ヘイリーは今日も元気! ※このお話を読まないほうがよい教主:メンタルが不安定なキャラクターを治療から遠ざけ囲い込むことに忌避感を持つ教主 「教主ーーっ!」 今日も凛として、そして楽しげな声が響いてくる。 ヘイリーだ。 赤い髪をたなびかせ、パタパタと私のもとに駆け寄ってきた。 今日はパジャマだ。私の存在を察知してすぐに飛んできてくれたのだ。 わざわざ病院から。 「教主!今日も一緒にエーリアースーの治安を守りに行くぞ!」 あぁ、そうだな。でも、その前に、いつもの服に着替えないと。パジャマじゃ示しがつかないぞ。 「う、うむ、それはそうなのだが……あのサイコドクターが……」 ヘイリーは光のない目を泳がせる。 脱走してきたのだ。仕方あるまい。 大丈夫だ。私がいる。何も怖くはないよ。 私はそっとヘイリーの手を握った。 「教主……」 ほっぺと同じようにもちもちした四本指の手。 ほかの住民と比べて見るからにお姉さんなのに、やはりもちほっぺで、ちっちゃくて、可愛らしい。 「……ありがとう。教主がいてくれれば、怖いものは何もない」 歩幅に合わせ、病院へ向かう。 敬礼するエルフもいれば、顔を背けるエルフもいる。 ヘイリーはそういう立場だ。 「ヘイリー! それに教主様!」 バタバタとヒルデが駆け寄ってくる。 「保護してくれていたのですね、ありがとうございます。さぁヘイリー、ベッドに戻ってお薬を……」 矢継ぎ早にヘイリーを病床へ連れて行こうとするも、そうはいかない。 「きょ、教主!サイコドクターが、サイコドクターが!」 ヘイリーは私の陰に隠れてしまった。こうなってはてこでも動かない。 ……ヒルデ、こんな感じだ。薬はちゃんと飲ませるから、今日は外出許可をくれないか。 「今日『も』でしょう?確かにヘイリーは教主様のことばかり口にしていますし全幅の信頼を置いているようですが……彼女は治療中であることを忘れないで」 ヒルデ、レーテーがまたレーザーポインターをぶん回してるぞ。ほかの患者が大変だぞ。 「あぁっ!?レーテー!?……教主様、ヘイリーのお薬は彼女のサイドテーブルに置いてあります。時間と容量を守って、きちんと飲ませてくださいね!」 毎日のように繰り返されるルーチンに、ヒルデはあらかじめ約束してくれてるかのように対応してくれる。 こんなこと、よくないだろう。 PTSDで苦しんでいる患者は、入院して、適切な治療とカウンセリングを受けて、そして長い目で見守って…… だから、自分のやっていることは、こうして好き勝手に連れ出すことは、絶対によくない。 それはわかっている。 ……ヘイリー、着替えに行こうか。 「あ、あぁ! 教主がいれば怖いものなど何もない!」 少し汗ばんでいたヘイリーの手を、私は握った。 「待たせたな、教主!」 いつもの女幹部、じゃなくて、将校の服に着替えたヘイリーはさっきよりも元気になったようだ。 やはりヘイリーはその服が一番ヘイリーらしい。 「これでこそ私だ!さぁ、エーリアースーの平和を守りに行くぞっ!」 その前に、まずは腹ごしらえだ。宴会場にでも行こうか? 「う、うむ……確かに昨日、どうにか収容施設を抜け出してシオンの元へ行ったのだが……支給品は小さいものしか残ってなくてな……頼んでもいいのか?」 あぁ、もちろんだ。大盛りのご飯でもオーガニックなレモンティーでも、好きなものを食べてくれ。 「教主……!」 私はサイドテーブルに残された薬袋をそっと手に取り、自分のポケットにねじ込んだ。 私とヘイリーはカウンター越しに向かい合う。 ヘイリーは大盛りのご飯を慈しむように噛み締めている。 「この食感、温かさ、味わい……あの懐かしき夜を思い出すな」 もっちもっちともちほっぺを揺らし、ヘイリーは遠き日の思い出を夢見ているようだ。本当に幸せそうだ。 ……私の故郷には卵かけご飯なんてのがあるんだ。 「たまごかけごはん?」 そう。ご飯の中心に穴を空けて、溶いた卵を流し入れて、しょうゆを垂らす……シンプルながら、いくらでも食べられるし、アレンジだって効く。 「たまごかけごはん……教主が言うからには、きっと素晴らしいものなのだろうな」 エーリアス……じゃなくて、ここエーリアースーには醤油はあったかな。私の故郷のものとは少し違うかもしれないけど、今度やってみよう。 「あぁ!楽しみにしているぞ!」 食後のオーガニックレモンティーを口につけ、ヘイリーは言う。 「以前はご飯だけで満腹になっていたというのに……なんだか、最近はもう少し食べたいと思うようになってきてな」 消化剤を使わなくてもたくさん食べられるようになったのは良いことだ。 だが、ヘイリーの瞳は揺れた。 「……まさか、少なく作っているのか?」 美しいガラスのような瞳が暗い色を帯びる。 光がないのに、ヘイリーの瞳は美しい模様を描いている。暗くしていいはずがない。 少なく作るだなんて、そんなわけないだろう。 無料だからって、ケチなことはしないよ。 「す、すまない!私としたことが、教主にあらぬ疑いを……!」 そこまでしなくていいのに、ヘイリーは慌ててガタリと立ち上がろうとする。 すると、ヘイリーの手がカップに当たり、倒れ、テーブルを汚してしまった。 ……服に掛かってはいないようだ。もちろんやけども。 「ああああっ!わた、私は、わたしは教主のくれたものを!」 パニックを起こしかけたヘイリーを、私はカウンター越しに抱きしめた。 「んむっ! きょ、教主……?」 エーリアースー、じゃなくて、エーリアスの住民たちは私の腰ほどの高さしかない。 私の胸元にヘイリーの顔が当たる。 大丈夫、大丈夫だよ、ヘイリー。 ゆっくりと背中を叩きながら、優しく、低く声をかける。 荒い息と鼓動が少しずつ収まっていく。 「う……教主……」 痛々しい姿を見せるヘイリーなんてこれ以上見たくない。 ヘイリーはいつでも気高くて、そして元気いっぱいであってほしい。それが私の願いだ。 たとえそれが虚構の姿であろうとも…… ヘイリーはゆっくりと私から身を離した。 潤んでいるその瞳は切子のようにきれいだ。 「キリコ?」 地元の名産品だよ。複雑な文様で彩られたガラスの器だ。ひとつひとつが職人の手で作られていて、本当にきれいなんだ。 「ガラスの器……教主にそう言ってもらえると……少し、嬉しいな」 エーリアースーにはきっとないものだ。だから、いつか見せてあげられたらって思う。 私はテーブルを手早く片付けて、ヘイリーをそっと椅子に座らせた。 そして目線を合わせる。 ヘイリー、君が持っているその端末は、私がモナティアムに来たら反応するだろう。 だから私がここに来たとき、君はすっ飛んできた。 このお守りがあるかぎり、私たちはずっと一緒なんだ。 「教主……」 うん? 「教主、私はいつ良くなるのだろうな……」 …………。 「今の私は私でなくなっている。教主が見ているのはニセモノの私だ」 ヘイリー、違う。 「私は私でない自分が嫌なのだ。妄想の世界に囚われて、バカなことをしでかして……でも、元に戻ったら、周りの目はあまりにも冷たくて……私はまたやってしまったんだと」 違う。いま私の目の前にいるのがヘイリーという存在だ。 私はヘイリーの手をギュッと握った。 「教主……?」 ヘイリー、君は君のままでいいんだ。少し変なところもあるかもしれないけれど、それでいいんだ。 君は君のままでいい。 ……ヘイリー、外の空気でも吸いに行こう。 エーリアースーの平和を守るのが君の仕事だろう? いつまでもここで油を売ってはいられない。 「う、うむ……そうだな、教主の言う通りだ……」 と、席を立ったところで、ヘイリーは首を傾げた。 「そういえば、いつも食後に何か飲んでいた気がするのだが……」 特に何もなかったはずだよ。 さぁ、早く行こう。 私はヘイリーの手を取った。 彼女は迷える子羊で、私は導き手だ。 それがヘイリーにとっても一番いい。 ……私はヘイリーが正気に戻ってしまうのが怖いのだ。 今の元気なヘイリーがいい。 今の妄想と現実の境界を漂うヘイリーでないとダメなんだ。 だから私は…… 私はポケットの中のものをゴミ箱に捨てた。 ある夜、宴会場にて…… 「やぁ、教主」 エレナか。アメリアはいないのか? 「宴会場に来るときはいつも一人だろう?というかそんなことはどうでもいい。教主、単刀直入に言う。ヘイリーをどうするつもりだ?」 教主として慈しみを持って使徒に接しているだけだ。あるいは一人の人間として彼女を。 「慈しみだと?あの発信機付き端末を作ったのが誰か分かってて言っているのか?君たちの会話はすべてこちらに筒抜けだ」 楽しい趣味をお持ちで。 それに、ヘイリーがずっとああならエレナに対する暴動だって起こりようがないだろう。ウィンウィンだ。 「……否定はしないけどね」 以前よりかは病状もマシになっていると聞く。 それでいいじゃないか。 「教主……それは絶対に違う。エルフたちの代表として言わせてもらうが、処方された薬を捨ててまで」 それに私だってヘイリーにはずっとそばにいて欲しいんだ。 ありのままのヘイリーで。 「……教主。いつか絶対に痛い目を見るぞ」 エレナは吐き捨て、そのまま出ていった。食事も摂らずに。 ヘイリーがエルフたちに慕われているのは事実だ。 でも、私はヘイリーがずっと自分のもとにいればいいと思っているし、ヘイリーにもそうであってほしい。 そうでなければ困るのだ。 ……自室か、それとも宴会場の奥に作ってもらおうか。 二人きりになれる場所を。