鼻を心地よく通る潮の香りと波を切って進む音に目を細め、船上の白い電光に煌々と照らされながら客船は進んでいく。 電光と夜闇で黒く輝く海を篤人は柵に手をかけながら「来て良かった」と小声で呟く。 足元のジャンクモンが「だろ?」と笑いかけたのに篤人は同じように笑って答えると、何故このクルーズ船、レッシェン・ジーク号へと招待されたかを考え始めるも、すぐに頭からそれを掻き消した。 「こんなに大きな船にご馳走にお風呂にプール!!デジタルワールドにいる間、こんな体験出来るなんて思いませんでした!」 「どうせ休むなら環境がいいほうで。ソフィーの言った通りだったろ、アツト」 「だね……正直、僕はまだ色々と疑ってるけど」 ベンチに腰掛け楽しげに話す三幸とファングモンへ、篤人は硬い笑みで振り向いた。 「疑うのはよいが、船に怪しい代物はなかったぞ」 「何にせよ今は、羽根を伸ばしましょ?アヌビモンにも言われたのよね?」 三幸達の隣に座るソフィーとミミックモンの言葉にも、篤人は苦笑で返し、乗船の経緯を思い返した。 ソフィー達の依頼を受け、霜桐雪奈と共に雪山を越え灰被りの城を奪還した翌日に、割り当てられた部屋の机の上にその招待状はあり、三幸達にも届いていた。 怪しんだが結局、ソフィーの「休むなら良い環境で」との一言で行くことに決めた。それだけのことであった。 「……俺様、今になって東でのことを思い出しちまったぜ……」 げんなりとしたジャンクモンの言葉に、篤人は過去の恥から顔を歪め、強まり出した夜風の音が気にならなくなったまま、ため息をついた。 「……皆に言いたくなかったけど、バロッコ東の港町で、デジマグロ漁船に乗るハメになったことがあってさ」 「急に結論から話せと言う上司でも過程から聞きたくなる話がきましたわね」 「色々あって、借金背負わされてな……それで、返済のためによ……」 思い出しながらジャンクモンと共に苦々しく過去を話す最中、また強まった風に篤人は目を眇めて柵から離れた。 ──── 「……って事で、借金取りも漁船の奴らも全員倒したけど……船の操縦なんて出来ないから、適当に動かしてたら沈没させちゃったんだ」 「……貴方、結構無軌道な生き方してたわね」 「こいつがこの紋章を管理者から貰う前の話だけどな。あの時は俺様とこいつだけで旅してたが……死にかけた回数なんて数えきれねェよ」 困惑するソフィーに、ジャンクモンはため息をつきながら篤人に生暖かい視線を送る。ごまかすように引き攣った笑みで返した篤人は、少し圧されるものを感じ始めた風に、眼鏡を抑えて堪えた。 「えっと……恥ずかしい話だけど、余裕なくて、荒れてたんだよね、僕」 「同じ目に遭えば誰でもそうなろう」 顔を逸らすために海を見た篤人に、ミミックモンが肯定の言葉を掛けた。振り向き直した篤人は、考えている様子のある一同の表情を眺め、自分だけそうなるものではないという安堵で、目元を緩めた。 「……ま、あんな逃避行でも俺様一人よりマシだったんだぜ、アツト」 「僕は君がいないと死んでた」 篤人の返しに、ジャンクモンは気恥ずかしそうに背を向けた。苦笑でその背を見た直後、強まり続けるどこか湿った風を理由に「部屋に戻ろうか」の一言が出る前、三幸達が座るベンチの前を通りかかった片目を包帯で隠した灰色の髪の女が、何かに気付いた様子で足を止めた。 「む……君のそれは勇気の紋章か」 「私……のというのは、ちょっと違いますが……あの、紋章が何か?」 「すまない。私は不死原惠魅……傭兵だ。 私が知っている勇気の紋章と色が違うから、ちょっと気になってしまってな」 「……その言い方だと、貴方も?」 少し戸惑った三幸と少し寂しげに話すソフィーに向け不死原と名乗った女は頷くと、ポケットから紋章を取り出して見せた。 「……誠実か」 篤人はすぐ、同じ誠実の紋章を持ったかつての仲間、水嶋誠太郎の顔を思い出し、自分の表情が動いたことを感じると、誤魔化すためにまた海を見た。 (……あいつだけとは、上手く行ってなかったな) まだ選ばれる前の荒れていた自分は、紋章通りの誠実さからきているであろう彼の真面目さと口うるささに辟易し、選ばれてからもあまり仲良くやれたとは思っていないが、それでも力を尽くし合った。 誰に対しても、そんな彼だから、火置さんは惹かれた。思い出した流れで浮かんだ言葉に篤人は腹の奥に湿った物と自分への嫌悪感を咳き込んだフリで無理矢理抑え込むと、詰襟の中に仕舞った奇跡の紋章を「僕も持ってます」と言い、不死原に見せた。 「おっ。これが奇跡の紋章ウホ?」 「かなり珍しいの持ってますぜ、姐さん」 少し遅れて現れた不死原のパートナーであろうゴリモンとタンクモンの珍しそうな様子に、不死原も続けて「初めて見たな……」と紋章を凝視した。 「僕は片桐。片桐篤人です……紋章を持ってるってことは、あなたも選ばれし子供だったんですか?」 「十年以上前にだがな。彼女の勇気の紋章といい、珍しくて気になってしまってね」 不死原が続いて名乗った三幸達に返事をしている間に篤人は軽く息を吸い、改めて続けていく。 「僕には……何も、思うことの、ない、代物なんですが、別のデジタルワールドだと珍しいんですか?」 「……だろうな。私は見たことがない」 こんな役立たずの証が。歯切れが悪く話す最中に沸いた感情が顔に出たか、不死原が目を動かしてから返す間に僅かに、篤人は皮膚に冷たいものを感じた。 「……せっかくの豪華客船で悪天候なんて、随分水を差してくるわね」 「そろそろ船内に戻るか……何やら、雲行きも怪しいようだしな」 小雨を掌で受けるソフィーが頬を膨らませる。ミミックモンの提案に不死原も含めた全員が頷いて早足で船内に戻ろうとした所、視界一面に現れた雨脚に、篤人は舌打ちをした。 「おいおいいきなり……うおっ!?」 ファングモンが目を眇めて一人ごちた瞬間、雨脚は堰き止められていた滝の流れのように変わり、客船の一面に鉄棒を叩きつけるような音を打ち鳴らし、船内へと駆け込む他の乗客達の足音を掻き消していく。 「なんでまたこんな!!すぐに戻ってお風呂にしましょう!!」 「……ん!?なんかおかしいぞこの雨!」 ファングモンが何かを嗅ぎ分け、未だ滝のように流れ音を打ち鳴らす黒灰色の雲を見上げる。耐えかね叫んだ三幸が唸って空を睨むと、すぐに何かを感じたように、表情を消した。 篤人も濡れていく身体に構わず眼鏡を一度拭き周りを見渡すと、白い電灯だけが頼りの夜の甲板の床に、虹色がぼんやりと浮かんでいる。 「……雨にこんな臭いはしねェ。何が混じってる?」 ジャンクモンが顔を顰めた後に篤人も鼻を動かすと、雨風で薄くなった潮の香りに混ざり、不快に鼻を刺す甘い匂いがあった。 「水たまりにこの色……それになんか甘い感じの匂い……まさか……」 篤人より先にソフィーが思い至ったことを堪えるように歯を噛み締めると、唾を飲み込んだ不死原が未だに音をかき鳴らす雨脚と甲板一面に目をやり、篤人達へと振り向いた。 「……この雨、ガソリンが混ざっている」 「ガソリン……」 表情を固くした不死原の単語で、篤人の目の前に浮かぶ水たまりの色は鮮明な虹色になり始め、すぐに船内の入口と雨風と雷鳴が響く海を見渡した。 「場数は踏んでるみたいだね、片桐君」 「まさか。パニック寸前ですよ。火花一つで船が爆発しかねませんし」 硬い表情のまま話す不死原に、篤人は身を濡らす雨ではない湿りを背筋に感じたまま返すと、脈絡なく水嶋も、こうやって嵐を起こしていたなと思い出した直後に、避難という選択肢が現れた。 「船上でガソリンなんて大変ですよ!この雨を降らしてる奴を……いや、先に避難「この嵐でいつまで外にいる!早く……中、に……」 焦燥が吹き出した三幸が船内へ駆け出そうとした瞬間、彼女よりも顔に深い傷を負った男が現れると、篤人はすぐに表情を強張らせ男から目を逸らした。 「うわっ…さっきの怖い警官……悪いけど怪しい奴らは、とっくに海に逃げたと思うよ」 男と追従しているアグモンが鼻を動かしながら篤人を見ると、彼は一瞬細く険しい目を動かしてから篤人に近づいた。 「……電脳捜査課の竜崎です。どうやら異常事態のようだな」 聞いたことのない部署に篤人は一瞬目を眇めた後、竜崎という名であった警官の後ろのアグモンを見て、なんとなく仕事内容を察した。 篤人は竜崎とは、たまたまこの客船で出会しただけである。そしてこの警官が怪しい連中を強引に取り調べようとしていた所で遭遇したので、一言、言いたくなった。それだけであった。 「大吾、この雨……ガソリンかなんかだギャ」 アグモンの話に竜崎が頷くと、一瞬だけ考えた様子を見せ、篤人達に歩み寄った。 「一先ず避難でも異変の解決でも、本官が協力しましょう。何か、分かることは?」 「……残念だけど、誰かがこのガソリン混じりの雨と嵐を起こしてるしか分からないわ」 苦い顔で話すソフィーに、竜崎は海に視線を向けて小さく唸った。 「なら一先ず……避難が先ですわね」 三幸が小声で話すと、不死原が頷き竜崎とは反対の方向にある暗い影を指差した。 「逃げるならあの島だ。移動手段なら、私のパートナーで何とかしよう」 「あの、僕のパートナーも水上の移動は出来ますし、それなりに人を乗せれますよ……竜崎、さん」 不死原と篤人の言葉に竜崎は僅かに表情を緩めた。 「手段があるならば話は早い。ならばまず、乗客を……ぐっ!!」 竜崎が言い終わらないうちに、夜で暗まった海が飛沫を吹き上げ、船が揺れ動く。体が引き倒されかけたのを篤人は踏ん張ってこらえ、未だに振り続く雨の中、電灯が夜闇の海から現れた鮮明な青の輝きを強く照らした。 「ぉぉぉ……易易と逃げられるとでも!?」 客船を見下ろす輝きの主、リュウグウモンが嵐の中でも透き通る声音で篤人達に告げ、額を輝かせると、竜崎のアグモンが海に飛び込みながら体を光らせ、赤く巨大な恐竜、ダイナモンへと進化し、リュウグウモンの頭部を殴打し、額から放たれた輝きを海上へと逸らせた。 「状況が変わった!こいつの相手は俺がする!」 「了解したが……まだ【敵】に手はあるはずだ!タンクモン!!」 「おうよ姐さん!海は任せてくれぇ!!」 振り向いた竜崎に不死原が左腕のデジヴァイスを輝かせ、アグモンと同じように海に飛び込んだタンクモンは体を輝かせ、リュウグウモンよりも更に巨大な機械の大亀、ジャンボガメモンへと進化し、海中へ潜った。 「海中はあいつに任せてこっちも動くウホ!」 「だったらワタシとミユキで乗客を連れ出すわ! ファングモンの鼻なら見つけられるし、ミミックモンなら無理矢理でも連れていけるからね!」 提案したソフィーも頷いた三幸に篤人は「頼んだよ!」と返し、船内へと慎重に歩を進めていく姿を見送った。 ──── 「奴らもいるとは僥倖ですな。マリナス殿」 「ああ。随分と強いやつはいるが……ここで始末も出来れば最高だな」 光源の一つもなく泡の輪郭だけがモニターに映る夜の海中。ひと屋六幹部の一人、マリナス・オルデンバーグは一つだけの椅子と無数の機器に囲まれたシャークモンの内部である狭い空間で、通信機越しにも伝わる薄ら笑いに淡々と返す。 届いた豪華客船への招待状に対し、こんな時期に行く理由がないと話すファヨンに、マリナスは精々【仕入れ】には良いだろうと思い、行かせた。 「マリナス殿は良かったのでありますか?少しは楽しめたでしょうに」 「船なんぞ乗り飽きている」 シャークモンの無駄口にマリナスは切り捨てて返すと、答えのかわりに咳払いが聞こえた。 「一先ず、今の所はデジヴァイスの記録通りの嵐は起こせてますぞ。ファヨン殿の提案通りの【一工夫】も滞り無く」 シャークモンの続いた言葉に、マリナスは身につけた【誠実の紋章】と濃灰のデジヴァイスに目をやり、小さく唸って返した。 天候の操作ではなく、概念的な嵐の発生。元の持ち主であった水嶋誠太郎は出力に任せた使い方をしていたようだが、自分にもシャークモンにも真似ができる程の出力は出せなかった。 活用を考えていた所、ファヨンは「天候の操作じゃないなら、水以外にも降らせるんじゃ?」と提案され、今回の襲撃の一手とした。 「自分にはそんな発想は出ないでありますよ。これもデジモンが人に求める力ですな」 「俺も40を過ぎて頭は固くなる一方だからな」 通信機越しの乾いた苦笑をマリナスは聞き流し、ワークジャケットの胸ポケットから【航海安全】と書かれた濃紺の御守りを取り出すと目を瞑り、握りしめる。 僅かな沈黙の後、シャークモンから「お祈りでありますか?」という低い声が聞こえ、マリナスは相槌を返すとすぐにレーダーを確認し、告げた。 「既に結構な奴らが出てきている。 俺達はすぐには見つからんだろうが、さっさと動くぞ」 「了解であります……こちらシャークモン。想定より速くなるが、お前達も出番だ」 ──── 「っはは!結構手に入ったな!?」 「騒がないのエクスブイモン……【同業】もいたし、そろそろやめ時かしら」 外から叩きつけるように聞こえ続ける雨音とまだ微かに足音のなる船内の中、浅見谷宮瀬は笑う黒いエクスブイモンを咎め、甲板を目指す駆け足の乗客を見送っていく。 怪しくも、抗えない魅力を感じる招待状で乗船し、やはり怪しい事態が起きた。度々漂う刺すような匂いに宮瀬は顔を顰め匂いの正体を想像し、頭の片隅へと追いやった。 長居は無用。持ち出せる限りの物は持ち出した。エクスブイモン共々背負った鞄の重みが僅かに苦となった宮瀬は細く息を吐き、目に入った壁飾りに逡巡した瞬間、エクスブイモンが「なんか来るぞ」手で制した。 「来るって何よ。まさか海賊でも乗り込……」 不満気に話す宮瀬の視界に現れたのは、ファングモンとミミックモンを連れた二人の少女であった。 「居たぞミユ…キ、あいつら最後だ」 ファングモンの言葉には、何かを嗅ぎ取ったかのような間があった。ミユキという名らしい右頬に傷のある少女は、外の大雨で濡れたであろうえんじ色の髪や衣服から水滴をこぼしながら、宮瀬を怪訝に見た。 「早く避難してください!外は大変なことになってるんですよ!」 えんじ色の髪の少女は、鞄の中身に気付いてない。宮瀬は迷わずに頷いて早足で去ろうとした。 「おい。荷物は置いてけ」 通りすがる最中のファングモンの唸り声に、宮瀬は舌打ちをして、足を止めた。 「……オレもヒトの事は言えねぇ生き方をしてたが、荷物は置いていった方が身のためだぞ」 「あぁ!?何を勝手なことを言いやがる!!」 「なんだ。此奴も火事場泥棒か」 ファングモンに凄むエクスブイモンに構わず、その後ろのミミックモンが呆れた声音に、宮瀬は眉間に皺が寄りかけたのを感じ取り、戻していく。 「いや。あなた達と同じで避難前に逃げ遅れた人がいないか確認してただけよ。 荷物は全部ここの食べ物。知らないデジモンに少し取られたけどね」 この客船起きたことを、取り繕った真顔で返した。エクスブイモンが同調して「分かったならさっさと行かせろ!」と少女たちに怒声を浴びせる。恐れも驚きも見えない様子のえんじ色の髪の少女は、悩んだように呻いて睨み返した。 「問答はいい!鞄の中身はファングモンの鼻が察してますから、その荷物は置いていきなさい! さもないと引きずっていきますわよ!!」 怒鳴る少女に、宮瀬は鞄の重みを一際強く意識した後、既に自分が何をしていたかはミミックモンとファングモン、そして、未だ口を開かずに目を眇めている褐色肌の少女も察していると考え、呆れ混じりのため息で返し、鼻を鳴らした。 「生憎だけどこっちにも成したいことがあって、先立つものが必要なのよ。邪魔しないで頂戴」 「もう開き直ンのか!?」 「これ以上は無駄よ。さっさと押し通「やっと自白したわね泥棒さん」 エクスブイモンが身構えた瞬間、褐色肌の少女の指示でミミックモンが鎖付き鉄球を投げつけた。 そのまま進めば壁にぶつかる軌道の鉄球の動きを宮瀬は見送るも、すぐに鎖の動きが変わったことを察したエクスブイモンが、それを片手で受け止めた。 「おいおい。大したパワーもねぇのに……あ!?」 勝ち誇った笑みを見せたエクスブイモンは、自分の足元に走る黒い霧に驚き蹴り払うも、ただ空を切る。宮瀬も足元の霧に舌打ちし、檻が開かれたミミックモンの姿を見た。 「ヒンダーマイアズマ。泥棒にはこうやって、灸を据えてやるのが一番よ」 「そのままミミックモンの中で囚人の気持ちでも味わってなさい」 囚人の気持ち。感情のまま発せられたであろう言葉に、宮瀬は青筋が立った感覚から、自分を見下ろす悍しくも忌々しく脳に根付いた金の義眼の女を思い出し、思わず前へと歩みかけたが、踝から下の感覚が消失していた。 宮瀬は息を呑んだと同時に吹き上がった怒りを無理矢理押し殺して薄青の外套に手を入れ、観念したような表情を無理矢理作った。 「……もう察されてるなら言う事はないわ。 でもね、ただじゃ済まさないから」 「てめぇら!!後で半殺しにしてやうおおぉぉ!?」 ミミックモンの目が睨むものに変わると、エクスブイモンが叫びを上げながら、檻の中へ閉じ込められていく。宮瀬はそれにため息をつき。外套の中にある「仕返し」の算段を強く握りしめ、怒りを堪えたまま檻に呑まれていった。 ──── ガソリンの雨音とざわめきが入り混じった甲板、乗客達は不死原が水上に浮かせたアルティメットブラキモンの首を架け橋とし駆け足を堪え歩むか、海の上を歩める手段を持つテイマーは、各自で波をかき分ける音と共に僅かに緑色の輪郭が浮かぶ島を目指し、進んでいく。 デストロモンの腰部へと乗り移った篤人は、現状は滞りなく進む避難に安堵しながら、反対の喧騒……竜崎のダイナモンとリュウグウモンの争いを一瞬確認し、また橋を渡る乗客に視線を戻す。 「今の所は無事だが、絶対に君の出番は来るぞ片桐君」 「分かってます不死原さん。それに、水上戦はアリーナで経験してますから、全く力になれないってことはありません」 篤人の返事に不死原は「アテにさせてもらうよ」と言うと、海中のジャンボガメモンとの通信のためにデジヴァイスの操作を始めた。 (究極体が2体か……) 何度か打ち破ってなお、感嘆する。思えば、不死原と同じ誠実の紋章を持っていた水嶋も、究極体へとたどり着いていた。 僕に、何が足りない。脳裏に薄煙のように現れかけた言葉をすぐに吹き消すと、船内の入口からソフィーと三幸が、ミミックモンを担いで現れた。 「どうしたの二人とも!?いや、ミミックモン!」 「一先ず全員連れてきたわよ!火事場泥棒もふくめて……で、その火事場泥棒を取り込んでから……」 「す、すまん……もう堪え……っぉぁ!!」 一際強く震えたミミックモンが黒い煙を多量に吐き出すと、多くの人間とデジモンの形を作り上げていく。 何があった。そう篤人が聞く前にソフィーと三幸の視線の先にいる薄青の外套を纏った女と黒いエクスブイモンに、目を向けた。 「……随分と耐えたじゃない、これ結構強いウイルスなんだけど」 「ごぼっ……げぼっ……内側から手を打たれるのはよくあることぞ……それにこの程度、根性で耐えきれぬとでも思ったか」 女が忌々しげにミミックモンを睨み顔を背けると、振り注ぐ雨の何かに気づき、舌打ちをした。 「……てめぇ!!よくも鶏小屋みたいに狭……あぁ?なんだ、この臭い」 「ガソリン焼きになりたいなら戻っていいのよ」 睨んだままのソフィーの言葉に、エクスブイモンは顔を顰めて呻いた。 「状況がわかったならさっさと避難なさい火事場泥棒。今回だけは黙っててやります」 怒りの目を見せないよう俯く三幸に何かを小さく吐き捨てた女が、夜闇の空から振り注ぐ雨を渋面で見上げ、つぶやいた。 「客船にガソリンの雨って……もうテロリストか何かでしょこんなの……!」 「何にせよさっさとズラかろうぜ宮瀬……あっちにあのポリ公がいやがるしな」 何かを話し合う2人の様子に、篤人は不快げに眉が動いたのを感じ今すぐデストロモンの中に放り込み全てが終わったら竜崎に引き渡そうかとも考えたが、二人が黙るならばと考え、何もしなかった。 「……とにかくこれで全員よメグミ、悪いけどミミックモンは、少し休ませてあげて」 「災難だったな。動かずに済むうちは休むといいが、多分出番は来るぞ」 不死原が話した瞬間、海面からの飛沫と共にサブマリモンが現れる、鼻のドリルを低く鈍い音で回転させながらガソリンの雨が振り注ぐアルティメットブラキモンへと突撃するも、デストロモンがその身体を掴み、握り潰した。 篤人が息を吐く直前、アルティメットブラキモンを挟んだ海面から顔を出したルカモンが口元に何かを収束させ始めると、ファングモンが放ったブラストコフィンによりそのまま0と1へと霧散した。 「……発火狙いの突撃に、乗客を狙ってこれか。海賊にしては随分と手口があくどいな」 低く唸ったファングモンの言葉に、三幸は無言で顎を引き、海を睨んだ。 「っ……竜崎さん、そっちは!?」 「俺達への心配は無用だ!そのまま乗客を頼む!!」 額に汗を滲ませた竜崎の返事とリュウグウモンへと拳を叩き込んだダイナモンの姿を確認すると、篤人は再び向き直り、振り注ぎ続ける雨に手を触れる。 「……ん?匂いが、しない?」 雨からガソリンの鼻を刺す、あの不快な甘い臭いがしなくなっている。篤人は眼鏡を拭き、デストロモンへと目をやった。 「……もう十分だから、やめたのかな」 「ならいいがよォ……なんか俺様、動きにくいんだが……」 篤人は咄嗟に毒の類いを受けたかと思い、デジヴァイスの操作を始めるために視線を落とした所、偶然、デストロモンの赤金の装甲に、錆を見つけた。 「ぐっが……なんか変な感じがすんな……」 「どうしたアルティメットブラキモン……ガソリンの雨は止まっ……ん?」 不死原もアルティメットブラキモンの呻きに目をやると、彼の装甲に錆を見つけ目を眇め、一度篤人に顔を向けた。 「片桐君!デストロモンはどうなった!?」 「……そっちも錆が!?」 篤人の返事に、不死原は歯を軋ませて呻くと思い至った様子で、雲を見上げた。 「……ファングモン、ミミックモン……それに、そこのエクスブイモンも大丈夫か?」 「あ?俺と……あのファングモンも、なんてこたぁねえが……」 「……我はそろそろワイズモンに進化しておく。どうも、檻が錆びてきたようだ」 「……ジャンボガメモンには、まだ影響が出てないようだが……この赤錆、何の液体だ?」 不死原が忌々しげに呟くと、女が髪に手を触れ、不満げに口を開いた。 「……それだけ早く錆びさせるような液体浴びて、なんで生身のデジモンは人間は無事なの?」 女の言葉に不死原が考え始める様子を見せたが、睨んだ目のままソフィーが「ちょっと思ったけど」と話し、女を見た。 「この雨で、人体に影響を出したくないって考え方なら、襲撃者がわかったかも」 「……ソフィーさん。まさか」 「言い切れないけど、ひと屋ならやると思うわよ……だから、船を燃やして沈めることも、橋を錆びつかせて落とすことも考える」 ソフィーが雨に手を触れて呟いた言葉と同時に、デストロモンの後ろから水飛沫と共に、黄金の金属に身を包んだ巨大な海竜が現れ、デストロモンを睨みつけた。 「っ!メタルシードラモン……究極体がまだいやがった!!」 デストロモンが歯噛みしメタルシードラモンを睨見つけると、海竜は視線を船上に移し、推し量る目でソフィーを見据えた 「そこの小娘……いや、ソフィー・カンブルランか。やはり察しがいいな。オークションに出す予定だっただけのことはある」 「っ……黙ってればバレなかったのに、もう勝った気になったの?それとも、ワタシが欲しい訳?」 一瞬震えたソフィーが怯まず海竜を睨んだ。 「ふむ。恩賞に良いな……社長に頼むとするか」 「……成る程。テイマー付けてもらえないような立場なのね、貴方」 鳥谷部を思い出した様子のソフィーが嘲笑うと、メタルシードラモンは一瞬、怒りを堪えた呻きを漏らした。 「……まぁいい。精々客に時間をくれてやれ。 その間に新しい買主への思い出話の一つも考えてくれるだろうからな!!」 メタルシードラモンの言葉と共に、アルティメットブラキモンを挟んだ先からも飛沫が上がり、マリンブルモンが姿を現した。 「……手、足りるか……!?」 篤人は現れたデジモンと海面に目をやり呻いた。人手が足りない。この状況で究極体相手に一人で勝てる自信がない。 「仕方ない!何とかやるしか「あんた、ひと屋っていったわね?」 薄青の外套の女が、はっきりと篤人へと話しかけた。 「私はひと屋に恨みがあってね……その様子だと、あんた達も一緒でしょ?」 女の言葉に、篤人は嫌々と頷いた。 「狭い所に閉じ込めたの含めて、貸しにしてあげる」 「何かやってたことは後ろの警官には黙っておいてやる。それで貸し借り無しだ」 憮然と言い放った篤人に女は歯噛みし、仕方なさそうに顔を上げた。 「あなた。犬童って言ったわね。海から出てきた奴はこっちが仕留めるから、デストロモンを手伝ってやりなさい」 「あっ、はい……あの、名前は?」 「浅見谷宮瀬。元獄の売り物で……このエクスブイモンが、パートナーで、買主」 浅見谷に促され、三幸はファングモンと共に手を差し出したデストロモンへと乗り移り、戦艦の腰部に移動した。 「マリンブルモンがワタシがやるわ。十分休んで、ワイズモンにもしたからね」 ソフィーの声に篤人は振り向き、海竜を見据えた。 「……海に隠れてこそこそして、夜になったら海賊の真似かよ。海賊旗も立てられない臆病な奴らが?」 「全員叩きのめして、陸で干からびさせてやりますわよ」