そりゃあ私も年頃の女の子なのだから、甘い物は嫌いじゃないし、高いフルーツ何てものには人並みには心が動かされるものだけど。 こうもぞろぞろと威厳のある顔を並べられると、妙な威圧感を感じてしまって尻込みをしてしまうのです。 家庭ごとに思い出は違うものですが、私は毎初夏、藤家にやって来るその一時期を、洪水の様なメロンの日々と表しましょう。 メロンに、メロンに、メロンに、メロン。それも、ただのメロンじゃない。 いずれも高級そうな桐の箱に入ったメロン。過酷な成長競争に勝ち残った選ばれしメロンの中のメロン。弩級のメロン。 通常一つでも贈られれば相手の気も引き締まりそうな威厳のある存在が、それは沢山私のパパによって買い込まれて食卓の上に勢揃いをするのです。 娘の私が見る所、さして両親は熱狂的なメロン党と言う訳ではない筈です。 ママは果物のスイーツを選ぶ時は大抵季節の物を選びますし、パパに至ってはメロンに苦手意識さえ抱いている節がある。 人気の連載作家でありながら、人並み以上に小市民の気質を持った私のパパは、私などが好物欄にメロン様を記述するとはおこがましいとでも言う様に 何時もはどこか恐ろしい物でも見るようにして、高級品の代名詞として扱われるそれらを横目でチラリと見る位が関の山。 それなのに何故か、少なくとも私が物心のつく頃から、一年も欠かす事無くその日が来ると パパは決然と出かけて行っては、大きな桐の箱を4つも提げて息も絶え絶えに帰ってくるのです。 そうして切り身としての消費に行き詰る程のメロン達は、何年もやり慣れてきた様子の熟練さでもって、ママに料理されて 熟した部分はスイーツに、皮目に近い部分は料理となって、数日掛けて消費されるのが毎年の習わしなのです。 何故それ程好きでもないメロンが、これ程の規則性を持って我が家では毎年消費されていくのか私は不思議でなりません。 何故ママは飽きずに食べ切る事が出来る程メロンの調理に精通しているのかも分かりません。 様々に考えて、スイカ教徒の我が家は、毎年定められた日にメロンを生贄に捧げる事でスイカに忠誠を示していると言う説まで立てたのですけれど。 毎年決まった日にやってきて、消費され続けるメロン。何時からこの風習が始まって、何の意味があるのか。そして何時まで続くのか。 ある日私は意を決して問い質す事にしました。自分が呪われたスイカ教徒の家に生まれた信徒の一人だと告げられることも覚悟して。 私に問われたママは少し照れた様子で答えてくれました。パパとママが結ばれた後から、私が生まれる随分前にの初夏の日に ママは体調を崩してしまったそうです。疲労と、病と、何かが重なった結果だったのだと。当初風邪か何かだと思われた病は思いがけず長引いて 高熱を出して、寝込んだママに、パパはすっかり動揺してしまったそうです。 もしやこのまま愛する人の身に何かあるのではいかと、足元が崩れるような恐るべき想像を働かせた結果、涙ながらにママの手を握ったパパは 厳かに宣言したそうです。どうか良くなってくださいあなたが元気になってくれるなら何でもします。毎年メロンを買ってきますから。 だから私が良くなった後、パパは毎年メロンを買って来てくれるのよ。メロンって言うところがかわいいでしょう?パパには言わないで上げてね。 きっと昔の事を思い出して悶えてしまうだろうから。宝物のように昔話を教えてくれたママは、そう言って笑うと私にそっと口止めするのでした。 ああ。すとんと、何もかもが腑に落ちました。何故毎年決まった日に我が家にはとても家族3人食べきれない程の大きさの、立派なメロンが大量にやってくるのか。 何故普段は寄り付かないような高級なデパートメントへパパはその日に限って足を運ぶのか。 パパ。いいえお父様。あなたはこの世の全ての様な最愛の人が倒れたことに動転して、動揺して、藁にも縋る思いになったのですか。 そうして病の床に居るママが何か気を強く持って病に打ち勝てる様に、馬にニンジンをぶら下げるかの様に 熱にうなされるママへ咄嗟に脳裏に浮かんだご褒美として大きなピカピカのメロンを約束したのでしょう。 ご立派な百貨店の綺羅びやかなフルーツ売り場の贈答コーナーに、一際高く鎮座するメロンの姿は きっとお父様の脳内には自分とは異なる世界に住む、およそ食べる事のない高貴な存在だったのでしょう。 天啓のように、それを沢山あなたに捧げますから、どうか良くなって下さいと神様とママに向かって懇願したのでしょうか。 しかしながらお父様。何故、メロンだったのでしょうか。デレデレと締まりのない顔で、一つ物語の様に語る 初めてあなたがママと交わした間接キスに際して食べたと言う、苺パフェを何故思い浮かべなかった。 せめて、ママへ約束したのがピカピカの苺であってくれたなら。質量の面で考えても、これほど毎年毎年私の頭を悩ませる事は無かったと言うのに。 いいえ、差し出がましいことを申しました。 お父様にあられては、大切な妻の病に気を取られ、高嶺の花の名を出せば、きっと妻の気を引き立てられると必死だったのでしょう。 メロン、果物の王様メロンであればと。まあ、なんて憎らしい。 それにママもママでしょう。ケーキにタルトにスムージー、ゼリーにジャムにシャーベット。 パイにスープにカプレーゼ。カナッペだの、マリネだの、肉巻きだの、果ては生ハムメロンなんて おしゃれな物まで料理しては、毎年パパの買ってくるメロンを健気に消費して。 私は今日こそ事の次第を理解しました。何故ママがこれ程までにメロン料理に精通しているのかと。 パパの愛を受け止める為だったのですね。 毎年自分との咄嗟の口約束を守って、滑稽な程の律儀さで似合わぬ百貨店に出向いては、贈り物を両手いっぱい携えて。 妻が傍にいてくれる事の喜びを噛み締めながら、騎士が冒険の末に竜の巣から持ち帰った宝物でもあるかのように メロン達の重みに耐えながら、よろよろ帰ってくるパパの事が、ママは涙の出るほど愛おしいのでしょう。 そうしてパパの愛情表現を余す所なく食べ切るために、その技術を一心に身につけたのでしょう。 今まで食べきれずに捨てられたメロンはきっと無いに違いなく。 来年も、再来年も立派なメロンはあるシーズンだけ突然我が家の食卓を占拠し続けるのでしょう。 嗚呼、なんて愛すべき馬鹿夫婦。 あなた達の夫婦愛と惚気につき合わされる娘は、もうメロンでお腹が一杯です。