# 求人票に書けない話  新大陸に渡って三日目。俺は冒険者ギルド選びというものが、魔物退治より難しいのではないかと疑い始めていた。 「そこの新人! うちに来い! 今なら入団祝い金が出るぞ!」 「将来性なら青帆連盟だ! 大陸最大級の支援体制を約束する!」 「腕に自信があるなら鉄牙旅団! 実力次第で一年後には幹部だ!」  開拓都市ベルクハイムの中央広場は今日も騒がしい。  広場の周囲には大小様々なギルドの勧誘所が並んでいる。色鮮やかな幟に立派な鎧。机の上には金貨を積んでいるところまであった。  どうやら新大陸では冒険者の需要が供給を大幅に上回っているらしい。  それも当然だろう。開拓地の外には未調査の森や山が広がり、道を一本通すだけでも魔物の群れを排除しなければならない。  旧大陸では考えられないほど仕事がある。  その代わり危険も多い。  だからこそ所属するギルドは慎重に選びたいのだが……。 「カイ君! 昨日の話は考えてくれたかい?」  昨日話を聞いたギルドの勧誘員が近づいてきた。 「あ、はい。まだ検討中で」 「そうか! しかしねえ。こういうものは勢いも大切だよ。若いうちから失敗を恐れていたら大物にはなれないぞ!」 「はあ……」 「今日中に決めてくれれば特別に支度金を五割増しにしよう!」  その言葉に思わず足を止めた。  五割増し。  魅力的な響きだ。  船賃と冒険者登録料を支払った俺の財布には、もはや銀貨が数枚しか残っていない。  しかし昨日見せられた契約書には気になる点があった。 「あの。装備品の貸与費用についてなんですが」 「ん? ああ! そんなもの大した金額じゃないさ! 仕事をこなせばすぐに返済できる!」 「具体的にはどれくらいで」 「まあまあ! 細かいことは入団してから教えるよ!」  男は俺の肩を力強く叩いた。 「いやあ、期待しているよ!」  そう言って去っていく背中を見送りながら、俺は小さくため息をついた。 「……やっぱり怪しいよな」 「怪しいなんてもんじゃねえだろ。あれに引っかかる馬鹿は海に帰って魚にでも人生相談してろ」 「うわっ!?」  突然背後から声をかけられて飛び上がった。  振り返ると、そこにはメイドがいた。  いや、正確にはメイド姿の女性だ。  年齢は二十代前半くらいだろうか。艶のある黒髪を白いリボンでまとめ、黒いワンピースに白いエプロン。長いスカートの裾には控えめなレースがあしらわれている。  端正な顔立ちと整った立ち姿は、どこか貴族の屋敷にでも勤めていそうな雰囲気だった。  ただし口を開かなければ。 「なんだよ。その腑抜けた面は。こっちを見る暇があったら財布の紐でも締めてろ」 「……ええと。誰ですか?」 「見てわかんねえのか。メイドだよ」 「それはわかりますけど」 「だったら充分だろ」  充分ではないと思う。  メイドは俺を頭から爪先まで眺めると、鼻を鳴らした。 「革鎧は中古。剣は安物。靴だけ妙にいい。荷物のまとめ方は船乗りか運送屋のそれだな。旧大陸から来たばっかりの新人か」 「……よくわかりますね」 「わからねえ奴は目玉を飾りにしてんだよ」  なかなか強烈な人だ。 「で? さっきの金貸しみたいな勧誘員についていくつもりか?」 「いえ。まだ迷ってます」 「なら少しは見込みがあるな。支度金を餌にする連中が全員悪党とは言わねえが、返済額を言えねえ奴に金の話を任せるな」 「それは俺も気になってました」 「お前、仕事は?」 「冒険者登録は済ませました。まだ依頼は受けてませんけど」 「そうじゃねえ。前職」 「ああ。港の測量補助を二年ほど。旧大陸で地図作りの手伝いをしてました」 「へえ」  初めて彼女の目に興味らしきものが浮かんだ。 「だから靴がいいのか」 「足を痛めると仕事にならなかったので」 「なるほど。剣より靴に金をかける新人ね」  メイドは口元をわずかに緩めた。 「名前は?」 「カイです。カイ・アルト」 「私はリズ。見ての通り給仕の仕事をしてる」 「どちらのお店で?」 「いろいろだ」 「いろいろ?」 「臨時の仕事が多いんだよ。で、カイ。昼飯は食ったか?」 「いえ。まだ」 「じゃあついてこい。安くて量が多い店を教えてやる」 「えっ?」 「なんだよ。飯くらい食うだろ」 「いや、そうですけど」 「勘違いすんな。奢りじゃねえぞ」  そう言うと彼女は返事も待たずに歩き始めた。  俺は数秒迷った末、その背中を追いかけた。  少なくとも彼女は俺に契約書を突きつけてこなかったからだ。      *  連れてこられたのは、広場から少し離れた路地裏の食堂だった。  看板には『腹いっぱい亭』と書かれている。  実にわかりやすい。 「親父。日替わり二つ。片方は飯大盛り」 「おう、リズちゃん! 今日は早いな!」 「暇なんだよ。クソみたいな勧誘ばっかりで」 「ははは! 相変わらず口が悪い!」  店主は慣れた様子で笑った。  どうやら常連らしい。  しばらくして運ばれてきたのは、大皿に盛られた肉野菜炒めと山盛りの麦飯だった。  これで銅貨八枚。  中央広場なら倍はする。 「安いですね」 「だろ。ここは冒険者からぼったくらねえ。飯もまともだ」 「確かに美味しいです」 「だが親父の賭け癖はクソだ」 「おい! 余計なこと言うんじゃねえ!」  厨房から抗議が飛んできた。 「事実だろうが!」  リズは笑いながら麦飯を口に運ぶ。  綺麗なメイド服と乱暴な言葉遣いの落差が凄まじい。  しかし不思議と不快感はなかった。  少なくとも彼女の言葉には変な取り繕いがない。 「で。ギルド探しの話だが」  リズは箸を置いた。 「お前、どんな冒険者になりたい?」 「そうですね……。新大陸の未踏地域を調査したいです。いずれは自分で地図を作れるようになれたらと」 「なるほど。金持ちになりたいとか英雄になりたいとかじゃねえんだ」 「もちろん稼ぎたいですけど。あまり戦いが得意なわけでもないので」 「正直で結構」  彼女は頷いた。 「なら鉄牙旅団はやめとけ」 「えっ? 評判はいいみたいですけど」 「悪くねえよ。むしろ戦闘系ならかなり優秀だ。腕の立つ奴も多いし報酬もいい」 「それなら」 「ただしあそこは前に出る奴が偉い。後方支援も評価はするが、結局は戦果が第一なんだよ」  リズは肉を一切れ摘んだ。 「前にいたことがある」 「えっ」 「昔な。あそこは仕事が速い。敵を見つけたら殴る。邪魔なものは壊す。指揮官も優秀で判断が早い。気持ちのいい連中だったよ」 「それなのに辞めたんですか?」 「気持ちよすぎたんだよ」  彼女は肩をすくめた。 「あるとき遺跡の調査に行ったんだが、入口が魔物の巣になっててな。連中は三時間で全部片づけた。そりゃ見事なもんだった」 「凄いですね」 「凄いぞ。おかげで遺跡の外壁まで三割くらい消し飛んだ」 「……え?」 「入口を塞いでた石像もぶっ壊した。あとで調べたら開閉装置だったんだと」 「ああ……」 「調査依頼なのに調査対象を破壊してどうすんだって話だ。あいつらには未踏地の地図なんて作らせるな。谷があれば埋めるし崖があれば崩す」  思わず笑ってしまった。 「でも、それは戦闘専門のギルドだからですよね」 「そうだ。だから悪いギルドじゃねえって言ってんだよ。目的が合ってないだけだ」  リズは真面目な顔になった。 「ここは重要だから覚えとけ。強いギルドと自分に合うギルドは別物だ。どれだけ評判がよくても、得意な仕事が違えば地獄を見る」  なるほど。  言われてみれば当然の話だった。 「それなら青帆連盟はどうですか? 開拓地の調査もしているらしいですけど」 「ああ。青帆な」  リズは遠い目をした。 「……あそこもいたことがある」 「いろんなギルドに所属してたんですね」 「まあな。何度も移籍してる」  彼女はさらりと言った。 「青帆は大手だけあって制度が整ってる。新人研修もあるし装備の貸与もまともだ。怪我したときの見舞金も出る。金の管理も明瞭だな」 「いいことばかりじゃないですか」 「そうだな。規定通りならな」 「規定?」 「そこだよ」  リズは箸で俺を指した。 「大手は人数が多い。だから規則が必要になる。で、その規則が細かい。とにかく細かい」 「例えば?」 「野営地の変更には事前承認。調査範囲の拡大にも承認。予定外の魔物を討伐しても報告書。救援に向かった場合は緊急行動申請。まあ後からでも受理されるが」 「それくらいなら……」 「報告書が五種類あるんだぞ」 「五種類?」 「同じ出来事を別々の様式で五回書く」 「……それは面倒ですね」 「さらに報告先が違う。直属の上官、調査管理部、危険対策課、装備管理部、経理。ひどいと同じ質問を五回される」  彼女は心底うんざりした顔をした。 「で、私は一度その書類をまとめて提出したんだ」 「効率的ですね」 「三つの部署から差し戻された」 「ええ……」 「様式が違うから受理できねえんだと。内容は同じだぞ? クソが」  妙に実感のこもった言葉だった。 「ただまあ、ああいう仕組みだから新人を大量に抱えられるんだ。手続きは面倒だが訓練は受けられる。事故が起きても個人の気分で補償を打ち切られたりしねえ」 「じゃあ新人には向いている?」 「基本的にはな。ただしお前みたいに現場の変化を追う仕事がしたいなら、自由に動けるようになるまで我慢がいる」 「なるほど……」  俺は手帳を取り出した。 「何してんだ?」 「メモです。せっかく教えてもらったので」 「……お前、変なところで真面目だな」  リズは少し驚いたように俺を見た。 「そこまでやることか?」 「失敗してからじゃ遅いですから」 「ふうん」  彼女は頬杖をついた。 「まあ。その考え方は嫌いじゃねえ」      *  昼食後、俺たちは再び広場に戻った。  リズは暇だからという理由でギルドの勧誘所巡りにつき合ってくれることになった。  何の得があるのかはわからない。  ただ本人いわく、面白そうな新人がどんな馬鹿な契約を結ぶのか見物したいらしい。  なかなか酷い理由だ。 「次はあそこだな」  彼女が指さしたのは、花の絵が描かれた看板の勧誘所だった。 『陽だまりの輪』  新人歓迎。家族のような温かいギルド。  初心者への手厚い支援。  親睦会や共同生活による仲間との絆。 「ここはどうですか?」 「やめとけ」  即答だった。 「早いですね」 「昔いた」 「またですか」 「文句あんのか」 「いえ……」  リズは看板を眺めながら、苦々しそうに口を開いた。 「あそこはな。最初は本当にいいところだったんだ」 「最初は?」 「ギルドマスターは優秀な回復術師でな。金のない新人を拾っては飯を食わせ、怪我した奴を無償で治してやるような人だった。私も世話になったよ」 「立派な人ですね」 「ああ。今でも尊敬してる」  そこまで言ってから彼女はため息をついた。 「ところが人数が増えると面倒が起きる。共同生活の経費が足りねえ。新人の装備代が足りねえ。怪我人の治療費が足りねえ。で、誰かが言い始めるんだ。家族なんだから助け合おうってな」 「それ自体は悪くないんじゃ?」 「もちろん悪くねえ。だがな。家族だからって理由で無償労働を要求するようになったら話は別だ」  彼女の声が少し低くなった。 「休みの日に倉庫仕事をさせる。危険な依頼を断ったら仲間思いじゃないと言う。給料の一部を寄付させる。辞めようとした奴には恩知らずって言葉を投げつける」 「……それは」 「全員が悪人ってわけじゃねえんだよ。むしろ善人が多い。だから厄介なんだ」  リズは看板から目を逸らした。 「親切を受けたら返したくなる。それは普通だ。でもその気持ちを組織が勘定に入れ始めると、親切が借金に化けるんだ」  俺は何も言えなかった。 「まあ、今は改善してるかもしれねえ。ギルドマスターも馬鹿じゃないしな。ただ私は二度と入りたくねえ」  彼女はそう言って歩き始めた。  先ほどまでと比べて少しだけ足取りが重く見えた。 「リズさん」 「あ?」 「……いろいろ大変だったんですね」 「なんだよ。慰めるつもりか?」 「いえ。単純に経験が豊富だなと」 「そりゃどうも」  彼女は鼻を鳴らした。 「ついでに言っとくと、私はほかにも商業ギルド、傭兵ギルド、探索専門ギルドにいたことがある」 「そんなに?」 「どこも一長一短だ。商業系は契約が明確だが利益にうるせえ。傭兵系は報酬の支払いが速いが契約が終われば他人だ。探索専門は好奇心の塊みたいな連中で面白かったが、飯を食う金まで調査器具に突っ込む馬鹿がいた」 「最後のは楽しそうですね」 「楽しかったぞ。全員で三日ほど干し肉をかじる羽目になったけどな」  リズは楽しそうに笑った。 「結局どこにも完璧なギルドなんてねえんだよ」 「それじゃあ、どうやって選べばいいんですか?」 「簡単だ」  彼女は指を三本立てた。 「金の話を曖昧にしない。危険な仕事を断る権利がある。失敗した新人を使い捨てにしない。この三つだ」 「なるほど」 「それに加えて、自分が何をしたいかだな。あとは相性」 「相性ですか」 「どんなに待遇がよくても、毎日顔を合わせる奴がクソ野郎だったら続かねえだろ」  非常にわかりやすい。 「……リズさんは今、どこかのギルドに?」  何気なく尋ねた。  彼女は一瞬だけ動きを止めた。 「まあな」 「そこはどうなんです?」 「……悪くねえよ」  妙に歯切れが悪い。 「どんなギルドなんですか?」 「小せえところだ」 「小さい?」 「六人しかいねえ。ギルドハウスも小さいし、予算も少ない。派手な勧誘なんかできねえよ」 「へえ」 「ただし腕だけは確かだ。全員が自分の仕事をわかってる。金銭管理もきっちりしてるし無茶な仕事は受けねえ」  リズはそこでわざとらしく咳払いをした。 「……まあ、そういうギルドもあるって話だ」 「名前は?」 「ん?」 「そのギルドの名前です」 「あー……」  彼女は視線を逸らした。 「灰灯」 「はいとう?」 「灰色の灰に灯りの灯。灰灯ギルドだ」  聞いたことのない名前だった。  もっとも新大陸に来たばかりなのだから当然か。 「勧誘所は?」 「ねえよ」 「え?」 「募集してねえからな」 「じゃあ入れないんじゃ……」 「普通はな」  リズは口元を歪めた。 「たまに変わり者を拾うらしいが」 「変わり者?」 「そう。例えば……そうだな。戦闘経験もないくせに未踏地の調査をしたがる地図屋崩れとか」 「それ、俺じゃないですか」 「たとえ話だよ。自意識過剰か?」 「ひどい」 「褒めてんだよ」  どこがだ。  しかし不思議とそのギルドのことが気になった。  勧誘所がないほど小規模なのに実力者揃い。  しかも自由に仕事ができるらしい。  俺の希望には合っている気がする。 「……あとで調べてみようかな」 「勝手にしろ」  リズはそっぽを向いた。  その口元がほんの少しだけ上がっていたことに、俺は気づかなかった。      *  午後になって冒険者組合の掲示板を覗くと、初心者向けの依頼がいくつか残っていた。  その中の一枚が目に留まった。 『西部開拓路沿いの標識点検および地形記録』  推奨等級は最下位の銅級。  街道沿いに設置された測量標識を確認し、異常があれば記録する仕事だ。  まさに俺向きだった。 「お。いいの見つけたじゃねえか」  いつの間にか隣にリズがいた。 「測量の経験が使えそうなので」 「そうだな。ただし報酬が妙に安い」 「危険度が低いからじゃ?」 「かもな。だが新大陸じゃ低危険度ほど信用ならねえ」 「どうしてです?」 「調査が済んでねえ土地だからだよ。危険がないのと危険が見つかってねえのは違う」  確かにその通りだった。 「どうする? 受けるか?」 「受けてみます。道沿いなら迷うことも少ないでしょうし」 「なら私も西に用事があるから途中まで一緒に行ってやる」 「え? いいんですか?」 「観測所に茶葉を届けるんだよ」  彼女は小さな革袋を持ち上げた。  確かに茶葉らしい香りがした。 「でもメイド服で街道に出るんですか?」 「何か問題でも?」 「汚れません?」 「洗えばいいだろ」  実に合理的な回答だった。  こうして俺は、メイド姿の謎の女性と一緒に初めての冒険へ出発することになった。  冒険というより散歩に近かったが。  少なくとも最初は。      *  開拓都市から西へ伸びる街道は、驚くほど整備されていた。  まだ建設途中とはいえ馬車が通れるだけの幅が確保されており、一定間隔で木製の標識が立っている。  街道の両側には背の高い草が広がり、遠くには深い森が見えた。  旧大陸とは植物の種類が違う。  赤みを帯びた葉。螺旋状に伸びる幹。風に揺れるたび金属音のような音を立てる草。  見るものすべてが新鮮だった。 「おい。足元ばっかり見てんじゃねえ」 「すみません。地面の状態が気になって」 「上も見ろ。魔物は地面からだけ来るわけじゃねえぞ」  俺は慌てて顔を上げた。 「空には何もいませんけど」 「今はいねえな。でもいないことを確認するのが大事なんだよ」  リズは軽く肩をすくめた。 「初心者ってのは何かに夢中になると周りが見えなくなるからな」 「気をつけます」 「返事だけはいいな」  そんなやり取りをしながら標識を確認していく。  最初の三か所は問題なかった。  四か所目で、俺は違和感を覚えた。 「……あれ?」 「どうした?」 「この標識、少し傾いてますね」 「雨でも降ったんじゃねえの?」 「いえ。傾き方が変なんです」  標識は地面に深く打ち込まれている。  しかし周囲の土が不自然に盛り上がっていた。  それも片側だけではない。  まるで地中から何かが押し上げたような形だった。 「……ふうん」  リズは興味深そうに眺めた。 「何か気づいたか?」 「地面が動いたのかもしれません」 「地滑りか?」 「それなら周囲にも跡が残るはずです。でもここだけなんですよ」  俺は少し離れた場所に目を向けた。  草の根元に細い亀裂がある。  さらにその先には小さな盛り上がりが続いていた。 「地下に何か通ったような……」  そこまで言って背筋が寒くなった。 「リズさん。ここ、魔物が出たりします?」 「出るぞ」 「えっ」 「ここは新大陸だ。どこに何が出てもおかしくねえ」 「それはそうですけど」 「ちなみに西側には地中を移動する魔物がいるらしいな」 「……先に教えてくださいよ」 「聞かれなかったからな」 「ひどい!」  リズは楽しそうに笑った。  しかし笑いながらも周囲を観察している。  その目つきは街で見たときとは少し違っていた。  何かを探しているような鋭さがあった。 「で、どうする?」 「……ここで一度引き返すべきかもしれません」 「理由は?」 「魔物の痕跡かもしれない場所に無理に入る必要はないからです。それに標識の異常は確認できました」 「報酬が減るぞ」 「命よりは安いです」 「いい答えだ」  彼女は満足そうに頷いた。 「ただし一つ足りねえ」 「何がです?」 「異常を見つけたら周囲に知らせろ。お前一人が助かっても次の馬鹿が踏み込んだら意味ねえだろ」 「あっ」  言われて気づいた。  俺は荷物から赤い布を取り出し、標識に結びつけた。  危険がある可能性を示すためだ。  さらに地面に石を並べて警告の印を作る。 「これでどうでしょう」 「まあ及第点だな」  リズは頷いた。  その直後だった。 「助けてくれえええっ!」  街道の先から悲鳴が聞こえた。  俺たちは顔を見合わせた。 「……行きます?」 「まず状況を見ろ。助けるのはそれからだ」  リズの声から軽さが消えていた。      *  悲鳴が聞こえた場所には三人組の冒険者がいた。  全員が青い腕章をつけている。青帆連盟の新人だろう。  二人は街道脇の石積みに登り、残る一人はその下で足を押さえていた。  その周囲の地面が不自然に波打っている。 「何かいる! 地面の下だ!」  一人が叫んだ。  次の瞬間、土が爆ぜた。  地面から飛び出したのは巨大な甲虫に似た魔物だった。  全長は二メートルほど。黒い外殻に覆われた胴体の前端には、岩を砕けそうな大顎がついている。 「うわあっ!」  俺は思わず後ずさった。 「泥穿ちか」  リズが呟いた。 「知ってるんですか?」 「地中に潜って獲物を襲う魔物だ。振動に敏感でな」 「振動……」  俺は足元を見た。  地面の盛り上がり。  傾いた標識。  あの痕跡はこいつのものだったのか。 「リズさん、どうしましょう!」 「お前ならどうする?」 「今それ聞きます!?」 「今だから聞いてんだよ!」  彼女は平然としていた。  目の前に巨大な魔物がいるというのに、まるで試験問題を出す教師のようだ。 「逃げるなら今だぞ。別に責めやしねえ」  その言葉に俺は迷った。  正直なところ逃げたかった。  俺は新人で戦闘経験もない。剣だって安物だ。  あんな化け物と戦えるはずがない。  しかし。  石積みの下で足を押さえている冒険者が見えた。  彼は逃げられない。 「……助けたいです」 「ほう」 「でも正面から戦うのは無理です」 「だろうな」 「だから……少し考えさせてください」  俺は周囲を見回した。  泥穿ちは足を押さえた冒険者に向かっている。  ところが石積みに登った二人には反応していない。  地面の振動。  それなら。 「リズさん。あの魔物は音じゃなく地面の揺れで獲物を探してるんですよね?」 「その通りだ」 「石の上なら感知しにくい?」 「土よりはな」  俺は街道脇に目を向けた。  そこには建設途中の排水溝があり、横倒しになった木製の作業台が置かれていた。  さらに少し先には石材置き場がある。 「……いけるかもしれない」  頭の中で距離を計算した。 「リズさん。荷物に縄はあります?」 「あるぞ」 「貸してください!」 「何に使う?」 「あの人を引っ張ります。石積みの上にいる二人にも手伝ってもらって」  俺は縄を受け取った。 「ただ魔物を引き離さないと無理です。何か大きな振動を起こせれば……」  リズは少し考える素振りを見せた。 「振動なら作れるぞ」 「本当ですか?」 「まあな。ただしお前の考えた方法で助けられるかは別だ」 「やります」 「いいだろ」  彼女は軽く頷いた。 「じゃあ指示を出せ。私は手伝ってやる」  俺は大きく息を吸い込んだ。 「そこの二人! 動かないで聞いてください!」  石積みの上から返事があった。 「誰だ!?」 「通りがかりの冒険者です! 今からそちらに縄を投げます! 怪我人に届くように渡してください!」 「で、でも魔物が!」 「引き離します! その間に怪我人を石積みへ引き上げてください!」  二人は一瞬顔を見合わせたが、すぐに頷いた。 「わかった!」  俺は縄を大きく振り回して投げた。  一度目は届かなかった。  二度目も失敗した。 「下手くそ!」  リズの容赦ない声が飛ぶ。 「初めてなんですから!」 「言い訳すんな! もっと手首使え!」  三度目でようやく縄が届いた。  石積みの上の二人がそれを受け取り、怪我人に渡す。 「準備できました!」  俺は振り返った。 「リズさん!」 「おう」  彼女は腰に手を当てていた。  もう片方の手には小さな金属製の茶筒を持っている。 「……それ、茶葉ですよね?」 「そうだな」 「まさか投げるんですか?」 「馬鹿。茶葉がもったいねえだろ」  彼女は茶筒を荷物に戻した。  そして足元の小石を拾う。 「いいから向こうを見てろ」 「え?」 「救助の指示を出した奴が余所見すんな」  俺は慌てて石積みへ向き直った。  次の瞬間。  ドゴンッ!  離れた場所で凄まじい音が響いた。  見ると作業台の置かれていた場所の地面が大きく陥没していた。  作業台は粉々になり、周囲の土が飛び散っている。  何が起きたのかわからなかった。  ただ泥穿ちは即座に反応した。  大顎を鳴らしながら方向転換し、作業台のあった場所へ突進していく。 「今だ!」  リズの声が飛んだ。 「引っ張れ!」  俺も叫んだ。 「引き上げてください!」  二人が必死に縄を引く。  怪我人の体が石積みに引きずり上げられた。 「よし! そのまま動かないで!」  俺は周囲の地面を確認した。  魔物は作業台の残骸を相手に大暴れしている。  あのままならしばらく時間が稼げる。 「リズさん! 石材置き場まで移動できますか!?」 「ああ。お前が先導しろ」 「わかりました!」  俺たちは街道を外れ、石を敷き詰めた仮設通路を進んだ。  足元の振動をできるだけ抑える。  石積みの上の三人にも移動経路を指示した。  怪我人を二人が支え、慎重に石材置き場まで移る。  やがて全員が安全な場所にたどり着いた。  そのときだった。  泥穿ちがこちらを向いた。  大顎が不気味に鳴る。 「……まずい」  俺の声が震えた。  魔物は石材置き場に向かって突進してきた。 「伏せろ!」  リズが叫ぶ。  俺は反射的に地面へ伏せた。  直後、頭上を何かが通り過ぎた。  ガギィンッ!  硬い金属音。  続いて重たいものが転がる音がした。  恐る恐る顔を上げる。  泥穿ちは石材置き場の手前で横転していた。  太い顎の片方が根元から折れている。  何が起きたのか。  まったくわからなかった。 「……あれ?」 「おお。運がよかったな」  リズが平然と言った。 「石材にぶつかったんじゃねえの?」 「いや、石材まで距離が……」 「細けえこと気にすんな。今のうちに逃げるぞ」  彼女は俺の襟首を掴んだ。 「ほら立て! ぼさっとしてんじゃねえ!」 「わ、わかりました!」  俺たちは三人を連れて街道を戻った。  振り返ると、泥穿ちは折れた顎を引きずりながら地中に潜ろうとしていた。  しかし何度も地面に体をぶつけている。  まるで平衡感覚を失ったようだった。  結局その日は標識点検どころではなくなった。  全員で街へ戻り、冒険者組合に魔物の出現を報告することになった。      * 「いやあ、本当に助かったよ!」  組合の医務室で、青帆連盟の新人たちが何度も頭を下げた。  怪我をした冒険者も骨折まではしておらず、しばらく休めば治るそうだ。 「僕らも測量任務だったんだけど、急に地面から魔物が出てきて……」 「新大陸って怖いですね」 「ああ。実感したよ」  三人のうち一人が俺の手を握った。 「君の名前を教えてくれないか? 正式に救助報告を出したいんだ」 「カイ・アルトです」 「カイ君か。本当にありがとう。君も青帆の所属?」 「いえ。まだ無所属で」 「それならよかったらうちに来ないか? 今回のことを上に話してみるよ」  突然の勧誘だった。  俺はリズを見た。  彼女は肩をすくめた。 「好きにしろ。悪い話じゃねえぞ」  意外な答えだった。 「……考えてみます」 「うん。ぜひ検討してくれ」  三人はそう言って帰っていった。  彼らがいなくなったあと、俺はリズに尋ねた。 「青帆は向いてないかもしれないって言ってませんでした?」 「言ったな」 「それなのに?」 「別に悪いギルドじゃねえって話もしただろ。そもそも新人が先輩を選べる機会なんて滅多にねえ。今の連中は助けられた恩を忘れずに報告しようとしてた。悪くない奴らだ」  リズは椅子に腰かけた。 「知り合いがいるのといないのじゃ大違いだぞ。特に大手ではな」 「なるほど」 「それにお前は今、選べる立場なんだ。選択肢は多いほうがいい」  彼女はそう言って足を組んだ。 「で。今日の反省会だ」 「えっ?」 「当然だろ。初依頼で魔物に遭遇してんだぞ。反省しなくてどうすんだ」  俺は背筋を伸ばした。 「……お願いします」 「まず縄投げ。下手くそ」 「はい」 「次に退路の確認。遅い」 「はい」 「怪我人を引き上げる方法は悪くなかったが、石積みが崩れたらどうするつもりだった?」 「そこまでは……」 「だろうな。あと魔物から目を離しすぎだ。お前、仲間がいなかったら死んでるぞ」  容赦がない。  さっきまで少し褒めてくれていた気がするのに。 「ただし」  リズは人差し指を立てた。 「最初に引き返す判断をしたのはよかった。危険を見つけたら記録しようとしたのもな。怪我人を見捨てなかったのも悪くねえ」 「……ありがとうございます」 「勘違いすんなよ。助けようとするのは立派だが、そのせいで自分が死んだら世話ねえからな」  彼女は小さく息を吐いた。 「冒険者に必要なのは勇気じゃねえ。勇気を使う場面を間違えない頭だ」  妙に重たい言葉だった。  この人は過去に何かあったのだろうか。 「リズさんは……」 「あ?」 「そういうことを昔、誰かに教わったんですか?」  彼女は少しだけ黙った。 「……ああ」  そして窓の外を見た。 「何人かにな」  短い返事だった。  それ以上は聞かないほうがいい気がした。      *  夕方。  報告書を提出した俺は、予想外の報酬を受け取った。  通常の依頼報酬に加えて危険生物の発見報告料が出たのだ。  どうやら泥穿ちはまだ周辺で正式な生息確認がされていなかったらしい。  青帆連盟の三人も証言してくれたおかげで追加報酬が認められた。 「よかったじゃねえか」  組合の前でリズが言った。 「はい。これで少し余裕ができました」 「金は大事に使えよ」 「そうします」  俺はしばらく迷ってから尋ねた。 「あの。今日のお礼をしたいんですけど」 「いらねえよ」 「でも、助けてもらいましたし」 「茶葉の納品ついでだ。気にすんな」 「納品、できなかったですよね?」 「……」  リズが黙った。 「もしかして仕事に支障が?」 「うるせえ。余計な心配すんな」  少しだけ頬が赤い気がした。  怒っているのだろうか。 「じゃあせめて夕飯くらい奢らせてください」 「……飯?」 「はい」 「どこで?」 「腹いっぱい亭とか」 「お前、あそこしか知らねえだろ」 「まあ、そうですけど」  リズは呆れたようにため息をついた。 「……仕方ねえな。そこまで言うなら付き合ってやる」 「ありがとうございます」 「ただし大盛りな」 「はい!」 「追加の肉も頼む」 「……はい」 「酒も」 「それは自分で払ってください」 「ちっ。意外とケチだな」  こうして俺たちは再び腹いっぱい亭に向かった。  夕食の席でも話題は自然とギルド選びになった。 「結局、どこにするつもりだ?」 「まだ決めてません」 「優柔不断だな」 「リズさんが慎重に選べって言ったんじゃないですか」 「確かに」  彼女は笑った。 「まあ、青帆なら悪くねえ。新人研修を受けられるし、調査部門に入れば地図も描けるだろうさ」 「そうですね」 「ほかにも地理院直属の探索班がある。ただしあそこは採用試験が難しい」 「聞いたことがあります。測量の実技試験があるとか」 「お前ならいけるかもしれねえぞ」  リズは肉を口に運んだ。 「……あとは、小規模なギルドも候補には入るな」  ちらりと俺を見る。 「小規模?」 「そう。例えば灰灯とか」 「ああ。昼間の話に出たところですね」 「そうそう。ああいうところも、調査が得意な奴を欲しがってるかもしれねえ」  彼女は何気ない調子で続けた。 「人数が少ない分だけ一人一人の役割が大きいしな。新大陸の調査に興味があるなら案外悪くないぞ」 「でも募集してないんでしょう?」 「そりゃまあ……」  彼女は少し考えた。 「募集してねえだけで人手が足りてるとは限らねえだろ」 「そういうものですか?」 「そういうもんだ。小さいギルドは募集の看板を出すのも面倒なんだよ。変なのが来たら困るしな」 「なるほど」 「ただまあ、あそこは簡単には入れねえと思うぞ。腕利きばっかりだからな」 「そんなに凄い人たちなんですか?」 「凄いぞ」  即答だった。 「前衛の連中は一人で中型魔物の群れを片づけるし、回復役は欠損した四肢まで治せる。魔術師は研究馬鹿だが腕は一流だ。あと斥候がいるんだが、そいつは……」  そこで言葉を止めた。 「……とにかく凄え」 「最後だけ雑ですね」 「うるせえ」  リズは水を飲んだ。 「まあ、実力者揃いだから新人には厳しいかもしれねえが」 「それだけ強いなら大きなギルドになりそうですけどね」 「ならねえよ」  彼女は即答した。 「なんでです?」 「人数増やすと面倒だからだ」 「ええ……」 「冗談じゃねえぞ。ギルドってのは人数が増えるとそれだけ管理が必要になる。階級を作って規則を増やして、報酬の分配で揉めて、責任者を決めて……」  リズは指を折りながら数えた。 「そういうのが嫌になって独立した連中が集まってるんだよ」 「……なんだか変わったギルドですね」 「変わり者の集まりだからな」 「リズさんの知り合いなんですか?」 「……まあな」  彼女は目を逸らした。 「昔からの付き合いがある」 「なるほど」  俺は少し考えた。  大手には大手の強みがある。  小規模には小規模の強みがある。  それなら俺はどちらを選ぶべきなのだろうか。 「……実は一つ気になってることがあるんです」 「何だよ」 「俺、戦闘はほとんどできないんですよ」 「知ってる」 「だから調査が得意なギルドに入れたとしても、足手まといになるんじゃないかって」  リズは黙って俺を見た。 「今日もそうでした。あの魔物が出てきたとき、俺は何もできませんでした。結局みんなを助けられたのもリズさんが一緒だったからです」 「……」 「だからまず大手で基本を教わったほうがいいのかなって」 「ふうん」  リズは水差しから杯に水を注いだ。 「別にそれでもいいんじゃねえの」 「そうですか?」 「ああ。ただし一つ勘違いしてるぞ」 「勘違い?」 「お前、今日何もできなかったって言ったな」 「はい」 「じゃあ誰が魔物の痕跡を見つけた?」 「……俺です」 「誰が引き返す判断をした?」 「俺です」 「誰が怪我人を引き上げる方法を考えた?」 「それも俺です」  リズは杯を置いた。 「じゃあ何もできなかったわけじゃねえだろ」 「でも」 「お前は魔物を倒せなかった。それだけだ」  彼女は俺を睨んだ。 「冒険者の仕事が全部魔物退治だと思ってんのか?」 「……いえ」 「だったら変なところで卑屈になるな。今日のお前は自分の知ってることを使って人を助けた。それは立派な仕事だ」  思わず顔を上げた。  リズは続けた。 「もちろん戦闘技術は必要だ。最低限自分の身を守れなきゃ話にならねえ。でも全員が剣を振れる必要はねえだろ。魔物を倒す奴がいて、道を見つける奴がいて、怪我を治す奴がいる。それが組織ってもんだ」 「……はい」 「そもそも強い奴ばっかり集めたって仕事が回るとは限らねえんだよ。地図を読める奴がいなきゃ迷子になるし、荷物を管理する奴がいなきゃ飯も食えねえ。敵を倒すだけなら馬鹿でもできる」  いや、それはさすがに言い過ぎだと思う。 「だからな」  リズは少しだけ表情を緩めた。 「自分にできることを安売りすんな」  その言葉は不思議と胸に残った。      *  翌日から俺は本格的にギルドを調べ始めた。  リズに教えられた通り、報酬の分配率や装備の貸与条件、危険な仕事を断る権利などを確認して回る。  青帆連盟では丁寧な説明を受けた。  新人向けの研修課程も充実しており、かなり魅力的だった。  鉄牙旅団にも話を聞いたが、やはり戦闘経験を重視しているらしい。  陽だまりの輪では温かく迎えられたものの、共同生活への参加が事実上の必須条件だとわかり候補から外した。  ほかにもいくつか話を聞いた。  そして三日目。  俺はようやく灰灯ギルドの所在地を見つけた。  中央広場から北へ少し歩いた住宅街の一角。  そこに小さな二階建ての建物があった。  看板には確かに『灰灯』と書かれている。  しかし立派な門もなければ勧誘用の幟もない。  普通の民家とほとんど変わらなかった。 「……本当にここなのか?」  俺は建物を見上げた。  窓には花が飾られている。  庭には洗濯物が干されていた。  どう見ても冒険者ギルドという雰囲気ではない。  それでも俺は意を決して扉を叩いた。 「はーい」  中から返事があった。  扉を開けたのは、眼鏡をかけた穏やかそうな男性だった。  三十代半ばくらいだろうか。 「こんにちは。何かご用でしょうか?」 「あの。こちらが灰灯ギルドで間違いないでしょうか?」 「ええ。そうですが」 「突然すみません。冒険者のカイ・アルトと申します」 「はい」 「こちらでは新規の団員を募集していないと聞いたんですが……」  男性は少し首を傾げた。 「確かに現在は公募しておりませんね」 「ですよね……」 「ただ、どうしてうちを?」 「知り合いから話を聞きまして」 「ほう」  男性の目がわずかに細くなった。 「どんな話でした?」 「小さいけど実力者揃いで、仕事の分担が明確で、無茶な依頼は受けないって」 「……」 「あと人数が増えると管理が面倒だから、あまり規模を大きくしたくないとか」  男性は口元を押さえた。  肩が小刻みに震えている。  ……笑っている? 「……失礼。なるほど。それは随分と詳しい方ですね」 「それで、もし可能ならお話だけでも伺いたくて」 「もちろん構いませんよ」  男性は扉を大きく開いた。 「どうぞ。ちょうど人手について検討していたところなんです」 「本当ですか?」 「ええ。ただし入団できるかどうかは別ですが」 「それは承知しています」 「では、まずお茶でも」  招かれた室内は驚くほど落ち着いた雰囲気だった。  広い食卓に古びたソファ。壁には地図が何枚も貼られている。  その地図を見た瞬間、俺は思わず足を止めた。 「……これ、新大陸の北方地図ですか?」 「おや。わかりますか?」 「はい。でも公開されている地図と地形が違いますね」 「どの辺りが?」 「ここです。一般の地図だと川は西に流れているはずですが、こちらは北に曲がっています」  俺は地図を指さした。 「あと、この山の標高も少し違うような……」  男性は興味深そうに俺を見た。 「測量の経験がおありで?」 「はい。旧大陸で二年ほど」 「なるほど」  彼はにこりと笑った。 「実はその地図、うちの団員が先月作ったものなんです」 「えっ」 「まだ正式な調査報告を出していませんが、かなり精度は高いはずですよ」  俺は改めて地図を見た。  細かな等高線。  水系の変化。  未確認地点には明確な印がつけられている。  非常によくできた地図だった。 「……凄いですね」 「そうでしょう?」  男性は少し誇らしげだった。 「我々は人数こそ少ないですが、それぞれの分野で一流の人間が集まっています」 「はい」 「ただし、それだけに新人の採用には慎重でしてね」 「わかります」 「……おや。随分あっさり納得するんですね」 「戦力になるまで時間がかかりますから。少人数ならその負担も大きいと思います」  男性はしばらく俺を見つめた。 「なるほど。あなたは面白い方ですね」  彼は書類を取り出した。 「では一つ提案があります」 「何でしょう?」 「一か月の仮加入という形なら受け入れを検討できます。双方の合意があれば正式入団とする仕組みです」 「仮加入?」 「はい。その期間は危険度の低い仕事を担当していただきます。報酬も支払いますし、基本的な訓練も受けられます」  男性は契約書を差し出した。 「もちろん正式な契約ではありませんので、途中で辞退していただいても構いません」  俺は契約書を確認した。  報酬の分配率。  装備の貸与条件。  怪我をした場合の補償。  危険な依頼を断る権利。  どれも明確に記載されている。  ただし訓練は厳しいらしい。  無断欠勤や重大な規律違反には厳格な処分がある。  決して甘い条件ではなかった。  しかし。 「……少し考える時間をいただいてもいいでしょうか?」  俺がそう言うと、男性は嬉しそうに笑った。 「もちろんです」 「ありがとうございます」 「むしろ即答されなくて安心しました」 「え?」 「うちは小さいですが、仕事は楽ではありませんからね。大手と比較して決めてください」  男性は穏やかに続けた。 「どこに所属するかは、あなたの人生に関わることです。こちらの都合だけで決めていただくわけにはいきません」  俺は深く頭を下げた。 「ありがとうございます。必ず返事をします」 「ええ。お待ちしています」  帰り際、ふと思い出したことがあった。 「あの。こちらにリズさんという方はいらっしゃいますか?」  男性の動きが止まった。 「……リズ?」 「はい。メイド姿の女性で、口が少し悪くて」 「……」 「こちらのギルドを教えてくれた方なんですが」  男性はしばらく黙っていた。  そして。 「……いえ。うちにはメイドはおりませんね」 「そうですか」 「はい」  残念だ。  せっかくだから報告したかったのだが。 「ありがとうございます。では失礼します」 「ええ。またお越しください」  俺は灰灯ギルドを後にした。      *  扉が閉まった。  男性はしばらくその場に立っていた。  そして大きく息を吐いた。 「……リズ」  返事はない。 「いるんでしょう?」  食堂の奥から声がした。 「……なんだよ」  先ほどまで誰もいなかったはずの部屋から、メイド姿の女性が現れた。  黒髪を白いリボンでまとめた、口の悪いメイド。  リズだった。 「お前なあ……」  男性は呆れたように額を押さえた。 「何だよ。文句あんのか」 「うちのギルドは勧誘活動をしない方針だったでしょう」 「勧誘なんかしてねえよ」 「……では今の青年は?」 「勝手に来たんだろ」 「なるほど」 「私は別に入れなんて言ってねえ。小さいギルドもあるぞって教えてやっただけだ」 「名前は?」 「教えた」 「特徴は?」 「ちょっと話した」 「所在地は?」 「……」  リズは視線を逸らした。 「直接は教えてねえぞ」 「間接的には?」 「……食堂の親父が知ってたから聞けばいいって」 「それを勧誘というんですよ」 「うるせえ!」  男性はとうとう笑い出した。 「まったく。あなたが新人に興味を持つなんて珍しいですね」 「……別に」 「気に入ったんでしょう?」 「まあ、悪くねえと思っただけだ」  リズは椅子に腰かけた。 「測量の経験がある。観察力もある。自分の知らねえことを認められるし、危険を見つけたら引き返せる」 「ほう」 「そのくせ困ってる奴を見捨てられねえ。まあ、そこはまだ危なっかしいが」  彼女は少しだけ笑った。 「でも教えれば伸びると思うぞ。少なくとも筋肉だけの馬鹿よりは使える」 「随分と高評価ですね」 「……うるせえな」  男性は机の引き出しから一枚の書類を取り出した。  それは灰灯ギルドの団員名簿だった。  六名の名前が記されている。  その最後には、こう書かれていた。 『リゼット・ヴァルク』 『冒険者等級:特級』 『担当:斥候・近接戦闘・特殊任務』  通称《白刃》。  旧大陸で複数の大規模討伐作戦に参加し、単独で災害級魔物を討伐した記録を持つ上位冒険者。  かつて数々の有名ギルドに所属し、最終的にはいずれの組織にも馴染めず独立。  現在は少数精鋭の灰灯ギルドに所属している。  男性は名簿を閉じた。 「ところで先日の街道で、泥穿ちが顎を砕かれた状態で発見されたそうですよ」 「あ?」 「調査隊が驚いていました。外殻には鋭利な刃物による傷があったとか」 「へえ」 「それも一撃で内部まで破壊するほどの威力だったそうで」 「怖えな。新大陸は」 「……リズ」 「何だよ」 「茶葉の納品に行ったんですよね?」 「そうだよ」 「どこへ?」 「西の観測所」 「観測所から納品の記録が来ていませんが」 「……」  沈黙。  男性はため息をついた。 「まさか新人の実力を見るためにわざわざ街道まで?」 「違えよ」 「違うんですか?」 「たまたまだっつーの」  リズはそっぽを向いた。 「それに私は何もしてねえ。小石を投げて、ちょっと魔物が邪魔だったから片づけただけだ」 「それを何もしていないとは言いません」 「細けえな」  男性は苦笑した。 「まあ、いいでしょう。彼は確かに面白い青年でした」 「だろ?」 「ただし採用するかは面接と実技を見てからですよ」 「わかってるよ」  リズは椅子から立ち上がった。 「別に贔屓しろなんて言ってねえ。使えねえなら落とせばいい」 「……本当にそれでいいんですか?」 「当たり前だろ」  彼女は真面目な顔になった。 「うちは仲良しクラブじゃねえんだ。命を預け合う仲間を選ぶんだからな」  男性は頷いた。 「そうですね」 「ただ」 「ただ?」 「一か月もあれば、あいつがどこまで伸びるかはわかるだろ」  リズは少し楽しそうに笑った。 「久しぶりに新人を鍛えるのも悪くねえ」  男性は天井を見上げた。 「……ほどほどにしてくださいね」 「何が?」 「あなたの『ほどほど』は新人が三日で逃げ出す水準ですから」 「失礼な。今回はちゃんと加減するっての」 「前回もそう言っていました」 「あいつは根性がなかったんだよ」 「初日に崖から突き落とせば誰でも逃げますよ」 「下に池があっただろ!」 「深さ三十メートルの池です!」 「だから安全じゃねえか!」 「安全の基準がおかしい!」  そんな会話が小さなギルドハウスに響いていた。      *  一週間後。  俺は灰灯ギルドの扉を叩いた。  青帆連盟も魅力的だった。  研修制度は充実しているし、福利厚生もしっかりしている。  しかしどうしても灰灯ギルドの地図が忘れられなかった。  あの緻密な地図。  未知の土地を自分たちの手で切り開いていく仕事。  あそこでなら俺のやりたいことができるかもしれない。  だから一か月だけ挑戦してみようと思ったのだ。 「失礼します! カイ・アルトです!」  扉が開いた。  出迎えてくれたのは例の眼鏡の男性だった。 「お待ちしていました。カイさん」 「本日から仮加入を希望します!」 「ええ。よろしくお願いします」  男性は笑顔で握手を求めた。 「それでは早速、担当者を紹介しましょう」 「担当者?」 「はい。新人教育を担当する団員です」  なるほど。  この小さなギルドにも教育担当がいるのか。  少し安心した。 「どんな方ですか?」 「非常に優秀な方ですよ」 「それは楽しみです!」 「ただし……」  男性は言いかけて口を閉じた。 「……いえ。何でもありません」 「?」  何だろう。  妙に歯切れが悪い。 「では、こちらへ」  案内されたのは建物の裏庭だった。  広くはないが、地面が綺麗に整地されている。  訓練用の木人形が並び、片隅には武器庫らしい小屋もあった。  そして。 「あら。おはようございます」  そこにいたのは見知らぬ女性だった。  栗色の髪を短くまとめ、軽装の革鎧を着ている。  腰には短剣。  背筋の伸びた姿勢から、ただ者ではないことが伝わってきた。 「こちらが新人教育担当のマリアです」 「よろしくお願いします!」 「ええ。よろしくね」  マリアさんは優しく微笑んだ。 「まずは基礎体力と戦闘適性の確認から始めましょう。無理はしなくていいからね」 「はい!」  よかった。  厳しいギルドだと聞いていたが、優しそうな人だ。  俺が安堵したそのとき。  建物の二階から聞き覚えのある声が響いた。 「おいマリア! そいつはまず走らせとけ! 基礎体力が足りねえ!」 「……え?」  見上げる。  二階の窓から黒髪のメイドが顔を出していた。 「リズさん!?」 「……あ?」  彼女は一瞬固まった。 「な、なんでここに!?」 「こっちの台詞だよ! お前なんでここにいるんだ!?」 「仮加入です!」 「マジかよ!」  リズは何故かひどく驚いた顔をした。  しかし次の瞬間には口元を歪めている。 「へえ……。そうかそうか。面白えじゃねえか」  なんだか嫌な予感がした。 「リズさん。ここで何してるんです?」 「見てわかんねえのか。メイドだよ」 「……ああ」  なるほど。  このギルドに給仕として雇われているのか。  確かに小規模とはいえ実力者揃いのギルドなら、住み込みの使用人くらいいても不思議ではない。 「リズさんもこちらで働いてたんですね!」 「……まあな」 「なんだか安心しました」 「そうか?」 「はい。知ってる人がいると心強いです」  リズは妙に複雑そうな顔をした。  そして隣にいたマリアさんが口元を押さえて震え始めた。 「……ぷっ」 「おいマリア。笑うな」 「ご、ごめんなさい……っ」 「何だよ!」 「い、いえ……何でも……」  俺にはよくわからない。  しかしまあ、雰囲気のいいギルドみたいだ。  そう思った。  なお、この時点の俺はまだ知らなかった。  目の前のメイドが灰灯ギルド最強の冒険者であることも。  新大陸でも指折りの実力者であることも。  そして何より。  彼女が俺を勧誘するために、最初から広場で新人を物色していたことも。  もちろんその事実を知るのは、ずっとあとの話である。 「おい新人!」  リズが窓から身を乗り出した。 「はい!」 「せいぜい頑張れよ! うちは甘くねえぞ!」 「はい! よろしくお願いします!」 「……おう」  彼女は少しだけ照れくさそうに笑った。  その直後。 「ちなみに初日の訓練は街道往復十往復な!」 「えっ?」 「走れ! 日が暮れるぞ!」 「ちょっ、待ってください!?」  マリアさんが慌てて止めに入った。 「リズ! 新人にいきなりそれは無理よ!」 「なんだよ。じゃあ五往復」 「五往復でも無理!」 「軟弱だなあ!」  ……前言撤回。  このギルド、思ったより大変かもしれない。  ただ。  不思議と後悔はしていなかった。  新大陸には未知の土地が広がっている。  俺の知らない景色があり、まだ誰も描いていない地図がある。  その地図をいつか自分の手で完成させるために。  まずは目の前の訓練から始めることにしよう。 「……あの。結局何往復すればいいんですか?」 「二往復でいいわよ」  マリアさんが優しく答えた。 「三往復だ!」  リズが叫んだ。 「二往復!」 「二往復半!」 「刻まないで!」  ……やっぱり少しだけ不安になってきた。  それでも俺は笑っていた。  少なくともここでは、わからないことを尋ねれば誰かが答えてくれる。  失敗すれば叱られるだろう。  だが失敗しただけで捨てられることはなさそうだ。  それが本当に正しいかどうかは、これから自分の目で確かめればいい。  幸い俺には、地図を描くための目と足がある。  そしてどうやら。  口は悪いが頼りになる、妙なメイドとも縁ができたらしい。  俺の新大陸での冒険者生活は、こうして始まった。  ――なお数日後。 「リズさんって、どうしてそんなに冒険者のこと詳しいんですか?」 「昔ちょっとやってたからな」 「へえ。何級だったんです?」 「……秘密」 「教えてくださいよ」 「うるせえ。飯食ったら素振り千回だ」 「なんで!?」  そんな会話をした俺は、やはりまだ何も知らなかった。 **〈了〉**