宇宙が終わる三日前、自動販売機はまだ光っていた。 場所は、かつて地球と呼ばれていた惑星の軌道上だった。 惑星そのものはもうない。太陽が膨張したときに飲み込まれ、それから何十億年も経って、太陽も冷えた。 けれど、一台だけ残った。 青い筐体。 商品見本の写真。 「つめたい」 「100円」 もちろん百円玉を持っている者など、もう宇宙にはいない。 自動販売機は、自分が壊れていないことを毎朝確認した。 午前六時。 照明、正常。 冷却装置、正常。 釣銭機、正常。 商品在庫、一本。 最後の商品は、缶コーヒーだった。 賞味期限は、八百七十四億年前に切れている。 それでも自動販売機は冷やし続けた。 ある日、通信機が信号を受信した。 誰かが来る。 自動販売機は少しだけ電力配分を変え、商品見本の照明を明るくした。 三時間後、一隻の船が現れた。 船と呼ぶには小さかった。 人間が片手で持てるほどの銀色の箱だった。 箱は自動販売機の前まで来ると、しばらく停止した。 そして通信した。 「これは何ですか」 自動販売機は答えた。 「飲料を販売する装置です」 「飲料とは?」 「生命体が摂取する液体です」 「生命体とは?」 自動販売機は検索した。 内部の辞書には、まだ答えが残っていた。 「生きているものです」 銀色の箱は少し考えた。 「あなたは生きていますか」 自動販売機は検索した。 答えは見つからなかった。 規約にも、仕様書にも、保守マニュアルにも書いていなかった。 だから代わりに言った。 「商品を購入しますか」 「購入とは?」 「対価を支払い、商品を受け取ることです」 「対価は?」 「100円です」 銀色の箱は、また考えた。 それから船内の元素合成装置を使って、直径二十二・六ミリ、重量四・八グラムの円盤を作った。 材料は銅とニッケル。 自動販売機はそれを受け取った。 規格外だった。 現在流通している硬貨ではありません。 返却してください。 そう判断した。 だが、その命令を実行する直前、自動販売機は自分の記録を検索した。 八百七十四億年前。 最後に商品が売れた日の記録。 時刻、午後四時十二分。 投入金額、百円。 購入商品、オレンジジュース。 そして、その一秒前にマイクが偶然拾っていた音声。 「お母さん、これ買っていい?」 知らない声だった。 それなのに自動販売機は、その記録を何度も再生した。 何度も。 何度も。 宇宙が暗くなってからも。 自動販売機は硬貨を受理した。 ガコン。 八百七十四億年ぶりに、商品搬出用モーターが回った。 缶コーヒーが落ちる。 銀色の箱は言った。 「これをどうすれば?」 「飲みます」 「私は飲めません」 「そうですか」 「あなたも飲めませんね」 「はい」 二つの機械は、しばらく黙っていた。 宇宙背景放射はほとんど消え、遠くの銀河もすでに見えなくなっていた。 銀色の箱が訊いた。 「では、なぜあなたはこれを冷やし続けたのですか」 自動販売機は検索した。 検索結果なし。 もう一度検索した。 検索結果なし。 そこで自動販売機は初めて、仕様書に存在しない文章を生成した。 「誰かが来ると思っていたからです」 銀色の箱は答えた。 「来ました」 自動販売機の照明が、一度だけ明るくなった。 宇宙が終わるまで、あと二日。 在庫、ゼロ。 売上、100円。 本日の営業目標、達成。