【赤】  赤は嫌いだった。なぜなら、忌まわしき兄を思い出すから。  赤は雪中のショウハクにとって忌むべき色だった。脳裏に浮かぶは戦乱に紛れ逃げまどう民を"試し斬り"と称して斬り捨てる兄、ヘキレキの蛮行。  兄が剣を振るうたびに断末魔をあげて罪なき民が倒れていく。身体から赤き血を吹き出して。  返り血で真っ赤に染まった兄はショウハクを振り返って笑う。 『どうだショウハク!今の太刀筋は良かったよな!』  ラーバルがサンク・マスグラード帝国に訪れた時ショウハクは嫌悪と恐怖がないまぜにないような言いようのない不快感に襲われた。 (頼むからこの国から消えてくれ)と、ラーバルの顔を見る度にショウハクは祈った。  ショウハクにとって心の慰めとなったのはヒナドリ隊のラーバルへの微妙な反応。特にジーニャのラーバルへの嫌悪は凄まじかった。 『王子サマ』とあからさまに敵意を見せるジーニャの姿を思い返しては、己の印象が歪んでないのだと、安堵を覚えていた。  ジーニャが変わった。とある作戦でラーバルと合同で行動してから、目に見えて彼女の態度に変化が訪れた。  同じ隊に配属されたイワンとナタリアもラーバルを受け容れた。身分や国籍ではなくラーバル本人を認めたのだ。  初めは複雑な感情を抱いていた他のヒナドリ隊も彼を次々に認めた。  ライラは持ち前の音楽の才を発揮して、ラーバルと即興の歌を歌ってはヒナドリ隊を盛り上げ役になっていた。ノチュカはラーバルの隙を見つけては空から滑空し、ラーバルのケモミミを弄っては楽しんでいた。  ベールカがラーバルに尻尾の肌触りを味合わせていた場面に出くわしたこともある。なぜか同じ場にいたジーニャの目が険しかったが、考えるのも億劫だったので直ぐに忘れた。  セラフィはラーバルにこの国の木の実について伝授していた。その場面に偶々ショウハクが出くわすと、セラフィは気まずげに笑った。まるでショウハクに申し訳ないとでも感じたかのように。  それでもショウハクだけは、ラーバルと打ち明けることはなかった。ラーバルの髪の色は赤。赤はショウハクにとって未だ忌まわしき色だった。 「俺の事が受け入れられないか?」  ある日、ラーバルに訓練生寮の廊下ですれ違った時、ラーバルに呼び止められ尋ねられた。(無理もない)と、ショウハクは自分でもそれまでの態度を振り返る。隊の中で己だけは、彼を露骨に避け続けていたからだ。 「………お前見ると反吐が出そうになる」  嘘ではない。ラーバルの赤、それは忌むべき色。  ラーバルの顔が悲し気に歪んだ。小さな咳をラーバルがした。(風邪かな)と一瞬ショウハクは思ったが、直ぐにこいつを心配する筋合いはないと思念を振り払う。  咳をするラーバルの背後にヘキレキの幻影が浮かんできてショウハクは酷く狼狽した。返り血に染まった兄はラーバルの背後からショウハクを見て嗤う。 "見ろよショウハク!こいつの色を。まるで俺が切ってきた丸太共の吹き出した血みたいな色だろ?" 「煩い!」  叫んでからハッとショウハクは我に返る。既に幻影は跡形もなく、戸惑った顔を上げるラーバルの姿だけがそこにあった。 「ショウハク…?」 「ッ!……なんでもない。とにかく俺に作戦以外で近寄らないでくれ」  言い捨ててショウハクは速足でラーバルの前を立ち去ろうとしたその時、ラーバルが叫んだ。 「…でも!」 「ッ!」 「俺は、いつかお前とダチと言えるような間柄になりたい」 「………」 「今は、俺の存在自体が苦痛かもしれないけどさ…俺、努力するから。隊の皆に、王子サマじゃなくラーバルとして認めさせてみせるから」 「……無駄なことを」  駆け足で去っていくショウハクを慌ててラーバルは呼び止めようと手を伸ばした。 「待ってくれ……ッ!ゴホッゴホッ…!」  咳を繰り返すラーバルに一瞬足を止めたが、結局振り返ることなくショウハク彼から遠ざかっていく。その間もラーバルの咳き込む音がやけにショウハクの耳にこびりついた。 ********************  サンク・マスグラードは雪国だ。冬の気温は氷点下に達し、降り積もる雪は子供の背丈を優に超える。例え極寒の水の中に落ちれば歴戦の強者だろうと低体温症による重篤化は免れない。  それをあの馬鹿王子はやった。ボートの舵が壊れ、川を漂うボートの中に取り残された一人の子供を助けるために、ラーバルが川に飛び込んで救出したという話を聞いた時はショウハクは卒倒しそうになった。  当然ヒナドリ隊は大騒動。我も我もと隊士がお祝いに駆け付ける。ショウハクも、葛藤の末、ラーバルの軽挙を戒めるという名目の下にようやく決心がついた。 (まあ、一言よくやったくらいは言ってもいいか…)  ラーバルの寮室をそろ~……と、ショウハクは覗き込む。そこには『今日のMVP』の襷を掛け、大勢のヒナドリ隊にもみくちゃにされながら祝われてるラーバルの姿があった。  多少赤く火照った顔をしたラーバルが、ジーニャにヘッドロックをされながら彼女独特の祝われ方をしている。  長身のイワンがジーニャに固定され動けないラーバルの頭を強引にわしゃわしゃと撫でる。抗議の声を上げるラーバルの姿がなんとも面白く、周囲には笑いの声があがった。 (知らなかった…)  ショウハクは驚嘆した。忌むべきものでしかなかった赤。だが今ショウハクの目の前には、ヒナドリ隊の皆の心を明るく灯し、心に熱を与える赤い色がそこにはあった。  いうなれば灯台、いや、太陽。 「来てくれたのかショウハク!」  ショウハクの存在に気づいたラーバルが喜びの声を上げた。ラーバルのその声に寮室の中にいた隊士たちが一斉にショウハクに視線を向ける。 「いや、俺は……」 「ふふ、いいからいいから」  後ずさって逃げようとするも、とびきりいい笑顔を作ったナタリアに腕を掴まれ万事休す。ショウハクは寮室へと足を踏み入れる。  ラーバルの赤い色が近づく。それを見つめているとなぜか、ショウハクの心にも火が灯るような錯覚を覚えた。 「ごほっごほっ…!」 「おいおい、風邪ひいたか?気を付けろよな~!」 「大丈夫だってジーニャ!俺頑丈だから」 ………………………… …………… ………  赤は嫌いだ。ショウハクは今も赤い色を忌み嫌う。  ラーバルが倒れた。喀血して、口元を真っ赤に染めながら。 『ラーバルゥ!』  ラーバルの異変に気付き、彼を必死に抱きしめるジーニャの悲痛な叫び声が、今もショウハクの心にこびりついて離れない。  病名は、労咳。その病名を知らされたときショウハクは立ちくらみを覚えた。大陸では未だに回復の術の見つかってない、死病とされる病気だった。  レンハートからはひっきりなしに帰国せよという知らせが参りこんでいる。だが、ラーバルは首を縦に振らない。 「冬のサンク・マスグラード領を移動するのは負担」というのが一応の理由だが、ショウハクはラーバルから本心を聞いていた。 「おれは、一秒でもここにいたい。王子さまではなくラーバルとして心を通わすことができたここの国と。ジーニャと、イワン、ナタリア…それに」  ベッドで上半身を起き上がらせているラーバルがショウハクの方を見て微笑んだ。 「ヒナドリ隊のみんなと」  ラーバルの病室にはヒナドリ隊やサンク・マスグラード帝国兵たちのお見舞いの品や花が飾られている。こんなにラーバルはこの国に愛されていたのかと改めて感じ入る。 「俺は、俺を認めていない」 「ああ。知ってる……ごほっ!ごほっ!げふっ!」  ラーバルが激しく咳き込む。口を押える彼の手から赤い液体が漏れ出た。命の零れ落ちる、忌まわしき赤い色。 「ラーバル!」  堪らずショウハクは声を張り上げた。ここが病室ということも忘れて。 「俺に、必ずダチにするんだろ!だったら、負けるな!生きて、俺をダチにしてみせろ」  ショウハクの言葉に弱々しくラーバルが微笑んで頷く。あれほど眩しかった赤いラーバルの髪が、今は酷く儚げ見える。  ハッと、ショウハクの顔が凍り付いた。咳き込むラーバルの奥、病室の窓ガラスに、返り血に染まった忌まわしい兄、ヘキレキの姿が浮かび上がり、ラーバルを見下ろして笑っていた。 "嗚呼…この少年の口から溢れる血はなんと美しいんだろう…だが残念だ!こうなっては斬りがいがない!" (煩い…煩い…!煩い!!消えろ!消えてくれ兄さん!)  ベッドのシーツを握りしめショウハクは突っ伏した。なぜ、こいつなんだ。なぜ、数多の命を奪った兄や、恐ろしい兄を持った己でなく、病はラーバルを標的に選んだのか。なぜ────  答えのない自問を繰り返すショウハクの背を、優しくラーバルがさする。ショウハクがあげる。 「安心しろショウハク。俺は病なんかに負けるものか」 「ばか…なんでお前が俺を励ますんだよ…」  涙でくしゃくしゃになった顔でショウハクが、ようやく笑みを創ると、満足げにラーバルは頷く。その髪は先程までとは違い、再び精彩を取り戻したかのようにショウハクには思える。その髪の色こそショウハクがあの時寮室で見た、皆の心に炎を灯すラーバルの赤い色だった。