【スケッチブックの日怪文書】 (1)  2人だけの個室にスケッチブックに鉛筆を走らせる音だけが響く。椅子に完璧な、誰もが慈悲深き聖女と思うであろう笑みを浮かべてカタリナ・イーネが座っており、聖盾のクリストがスケッチブックにカタリナのデッサン画を描いている。  ふいに、カタリナが口を開いた。 「イザベラさんではなくて、残念ですか?」  一瞬、鉛筆を走らせるクリストの手が止まった。 「いいえ、あの方を前にすると恐れ多くて手が震え碌なものにならないでしょう」  暗に(貴女程度が丁度いい)と言っているにも関わらず、カタリナは益々優雅な笑みを深くする。 「私、貴方の事を高く評価してるのですよ。クリストさんの魔術、カリスマ、そして尊崇を集める容姿」 「器ではないのですね」 「ま、当然ですね」と堪えた様子もなく描き進めるクリストに不満を感じたカタリナは、老婆心だと思いながらも言葉を続ける。 「クリストさんは、もっと向上心を持つべきです。憧れを仰ぎ見、己と比較することに汲々しては、いつか本当にその器も小さく萎みましょう」 「確かに、…ですが、僕には貴方のような努力の仕方は到底できない」 「…なぜです?」 クリストが顔を上げて笑う。その笑みがカタリナにはなぜか寂しげに見えた。 「僕は聖騎士です。聖職者でも武人でもあります。……貴女の努力の仕方。それは経緯はどうであれ、民への奉仕と説教は本物であることは認めます。……ですが、聖騎士としての僕の生き方はどうも相いれない」 「…なるほど」  できた、と筆を置きデッサンカタリナに披露する。その絵を見たカタリナは驚きの声を上げた。 「これは、まさか聖母様……?」  クリストが微笑する。 「貴方の承認欲求と自己評価の高さ、それにふさわしいストイックさを表すモデルをイメージしたら、自然とそうなってしまいまして」 「神よ、我が罪をお許しください」と大袈裟な仕草で許しを請うクリストに苦笑しながら、カタリナはデッサンに目を落とす。  柔らかいタッチで描かれた、赤子を抱き慈母の笑みを浮かべて座るカタリナの絵。 「私は、このような笑みを浮かべていたのですね」 「ええ。百人中百人が聖母と答える、完璧な修道女の笑みです」 (気に入った)  カタリナは内心で深く頷く。信徒向けの己のスマイルのチェックは毎日鏡の前で欠かさず行っている。けれども、やはり他人の目から見た己の笑みを見るのはこれが初めてだった。  これだけでも価値があったとカタリナは思う。客観的な視点で己のスマイルを確認する機会など滅多にないのだから。  満足げにデッサンを仕舞いながらカタリナが「でも、残念です」と呟いた。 「私は聖母には至れません。決して」 「ほう、それは?」 「だって、結婚したら殿方の信者を得にくくなるじゃないですか」  茶目っ気な顔で、ウインクしながら告げたカタリナの言葉にクリストは呆気にとられた顔を浮かべる。 「ふふ、処女懐胎という手もありますが、そんなことしたらクリストさん。貴方私に激昂して槍を突きつけそうですね。【赤子を己の宣伝に利用するなんて!どこで拾った子ですか!?】と」 「………むぅ」  返す言葉もないクリストの何とも言えない顔が可笑しく、クスクスカタリナは笑うのだった。 (2)  スケッチブックに魔術師マーリンが鉛筆を走らせる。神妙な顔で座っているモデルのカタリナが、ふと思いついた顔でマーリンを訊ねた。 「マーリンさんは、やはりクリストさんが嫌いですか?」 「嫌いだな」 「理由を聞いても?」  チラリとカタリナに視線を向けたマーリンが、スケッチブックに視線を戻しながら話し出した。 「別に、アイツの綺麗ごとばかりいう面が気に食わねえだけだ」 「綺麗ごとを宣う方ならギルドには他にも一杯いますわ。イザベラさん、ユイリアさん、ボルボレオさん……」 「うるせえ」  カタリナが口を噤んだ。ため息を吐きながらマーリンは窓の外に目を向ける。 「聖職者のくせに詐欺師より詐欺師らしいアイツが気に食わねえ。なのにアイツは世間の目とかいうくだらねえことでくよくよしてる。アイツ一人割り切れば皆万々歳なのによ」 「なるほど、よほど複雑な思いを抱いているのですね」  カタリナの断じた答えに顔を顰めただけで答えず、再びマーリンは鉛筆を走らせ始める。 「……前から思っておりましたが、貴方の生き方は私と必ずしもかけ離れてはいないように思えますが」 「ああ、だが、決定的に違う所があるぜ」 「…なんです?」 キッとマーリンが顔を上げる。彼のその目にカタリナは燃えるものを確かに見た。 「俺は、一代の間に必ず成り上がる。必要なら泥水だって啜るし靴も舐めてやるぜ。評判なんて所詮利用価値のあるものの一つでしかねぇ。名声であれ、悪評であれ、な」 「…そうですか」 カチッカチッカチッ、と会話が途切れた個室の中で、時計の時を刻む音がやけに大きく響く。 「……やはりもったいない。やっぱり私の仲間になりません?待遇は保証しますよ」 「却下だ」 「……理由を聞いても?」  マーリンがニヤリと笑う。 「俺はこの舌と頭で成り上がるんだ。お前みたいな女の下に走ったら成り上がる機会なんて得られず聖人の信徒、せいぜい弟子その1で終わっちまうだろうが」 「ふ、ふふ。なるほど!」  できたぜ、とマーリンが笑いながらスケッチブックをカタリナに差し出した。受け取ってスケッチブックに目を走らせたカタリナが甲高い声を上げた。 「こ、こ、こ、これは裸体画ッ!?」  デッサンの中のカタリナは、裸婦だった。大きな貝の上に立つ裸のカタリナを、様々な天使たちが祝福している。  デッサンの仕上がりは非常にいい。裸体の細部まで非常によくかけている。女神の絵画を参考にしたといいながらも、顔は確りとカタリナのそれだ。だからこそカタリナの顔に血が上るのを己でも抑えきれない。 「はーっはっはっは!なに驚いてんだよ!【美の女神】で有名なあの絵をモデルに描いてやったんだぜ!ああ、気持ち多めに胸は盛っておいたぜ!」  キッと顔を赤らめながらカタリナがマーリンを睨む。何とも珍しい彼女の表情に、またマーリンが笑いだした。 (3) 「…おや、懐かしい」  身辺整理を行っていた老いたシスターが二つのデッサンを見つけ、動きが止まった。老いてなお上品さと、美しさを損なわない老シスターは年齢を感じさせない矍鑠とした動きで椅子に座ると、しげしげと【聖母】と、【美の女神】をモチーフにした二枚のデッサンを眺める。 「ふふ……思えば、あの二人には随分と縁がありましたね」  聖盾のクリスト。魔術師マーリン、本名ジャック。この二人は己の本性を知った後も様々な交際を続けてきた。  自分歩んできた人生に後悔はない。カタリナは信仰を集めるため、己の承認欲求を満たすためあらゆる工作をしてきた。己をより高く売り込めるための自己研鑽も、必要とあらば欠かさず行ってきた。  がちゃっと、個室の扉を開け、若きシスターが隙間から顔を覗かせた。 「マザー・カタリナ、調子はどうですか?」 「ええ、問題ありません。お気遣いありがとうございます」  直ぐに威厳と慈愛を兼ね揃えた修道院長の顔を作ったカタリナがシスターの方に振り向いた。ホッとした様子でシスターがカタリナに微笑みかける。 「では、私は下がりますので何か御用がおありでしたら声をおかけください」 「はい、ありがとうございます。貴女に神のご過去があらんことを」  静かにシスターが扉を閉じた。カッカッ…カッ……と足音が遠ざかっていき、やがて完全に聞こえなくなったのを確認したカタリナは、それまで作っていた"修道院長"の顔からカタリナ・イーネの顔へと戻る。  ふぅ…っとカタリナがため息を吐く。そして、、低い、低い忍び笑いをカタリナが漏らした。 (誰一人として、私の、カタリナ・イーネの本性に気づく者はいない)  聖女カタリナ・イーネ。己の承認欲求を満たすこと、信仰を集めること、その両立を目指した彼女は聖職の徒として有るまじき願望を抱き、その願いをかなえることに文字通り生涯を捧げた。  今の地位にある修道院長という地位が若き日に抱いた不純、いや彼女にとっては純な願いに相応しいかどうかはわからない。でも、己の歩んだ道に一遍の後悔もない、とカタリナは断言できる。 (でも…)  カタリナの目が再び二枚のデッサンに向かう。聖女としてのカタリナではなく、己の本性を知っており、その故"騙る必要もなくなった相手"という存在は、あの二人以外終ぞ現れなかった。  カタリナが、硬直したかのようにデッサンを見つめたまま、何かを考え込むこと十秒、二十秒、三十秒………。  十分後、カタリナは無言で純銀の呼び鈴を手に取ると、力強く振った。   チリンッ、チリンッ………  待つこと数十秒。遠くから響いていた足音が段々と大きくなり、やがて先程のシスターが扉を開けて顔を出した。 「何かお呼びですか?マザー」 「ええ……一つ苦労をかけますが、スケッチブックを持ってきてもらってもよろしいでしょうか?」 「スケッチブック……?」  シスターの端正な顔に怪訝な色が浮かぶ。可愛らしく首を傾げていた彼女だが、やがて「はい」と小さく頷き、そっと扉を閉めた。  2年後、カタリナ・イーネは天寿を全うし、安らかにこの世を去った。多くの信者と聖職者にその死を惜しまれた彼女は盛大な葬儀でもって弔われた。  彼女の遺品を整理する中で、三つのスケッチが発見され、大きな話題を呼んだ。  二つは【聖母】と、【美の女神】のスケッチ。  そして最後の1枚のスケッチは、一人の聖女が二人の男性の天使を左右に従え、エスコートしてるかのように二人の天使が聖女に手を差し出しているスケッチだった。  その絵の隅にはカタリナの自筆によって、次のような文言が添えられている。 ────賢い人たちと共に歩むと賢くなり、愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う────  この三つのスケッチと文言の解釈をめぐっては、今も学者たちの間で論争が繰り広げられている。