机の上を紙の波が嵩を減らしながら後ろへと流れていく。行き着く先はゴミ箱の中。 チラリと中身を見るやつがいればまだいい方で、ほとんどは視線を浴びもせずに捨てられる。 それも当たり前だろう。学生のうちから未来の人材を――国家のために――と、仰々しい字面。 何より、俺以外に男子は一人二人。その上クラスもバラバラで、互いに面識もないと来た。 残りのほぼ全ての学生が女子、共学になって一年目なら、まあこんなものだろう。 手元のそれを捨てる前に、もう一度文面に目を通す――周りの女子の視線を気にしながら。 昨今の情勢を鑑みた、人口減少に歯止めをかけるための施策の一つ。それがこれだ。 性徴が終われば、法律上の未成年だろうと身体は大人となんの違いもない。 そして繁殖、という動物としての役目を考えるなら、それは早ければ早いほどいい。 だから大学生だろうと高校生だろうと――場合によっては中学生すらも―― 子供を作れば、その人数に見合った分だけの支援を与える、というのがその趣旨だった。 学生向けに奨学金だとかなんとか言い方を変えてはいるが――新聞を見た親父が憤然として、 これは生命を現金化する行為だ!とか青筋を立てて怒っていたっけ。 その額がいくらなのかはしらないが、制度のできた当初から今まで毎年申請し続けて、 六年連続で新しいランドセルを購入し続けた若い夫婦なんかも、テレビに出ていた気がする。 そんなぐらい、自分から使おうなんて若者は珍しいのだ。まして、俺なんかには。 入学式の時点で、ほんのり抱いていた下心は吹き飛んで学校選択を後悔したぐらいなのに―― 帰りがけにどこぞのアイスでも食べようかとか、ゲーセン、カラオケ――よくもまあ。 勉強よりも遊びを最優先する女の子たちが掃けていった後の教室は、一気に静かになる。 ――そして俺は、下足箱の戸に指を掛けた瞬間に、教室への忘れ物を思い出したのだった。 急いでいたから、服の裾を誰かが引いた感触には気付いても、それを確認する余裕はない。 何より、昇降口を潜り抜けた橙色の光が俺の目に射して、相手の顔は全く見えなかった。 異臭を放ち始める運命にあった弁当箱を救い出した俺は、先ほどの誰かのことも忘れていた。 だからまた急に服を引かれ――名前を呼ばれて、幽霊か何かと思ったくらいだった。 声は俺の肩より下、頭一つ低い位置から、ぼそぼそ呟くように途切れ途切れに出ていたから。 だが指の力だけは、彼女がそうしてそこにいることを、何より強く証明していた。 同じクラスであったことは覚えている。それ以上の情報を頭の中に探しても、見つからない。 俺はあまり、自分から異性にアプローチするタイプではないのだ――そして彼女も、 クラスメイトの華々しい雰囲気の中に、ほとんど隠れてしまうような奥手な子だった。 ただ、定期テストや小テストのたびに、成績優秀者として褒められてはいたようだ。 なんとか上振れして中堅層、といった俺にとっては、ある意味で高嶺の花とも言えた。 それがまたどうして、俺なんかに声を掛けてきたのか?怒られるようなことをしただろうか。 彼女は少し俯いて、俺のものとは対照的に傷の一つもなく丁寧に扱われた通学カバンを開け、 何かのマスコットの描かれたパステルカラーのクリアファイルから、一枚の紙を取り出した。 数多の兄弟たちと違って、ゴミ箱送りを免れたそれを俺に見せて――彼女は上擦った声で、 君に、手伝って欲しいことが、あります――そう言うのだった。 声の響きに思わず笑いそうになってしまったのを、俺は反射的に飲み込んで引っ込める。 文面は先程見たものと同じ。ただ、切り取り線の下の記名欄には、既に彼女の名前があった。 そしてその細い指は、空欄になっている配偶“予定”者の記名欄に重なっている。 俺はわからないふりをして、彼女に別れの言葉を言って背中を向――指の力つええなこの女! 脳内の人物リストに、結構押しが強い、と一行つけ足して、なんとかなだめて靴だけは履く。 結局、歩いて帰る俺に彼女がくっついてくる形で、紅く染まった街の中に出るのだった。 君は、何が好きなの?唐突に聞かれて、適切な答えを出せるほど俺は女慣れしていない。 案の定、言った本人すら次の言葉を探しかねて、口をもごもごさせているではないか。 だが――彼女の唇は、夕焼けに負けないぐらい、紅く、ひどく艶めいて見えた。 また突拍子もない質問を、彼女は投げかけてくる。それに俺は答えあぐねる。 その繰り返しの果て、三叉は容赦なく二人の帰り道を別々に切り離す。 どっ、と疲れが全身にぶり返してきたが――手を振る彼女の微笑みに、少し、胸が熱くなった。 昨日の今日だ、まさかいきなり仕掛けてくることは――と思っていたが、 俺は昨日追加した一行の正しさを実感することになった。昼休みにトイレに行って戻った途端、 彼女は待ち構えていたかのように俺を曲がり角、階段の横の薄暗がりに呼び込んだ。 考えてきてくれましたか――何を?とぼけた顔をしたって通用しない。 昨日の質問攻めは、ドラマでよく見るお見合いのシーンのようだったな――と考えていると、 やはり彼女は、俺の裾をぎゅっと掴む。そして身体がこうして近づくと、 男である俺との体格差、身長も肩幅も全然違うことがはっきりする。 体温が上がって――自然と浮いた汗の臭いが急に気になり始めた。 それを悟られはすまいかと――鼻を動かして確認すると、むしろ香ってくるのは彼女の臭匂い。 ふわりと柔らかく、甘い、女の子の匂い――また、身体が熱くなる。 彼女は俺の動揺を知ってか知らずか、さらに顔を近づけてまじまじと見つめてくるのだった。 こうして見ると、大人しい子だとはいっても、整っていて――人形のようでもあった。 それをほんのりと紅くして――男にほとんど抱きついて来ているのだから、 俺のようにこれだけ冷静な男でなければ、もう一発で好きになってしまっていただろう。 まして押し付けられている物体の柔らかな感触の正体に気付いてしまったならば―― 危ないところで、予鈴のチャイムが鳴る。目覚めかけた相棒をズボンの中に横倒しにして、 俺は彼女とほんの少しタイミングをずらし、同じ教室に飛び込んだ。 ――放課後にまた、質問攻めだ。子供は何人欲しいか、と何とも思っていない男に聞くものか? 彼女の目的の不透明なのが、また俺を不安にさせる。ドッキリにしては体当たり営業すぎる。 だが別れ際の一言、大学には行きたいけれど、お金が――と淋しく笑う横顔に、 俺は無防備な心臓を鷲掴みにされた――振り返ってみれば、そこか分岐点だった。 いつもより少しだけ、帰るのが遅れた日。翌週に迫った定期テストに向けて、 彼女が俺だけの勉強会を開いてくれた日――そしていつもの三叉路で、 あの紅い唇を悪戯気に歪ませながら、彼女は勉強の“続き”を――俺に誘うのだった。 今週は金曜から、親が旅行に行っていていないの、と彼女はそれとなく俺に伝えてきていた。 そして今日がその金曜日。そんな日の夕暮れに、彼氏を家に呼ぶ、その意味。 今度は俺の声が上擦る番だった――いいのか、と答えのわかりきった問をする。 答えはない。彼女は真っ赤な顔でこくりと頷くと、腕を俺の腕に絡めてきた。 いつか見たのと同じキャラクターのポスターとぬいぐるみ。そこに俺という異物がいる。 ドキドキして、勉強も手につかない。何度もシャーペンと消しゴムを床に転げ落とす。 そして拾おうと反射的に伸びた彼女の手に俺の手が重なること数回――そのまま唇も、重ねる。 鼓動がどんどん大きくなる。身体が燃えるように熱く、爆発しそうなほどにうねっている。 そしてそれは彼女の側も同じ、ぽうっと火照った顔は、すごく綺麗で、怖いぐらい可愛い。 カーテンを閉めていてよかった。閉め直す手間を省けて――ずっと、こうしていられるから。 ほとんど自分でもわからないうちに彼女の両肩を掴み、身体ごとぎゅっと抱き寄せていた。 そしてまた気付いた時には、自分の頭の影が彼女の顔に掛かっていた。 ごめん、と離れようとする俺の背中に――蛇のように彼女の両手が絡みつく。 私を、妊娠、させて――熱を持った唇はふと弱弱しく、そんなことを言うのだ。 学生の身空で子供を作るなどとんでもない、とうちの両親なら真っ向から否定するだろう。 でも。相手が望んでいるのだから。お上も推奨しているのだから。何より、俺自身も―― 責任、という言葉のよぎらなかったわけもないが、それより、自分の内側から湧き上がる、 自分の恋人の身体を好きにしたい、という欲求に勝てる気がしなかった。 もしかするとそれは、俺という人間のオスが、メスに興奮しているだけなのかもしれない―― そんなことを考え始めた俺の理性を砕くように、彼女は手足をするすると絡めてきて、 大丈夫、好き、しよ――そんなことを、囁いてくる。 初体験というのは、案外に呆気ない。それもやはり、仕方のないことなのだろう。 俺は同年代の女の子の身体というものを、生まれて初めて触ったのだ。 そこから流れ込んでくる刺激の強いことと言ったら。どうして、俺が勝てるだろうか。 彼女も当然、初めてだ。フィクションの中のように、いきなり何度も、とはいかない。 絨毯に血の跡が付かなかったことをお互いに安心しながら、シャワーで湯の掛けっこをする。 あそこに、ついさっきまで、俺のものが――と、考えているのと同様に、 彼女もまた、俺のそれが、自分の中に収まっていたことを不思議に思っているようだった。 だが俺の思考はそれよりも、水滴の通り道、丸くぶらんとぶら下がった二つの大きな塊、 背中側からも丸みの見える彼女の胸に、次第に支配され始めていた。 電気を消した部屋の中で、二回戦目。今度はいきなり、とはいかない。 丹念に、彼女の胸を揉み――何度も、唇を重ねて、また、指を股間に伸ばして、縦に擦って。 本やらビデオやらの見様見真似だったが、その効果は意外に確かなものだった。 次第に彼女の声は高く、耳を蕩けさせるような甘い声になっていった――一方の俺も、 彼女の身体をあちこち触っているだけで、悲しいぐらいすっかり硬くさせていたから、 どちらが言い出すともなく、すぐに続きを始めてしまうことができた。 一度目の酸っぱい思い出を下敷きにした二度目は――これが一度目であってほしいと思うぐらい、 出来すぎた、溺れてしまいそうな気持ちよさの中にあった――彼女自身にとっても。 結局、金、土、日、の三日間で勉強に掛けた時間は、普段よりもずっと少なかった気がする。 “勉強会”の成果は、ようやっと赤点全回避を達成する程度のものだったが、 彼女は済ました顔で、順位を落としもせずいつもの位置に留まっていた。 そして図書館で二人、黙々と参考書に向かっている最中――かつんかつん、と爪先に二回。 それが合図。顔を下に向け、眼鏡のズレを直しもしないくせに、耳が真っ赤になっている。 それのあった日は、俺は三叉路を右に曲がって、彼女の家に寄ってから帰るのだった。 そんなある日に、彼女が取り出した一本のプラスチックの棒に、俺の心臓は止まりかけた。 誇らしげに、赤線を見せる彼女。いつぞやのクリアファイルの中身と合わせて。 そのためにしてきたのだ、とわかっていても、やはり面食らうものだ。 妊娠させるだけさせて、逃げてしまう男の気持ちが――いけないとは知りつつわかってしまう。 でも俺は、ボールペンをぐっと握り込んで、空欄だったそこに自分の名前を書き込んだ。 そしてそのまま、彼女の左手を持ち上げて――薬指に、俺の指を巻きつける。 泣いていたが、構うものか。むしろこれからが、一番大変なのだから。 娘が恋人を度々家に連れ込むのを容認していた親だから、そちらの説得は容易だろう。 しかしうちの頭の硬い二人は――さて、どうしたものか。彼女の知恵を借りねばなるまい。 思いきり怒られはしたが、既にできたものをどうにかしろ、とまでは流石に言えないようだ。 ましてそれは、曲がりなりにも自分たちの初孫にも当たるとなれば、なおさらだろう。 うまくお互いの両親に話を取り付けた俺たちは、彼女の家に学校の配布物を届ける名目で、 ほとんど毎日会いに行っていた――安定期になりさえすれば、いくらかマシにもなるだろう。 何より、初めての妊娠で不安になり始めた彼女の心のケアをしたかった、というのもある。 捨てないでね、一緒にいてね――その言葉を何度聞かされたことか。 だがお腹が十分に大きくなってからは、むしろそのこと自体が彼女の心を安定させた。 奨学金制度の設立以来、配置こそされど誰にも使われて来なかった授乳用の特別室。 そこで俺は、早々に張り始めた彼女の胸を揉み込んで、楽にさせる仕事を仰せつかった。 これまで数知れないほどに揉んだ彼女の胸に、学校の中で、外に人がいる状態で触る―― それはなんだか、言葉にできない淫らな雰囲気を醸し出す。いけないはずなのに、興奮する。 一回り大きくなったそれは、ずっしりと重い。そして下半分に溜まった汗を指で拭うと、 その感触は、生々しく俺の脳裏に刻み込まれるのだった――そのまま手を引いて、教室へ。 もう時間差で戻る必要もない。俺達の関係性は、公然の秘密といっていい。 クラスメイトは、彼女の腹部を驚きややっかみ、あるいはわずかの憧れ――そんなふうな、 複雑に絡まり合った感情を込めながら見つめる。何人かは、触らせてくれ、とも言う。 そのおっかなびっくりの手つきに、彼女が母性に満ちた――慈愛の眼差しを向けると、 それは俺の子供だ、と大声で宣言したくなる。ぐっ、と言葉を飲み込み、耐える。 彼女が唇にそっと指を立て、二人だけの秘密、と伝えてきているから―― そのくせ、他の生徒の目がなくなった途端、彼女は言うのだ。 もう皆にバレているのだから、公言して、二人目も作ってしまいましょうか――と。