しいし、夢みたい」 「サッカーはそんなに好きじゃない、って聞いた気がするけど」  俺がちょっと意地悪して聞いてみると、ヴァイオラは恥ずかしそうにうつむく。 「やっぱり、体を動かすのもけっこう楽しくて……でも! このあと、エリー姉さんにお茶会のマナーを教わりに行くんです!」 「おっ、そうなのか。エリーは結構厳しいらしいから、頑張ってな」  とたんに不安そうな顔になったヴァイオラに、俺とノーワンは顔を見合わせて笑った。 「ねえ、空飛べる? 飛べる?」 「残念ながら空は飛べないなあ。設計中だったオプションユニット『リトルネリー』が完成していればねえ」 「地面は? 地面はもぐれる?」  ヴァイオラを見送ったあともノーワンは大人気で、子供達が列をなしている。俺は邪魔にならないようそばにあったベンチに腰をかけた。  さて…… 【ノーワンの体が空くまで待ってようか】 【先に大統領宮へ帰っておくか】 【少しお腹が減ったな】 【エリーのお茶会につきあってみるか】 【そこらを散歩でもするか】 【ノーワンの体が空くまで待ってようか】  今日は特に用事もないし、ノーワンの体が空くまでしばらく座って待っていよう。 「司令官様、こんにちは!」 「司令官、久しぶり!」 「人間様、初めまして。お目にかかれて嬉しいです」  道行くバイオロイド達が、俺を見かけると駆けよってきて挨拶してくれる。俺の人気だってノーワンに負けていないのだ。いや、張り合っても仕方ないが。 「あら司令官、ここ座っていい?」  俺の返事を待たずに、黄色いトレンチコートの大きなお尻がベンチの隣にねじ込まれてきた。 「じゃあ私、ここ」白いミニスカートのお尻がひざの上に乗ってきた。 「じゃ、じゃあ私はここで……」背中からそっと腕が首にまわされた。 「珍しい取り合わせだな。三人とも、もう体はいいのか?」  ニッキーにネオディム、そしてファントム。コロニア攻略戦で、ニッキーとネオディム、それにエキドナは陽動役として一番多くの敵を引きつけ、最前線で踏ん張ってくれた。ファントムは言わずもがな、俺の極秘指令を受けて密かにノーワンに張りつき、仕掛けられた爆弾の回収まで担当してくれた。みんな大変な仕事をやりとげたし、ニッキーなどは負傷もしていたから特別休暇を出したのだが、もうすっかり元気そうだ。 「おかげさまでね」ニッキーが白い歯を見せて笑う。 「よく寝た。お昼まで寝てた」ネオディムは俺に背を預けて、うーんと気持ちよさそうに伸びをする。 「エキドナは?」 「美食会の用事だとかで、出かけていきました」ファントムが答える。彼女も元気なようで何よりだ。 「あらためて、みんな本当にありがとう」 「私、めちゃくちゃ頑張れた?」ネオディムが俺の顔に頬をすりつけてくる。 「ああ、めちゃくちゃ頑張ったな。おかげでシェードも助けられた」 「お礼言われた」ネオディムはふんす、と得意げに鼻息を吹いた。 「私もいい経験ができたわ。バミューダの子たちとの連携もうまくいったし……」ニッキーはふっと笑みを収め、遠い目をして空を見上げた。 「私ね、ヨコハマでは色々とあったから。正直、本部には思うところもあったのよね。でも今回ノーワン局長のことを知って、なんだか吹っ切れた感じ」 「ああ……」  戦いの連続でちゃんと考える暇もなかったが、ノーワンは確かに080機関の局長だった。ということは、旧時代に080機関が行ってきた数々の作戦……その中には非道なものも、ニッキー達エージェントを道具のように使い捨てるものもあっただろう……を立案し、指示してきたのが彼だということだ。それは思うところもあるだろう。 「軽率だったかな。ノーワンをオルカの080機関のトップに置いたのは……」 「え? ああ、それは別にいいんじゃない」ニッキーは明るく笑った。「ノーワン局長が、私たちのことをよく知っていて使いこなせるのは確かだもの。みんな反対しなかったでしょ」 「そうだけど……」 「私はむしろ楽しみよ? オルカのノーワン局長が、これからどんな風に080機関を切り回してくれるのか」ニッキーはぐい、と俺に体を寄せてきた。 「でもまあ、そんなに気にしてるなら、追加のご褒美をねだっちゃおうかしら」 「うん?」 「そういう話をしてたのよ。ねーファントム?」 「え、あ……う……その」ファントムが背後から俺を抱きすくめてくる。「もちろん、司令官のために戦うのは当然と思っているが……それはそれとして、ご褒美をもらえるととても嬉しい……」  ニッキーが俺の腕をとって、自分のコートの内側へと導いていく。こら、と叱ろうとしたところで、 「…………」ネオディムがうるんだ目で俺を見上げてきた。その目に……俺は弱い……!  俺は助けを求めて顔を上げた。広場にいたノーワンが、わかっている、という風にうなずき……  ……大勢の子供たちをまとめて肩へ乗せて、大股に歩き去っていった。おおーい!! 「近くに馴染みのホテルがあるの。レストランは美味しいし、部屋も貸してもらえるわ。どう?」 「……わかった。行こう」俺は観念してうなずいた。  ニッキーお勧めのホテルのスイートルームで、俺は三人ともしっかりと、もう一日休養が必要な状態にしてあげた。  自分で言うのも何だが、覚悟を決めた俺は強いのだ。 【先に大統領宮へ帰っておくか】  俺はまだまだ子供達に群がられているノーワンを置いて、一足先に大統領宮へ帰ることにした。  愛しいパネルちゃんを使った通常業務は取り上げられてしまったが、戻れば戻ったで細かい仕事は色々あるのだ。バタバタしているうちあっという間に夜になり(ちなみにノーワンはいつの間にかきっちり執務室に戻っていた)、俺は夕食を食べて眠りについた。  みょうに重苦しい感覚で、俺は目を覚ました。  正直、初めての感覚ではない。いやむしろ、わりとこういうことはよくあると言うべきだろうか。ベッドの上に誰かがいる……俺の腰の上にまたがっているのが一人。両足を抱いているのが一人ずつ。  ベッドサイドのランプに伸ばそうとした手を、つかんで止められた。 「お待ちください、司令官」 「……シラユリ?」  暗闇に目が慣れてくると、うっすらと人影が判別できるようになる。顔ははっきり見えないが、この声、体、仕草は間違いなくシラユリだ。 「お休み中に失礼します」 「こんばんは、司令官!」  そして両足にひっついているのはエイミーとトモだ。全員普段の服でも、寝間着でもなく、スニーキングスーツに身を包んでいる。どうやら080機関の古参メンバーに、そろって夜這いをかけられてしまったようである。 「局長が加わって080機関もより強力に再編成されたでしょう? それで、あらためて基礎訓練をやり直そう、ということになったんです」 「課題その1、司令官の寝室にこっそり忍び込んでみよう! ってわけ」  いやいやいや。そんな基礎訓練があってたまるか。  とはいえ、夜番についているはずのコンパニオンが何も反応しないということは、すっかり話の通っていることではあるのだろう。 「忍び込んで、どうするんだ? 何かを盗みに来たのかな?」 「……そうですね。ある意味では」  ジー、という軽い音とともに、視界の中央に白い肌が浮かび上がる。シラユリがスーツのジッパーを下げながら、俺にのしかかってきたのだ。  エイミーとトモも、スーツの中央になぜかちょうどよく設けられたジッパーを下げつつ足から胴へ、胴から肩へと這いのぼってくる。俺はあっという間に、三つの白い谷間に埋もれてしまった。 「……そう簡単にいくかな?」 「どうでしょうね? 試してみませんと」シラユリが妖艶に微笑んだ。 「実戦訓練をぜひ、お願いします」エイミーが赤い唇を舐めた。 「ことわざにもあるでしょ? 習うより舐めろ、ってね!」トモが明るく笑った。……まあある意味間違ってはいないかもしれない。  俺は両手を広げて、三人をまとめて抱きしめた。  実戦訓練は朝まで続いた。俺は三人をまとめて返り討ちにし、勝利を収めた。  でも三人ともとても満足そうな顔で失神していたので、どっちが勝ったのかは正直なところ、よくわからない。 【少しお腹が減ったな】  ちょっと小腹が空いてきた。夕食にはまだ時間があるが、何か腹に入れたい気分だ。  この時間はたしか、ソワンはエリア2にあるレストランで仕事してたはず……ちょっと行ってみるか。 「ペッカリー肉のハムと、パームハートのサラダですわ」 「もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……パームハートって初めて食べたけど、面白いわね。淡泊っていうか……もっとガツンとした味付けをしてもいいんじゃない? ハムは最高」 「なるほど。あと三種類ほどドレッシングを出しますから、食べ比べてみて下さい」  半端な時間のせいか、レストランは空いていた。一番奥の席にエキドナがいて、何やらソワンの持ってくる料理を一心に食べている。 「ご主人様、いらっしゃいまし。軽食でしょうか? すぐ準備いたしますわ」 「頼む。エキドナは何をしてるの?」 「先日の遠征で、こちらの食材について色々と経験が積めましたので、試作をしていたのです」 「美食会代表として、それを試食してあげてるってわけよ」もぐもぐと口を動かしながらエキドナが言い添えた。 「別に頼んではいませんが、誰もいないよりは張り合いが出ますので」 「はは、なるほど。じゃあ俺も協力しようかな」 「ご主人様に、出来もさだかでない試作品などお出しすることはできませんわ。ちゃんとしたものをお作りしますので、お待ちください」 「ちょっと、私はちゃんとしてなくていいっていうの?」  エキドナの向かいに座って、食べるのを眺めながらソワンを待つ。ちゃんとしてない試作品でも十分美味しそうだ。 「そういえばあの連中、どうなったの?」  ハムの端を口からはみ出させたエキドナが、ふとこちらへ目を向けた。 「あの連中って?」 「コロニアにいたあの……あれよ。ゾークだか、ボークだかいう」 「ああ……」  管理AIを破壊したことで、コロニアの兵力は統率された動きができなくなった。おかげで艦隊が来る前に俺たちだけであらかた制圧を済ませることができ、何人かのゾークは無傷で捕獲することもできた。なんとか助ける方法がないものかとドクターに調べてもらったが、結果はマリオネットの時と同じか、それよりひどいものだった。 〈これはもう、バイオロイドどころか生物と言えるかどうかも微妙だね。バイオロイドの肉体を部品にして作った自動人形みたいな感じ……しゃくに障るけど、「有機活動体」って名前はすごく正確だと思う〉  そう言ったドクターの苦い顔を覚えている。 「……全員、安楽死させた。苦しまなかった……と思いたいな」 「ふうん」  エキドナはサラダをもしゃもしゃと頬張っている。「ずっと昔、ブラックリバーの実験施設にいた頃、私は自分を不幸だと思ったことはなかったわ。他に比較する相手がいなかったから」 「?……うん」 「今思うと、クソみたいな所にいたのにね」空になった皿をわきに積んで、また別のサラダにとりかかる。その前にふと手を止めて、小皿にちょっとだけサラダを取り分けて、俺の方へ差し出してきた。 「だから、あいつらが自分を不幸だと思ってたかどうかなんてわからないわよね」 「……そうだな」  いまいち言いたいことがわからないが、エキドナが料理を分けてくれるのは励ましたり慰めたりしてくれる時だ、ということはわかる。俺はありがたく、真っ赤なサルサソースのかかったサラダを口に入れた。めちゃくちゃ辛い。 「こちら、プランテーン(調理用バナナ)とココナッツのスムージー風冷製スープですわ」  ちょうどよくソワンが持ってきてくれたスープのおかげで助かった。 「つまり、気にしても仕方ないってことよ。今ここにいる私たちの幸せを追求する方がよっぽど有意義だわ」 「その点は同意いたしますわ。過ぎ去った悲劇、救いようのない悲劇に目を向けても気持ちが沈むだけです」  ソワンも旧時代から生きているバイオロイドだ。きっと見たくもないものや、思い出したくもないものをたくさん見てきたのだろう。二人にそう言ってもらって、俺も胸の奥にわだかまったこのモヤモヤを、いったん見えないところへしまってもいいのだと思うことができた。 「だから、私たちの幸せにも協力してほしいのだけど」  ん? 「遠征中は大人数での集団行動でしたし、子供もいましたし。夜の営みがおろそかになっていたのではありませんこと?」  え? 「こちらのレストランは九時には閉まります。その後は自由に使ってよいことになっていますので、特別なひと品を用意しておきますわ。いえ、二品ですかしら」 「…………なるほど」  結論だけ言うと、俺は二人の招待を受けることにした。特別な二品のごちそうを残さずいただいたし、二人のこともお腹いっぱいにしてあげた。 【エリーのお茶会につきあってみるか】 「ヴァイオラ、レッスンってどこでやるんだい。俺も行っていい?」 「えっ、司令官も来てくれるんですか?」  大喜びのヴァイオラに手を引かれてきたのはエリア2の一角にある、英国式の庭園をそなえた高級ホテルだった。なるほど、エリーらしいチョイスだ。 「まあ、司令官様も? もちろん大歓迎ですわ! すぐ椅子を用意いたします」 「お兄ちゃん、いらっしゃい!」 「ようこそ、司令官。共に学びましょう」  エリーが歓迎してくれた……のはいいとして、意外だったのはドクターがいたことだ。そしてもっと意外だったのは、シェードもいたことだ。 「こういうことにはあんまり興味ないと思ってたよ」 「まあ、そうだけどね」ドクターはあっさり認めた。 「でも何からインスピレーションが得られるかわからないからね。知見を広げるために、定期的に新しいことを試すようにしてるんだ」 「なるほど、いいことだよな。……それで、シェードは?」 「知見を広げるために、定期的に未経験のインプットを試すようにしています」 「そうか、いいことだよな……お茶飲めるの?」 「シェードさんにはこちらを用意していますわ」エリーがコロコロ押してきたティーワゴンには、四つの可愛らしいティーカップと、ティーカップ型をした金属製の何かが乗っていた。 「ティーカップ型バッテリーです。帯磁シリコンオイルを注ぐことで、擬似的に飲む動作も再現できます。先日のフルメンテナンスの際、技術部に依頼して開発してもらいました」  確かにシェードは軽いとはいえハッキングを受けたので、戻ってから工場でソフト・ハード両面の念入りに検査とメンテをしてもらった。本人も不安だったろうから、できるだけ便宜を図ってやるよう技術部に頼んでおいたが、まさかこんなものを作っていたとは。 「さ、始めますわ! まずは椅子の引き方からです」 「司令官様、背筋が曲がっていましてよ! 座る姿は常に美しく!」 「ヴァイオラさん、膝と爪先は常に揃えて! 今穿いているのは半ズボンではありませんことよ!」 「ドクターさん、クリームをいっぺんに塗ってはいけません! 一口分ちぎって、そのたびに塗るのです。非効率? まあ、お茶会は効率を追求する場ではありません!」 「シェードさん、ティースプーンはかき回すのではなく、前後に動かすのがエレガントですわ」  エリーのレッスンはなかなかに厳しく、ティーポットを空にし、スコーンを全部食べ終える頃には俺たち生徒はヘトヘトになっていた。 「まだまだ基本だけですが、今日はここまでにしましょう」 「こ、これで基本なの……」 「甘く見てた……」 「不合理なルールが多すぎるよお……」 「よい実用試験ができました。ストロングホールド中将にも共有しておきます」 「それで、このあとなのですが……」エリーはちらりと俺の方を見てから、ホテルの庭のすみに目をやった。 「こちらのお庭には立派なアラグアネイの樹があるので、皆さんでお昼寝をしようと思ってハンモックを用意したのです。シェードさんは申し訳ないながら難しいのですが、司令官様はよろしければ、ご一緒にいかがですか……?」 「ああ、もちろん」  正直レッスンで疲れた上に、お腹いっぱいでちょっと眠くなってきていたところだ。俺は一も二もなく頷いた。 「では、私は見張りをしていましょう。皆様、よい午睡を」  ハンモックはカンヴァス地の大型タイプで、詰めれば四人入れそうだった。一番体の大きな俺が最初に入り、右にエリー、左にドクター、そして最後にヴァイオラが、おずおずと俺の体の上へ乗ってくる。 「し、失礼します……重くないですか」 「ぜんぜん。羽のように軽いよ」  ヴァイオラは恥ずかしそうに、俺の胸板へ顔を押し当てた。「……あったかいです」 「いいなー。ヴァイオラ、あとで代わってね」 「ドクターさん、はしたないですわ」  左右の二人もずりずりと体を寄せてくるので、俺は笑って抱き寄せた。子供は体温が高いので、ちょっと暑い。  シェードが立ち位置を調節して、日陰を作ってくれる。これが本当のシェード(日よけ)だな……などとくだらないことを考えながら、俺は心地いい暖かさに包まれて眠りに落ちた。 【そこらを散歩でもするか】  子供達に群がられるノーワンを眺めているばかりでも仕方ない。俺は俺で、ちょっとそこらへんを歩いてくることにした。  カラカスもだいぶ落ち着いてきた。道を歩くバイオロイドたちの顔にも、かつての苦しみや復興時の高揚ではなく、余裕と安らぎが感じられる気がする。 「なんで! なんでなんですか!」  なんだかあまり余裕も安らぎもない声が聞こえてきた。 「サニー、落ち着いて」 「仕方ないじゃないですか、巡業で忙しかったんでしょう?」 「それでも! それでもですよ!」  何やら大声で言い合いながらこっちへ来るのはスノーフェザー、セレスティア、ブラックワーム、それにサニーだ。 「あ! 司令官様!」  サニーは俺を見つけるとすぐさま駆け寄ってきて、涙目で訴える。 「なんで私を連れて行って下さらなかったんですか!? リーダーも、ブラックワーム様も、フェザーも一緒に行ったっていうじゃないですか! これじゃ私だけ仲間はずれみたいじゃないですか!」  言われてみれば確かに、この四人は妖精村の事件の時に中心になって活躍したメンバーだ。カラカスで遠征部隊を編成した時にも当然そのことは考慮に入っていたはずだが、そういえばサニーだけいなかったのはどうしてだろう。 「サニーはあの時、カラカスにいなかったんです。アミューズアテンダントで、南米の拠点を巡る慰問公演に出かけていまして」 「でも! 声をかけてくれれば飛んで帰ってきましたよ! 大事な任務だったんでしょ!? 命がけの戦いもあったっていうじゃないですか!」 「いやまあ、あの時はすぐに集められるメンバー優先ってことだったから……」 「うわーん!」  すっかりポジティブエネルギーが枯渇してしまっているようだ。頭を撫でてやりながら、何か慰める方法はないかと考えを巡らせた。 「あ、そうだ。トリアイナとディオネから、あらためて探検隊の申請が出てたんだ」 「またですか?」  先日の探検は結局、ヴァイオラを発見したことで中断した形になっている。 「今度こそ! 今度こそ本格的なジャングル探検がしたいの!」  とのことで、まあ止める理由もない。この前の遠征で、すでにだいぶジャングルの奥地まで行ってきた気もするが……。 「みんなで一緒に行かないか? なんでも、この間カラカスへ戻る途中で気になる遺跡を見つけたんだってさ」 「面白そうですね~」セレスティアがぽん、と手を打ち合わせた。「このあたりの植物のこともだいぶわかりましたし、食料のことは任せてください~」 「またご主人様をお守りできるなんて、嬉しいです」スノーフェザーが微笑んだ。 「行きましょう、サニー。今度は四人で」ブラックワームがサニーの背中をやさしく撫でた。 「……えへへ。絶対ですよ」サニーがようやく顔を上げて笑った。 「よし。じゃあ、さっそく申し込みに行くか」 「お弁当! お弁当持っていきましょうね! あと釣り道具と、ハンモックと……」  はずむような足取りのサニーを先頭に、俺たちは行政本部のある大統領宮へと戻っていった。  その探検が、またしてもとんでもない大冒険になるなんて、その時は誰一人予想もしなかったのである……。(つづく?) Ev3-3 オルカの名はオルカ 「17時だ。仕事を終える時間だよ、司令官」  声とともに画面が暗転し、俺はため息をついた。 「せめてもう少し、切りのいいところまで……」 「駄目だ。切りのいいところまでやったら、次の区切りへの準備をしておきたくなるだろう? 今やめるのが最善だ」  俺の大事なパネル……馬の前にぶら下げられた人参よろしく、机から伸びたアームで俺の顔の前に吊り下げられている……が、無情にも引き出しの中へ回収されていく。  しばらく使ってみてわかったが、ノーワンは「仕事机」としてとんでもなく優秀だ。常に俺の仕事の先を読み、必要な情報やツールを整理して準備し、最適のタイミングで出してきてくれる。もともと俺にはアルマンとアルファという素晴らしい秘書が二人もいるが、ノーワンにはそれとは違う、なんというか「道具」としての使い心地の良さがある。たとえば机の上にどれだけ書類や本を乱雑に積み上げておいても、3Dスキャンで何がどこにあるかを完璧に把握して教えてくれる。いつも使うペンを机の上に放り出しておくと、いつのまにか回収してペン立てに収めておいてくれたりもするのだ。 「旦那様の仕事がスムーズに終わるようになって助かります」 「AI搭載の業務補助デスクは旧時代からありましたからね。ノーワンさんの性能でそれをやったなら、相当のものになるのは当然でしょう」  当のアルファとアルマンも嬉しそうだ。……よく考えると、仕事が早く終わるのは別にいいことではないのでは……? 「自由時間が増えたのだから、いいことだと思いたまえ。散歩に行くなら乗せていくが?」 「そうだな……いや、今日は自分で歩くよ。一緒に来るか?」 「お供しよう」  大通りを並んで散歩すると、いつものごとくノーワンは子供達に群がられる。それも一段落して、川沿いの遊歩道をのんびり歩いていると、ノーワンがふいに立ち止まった。 「おっと、ちょっと失礼」 「どうした?」 「エージェントからの報告だ。ふむ……ふむ。複雑だな。バックグラウンドで処理するのは少々きびしい。司令官、しばらく待ってもらっていいかね」  俺がうなずくと、ノーワンは歩道の脇に移動してデスク形態に変形した。ついでなので俺も椅子に座って一息つく。屋外でビジネスデスクに座っているというのは、ちょっとシュールな体験だ。 「ふう……お待たせ、司令官」 「済んだのか?」 「ああ。再会支援プログラムが三件、消息不明の共同体の調査が五件、潜入捜査の帰還サポートが二件片付いた」 「大変だな、局長」 「大変なものか、こんなにやっていて気持ちのいい仕事はない。どのミッションも、誰かを助けたり、幸せにするためのものばかりだ。現役時代、そんなミッションは十年に一件あればいい方だった。……なあ、司令官、私は改めて、君に敗北を認めねばならない」 「なんだ、急に」 「オルカのバイオロイドは本当に幸福に暮らしている。あの時エイミーレイザーが言ったとおりだった。バイオロイドの幸せを願うならば、私は何よりもまず君達にコンタクトして素直に協力をあおぐべきだったのだ」  俺は思わず笑ってしまった。「ドローンで探るより、その方が楽だったろ?」 「スパイ稼業を長く続けていると、ノックして玄関から入れてもらうという一番普通のことがどうにも苦手になってしまってね……だが一つだけ言い訳をするなら、オルカの現状はあまりに特殊だ。君という、希有な資質を持った人間がたった一人で君臨しているからこそ成立しているといっていい」 「俺にそんな、特別なものなんてないよ」 「いいや、ある。無自覚なだけだ」ノーワンはよほど強調したいのか、サイドテーブルの下から人型形態用のアームを出して、まっすぐ俺を指さした。 「『理想社会は理想人の集団でなければ成立しない』という古いテーゼを知っているかね? 人格・能力ともに信頼に足るただ一人の人間を主人とするバイオロイド集団というのは、かなりそれに近いと言えるだろう。バイオロイドは総じて善良で真面目だ。……まあたまにとんでもないのもいるが、それとて設計コンセプトに忠実であるという意味では真面目の範疇といえる。何より、人間の命令には決して逆らわない。君が『善く生きよ』と命じれば、いや命じなくとも願うだけで、オルカの全構成員がそのように生きる。するとどうなるか? 途方もないコストの節約ができる」 「節約?」 「そうさ。旧時代、国家による福祉予算の何割が、福祉の不正受給を防ぐために使われていたか知っているかね? ここではそんな必要はない。飢えているように見える者は本当に飢えているのだから、迷わずパンを与えればいい。『悪人は一人もいない』という前提にのっとって社会システムを組み立てられるならば、余計な予防策は不要になり、民衆の幸福それ自体に最大のリソースを注げる。これは偉大なことだよ。人類など復活させない方が、世界は幸福かもしれないぞ」 「…………」 「考えたことがないとは言うまい? レモネード連中が復活を画策していたPECSの妖怪どもなどは論外としてもだ。旧時代のごく平均的な人間が、ほんの二、三人よみがえるだけでこの幸福な社会は崩れ去る。まして、人類を復活させるなどということになれば……」 「俺は旧時代をそのまま蘇らせたいわけじゃない」俺はデスクに肘をのせて、ぐっと体重をかけた。「人間とバイオロイドが新しい、まともな関係を築けるような世界を作る。世界を復活させるってのは、そういう意味だ。今はまだPECSと鉄虫との戦いで手一杯だけど、その時が来たら、必ず方法を考える」 「ふむ。途方もなく長い道のりになることは、承知の上だろうね?」 「当然な。だけど時間がかかる分、その頃にはバイオロイドから条件付けを外す方法だって見つかってるかもしれない」 「意外と現実的な人間だと見直しかけていたんだが」ノーワンは考え深げにアームをくるくると回した。「やはり君は、どこまでも楽観的な夢想家だなあ」 「そうじゃなきゃやってられないさ」俺はデスクの上に両足をのせる。行儀が悪いが、構うものか。「人類は一度どん底まで落ちたんだ。あとは上がっていくだけだよ」 「今君がいる地点は、それほど低くはないと思うがね……たとえばもし、バイオロイドと人類を平和的に共存差せる方法が見つからなかったら、どうするんだ? 見つかるまでいつまでも人類復活を延期するのか?」 「その時は……」俺が背もたれにもたれかかると、ノーワンが自動でリクライニングさせてくれた。 「その時は、地球を新しい人類に明け渡して、俺はバイオロイドをみんな連れて宇宙にでも出るさ」 「ハハハ!」ノーワンは引き出しをガタガタ言わせて笑った。「その時は私も着いていこう。あらためて誓うよ、司令官。君の夢の実現に協力することが、私の新たなディレクティブ(根源命令)だ」 「頼りにしてるよ」  木漏れ日がまぶしい。遠くで誰かが笑っているのが聞こえる。俺は目を閉じて、ほんのつかの間、夢を見ることにした。  愛する家族とともに、星の彼方に手を伸ばす、遠い未来の夢を。 〈暑い国から帰ってきたスパイ」〉END