# 泥濘の街と毒舌メイドの勧誘術 ## 一、赤土の開拓地と迷える新人  新大陸の最前線、開拓都市『ラスト・アンカー』の夜は、いつも安酒と獣脂、それから雨上がりの赤土が混ざり合った独特の匂いで満ちていた。  旧大陸から大型帆船に揺られること三週間。この未開の大地に足を踏み入れてからまだ十日と経っていないアレン・ウォーカーは、酒場兼集会所である『踊る一角獣亭』の隅の丸テーブルで、山積みにされた羊皮紙やチラシを前に深いため息をついていた。 「……本当に、数だけは星の数ほどあるんだな」  アレンは今年で十八になる青年だ。癖のある茶色の髪に、まだどこかあどけなさの残る端正な顔立ちをしている。着ているのは旧大陸の量産品である革鎧(レザーアーマー)で、腰には装飾のない実用本位のロングソードを佩いていた。  周囲のテーブルでは、巨大な斧を背負ったドワーフや、全身に呪術的な刺青を入れた戦士、泥だらけの外套を羽織った斥候たちが、ジョッキを打ち鳴らしては大声で笑い合っている。彼らが話題にしているのは、昨日見つかったばかりだという古代文明の地下遺跡や、原生林の奥地に出没する未知の魔獣、そして一攫千金の夢ばかりだ。  この『ラスト・アンカー』では、旧大陸のような統一された冒険者ギルドの支部がすべての依頼を一元管理しているわけではない。開拓庁が発行する大口の依頼や未踏域の調査権は、大小さまざまな独立系ギルド――旧大陸で言うところのクランや商会に近い組織――へと卸され、冒険者たちはどこかのギルドに所属することで初めてまともな仕事と後ろ盾を得られる仕組みになっていた。  もちろん、どこにも属さない『野良』として日銭を稼ぐこともできる。アレンも今日までの数日間は、都市周辺の浅い森で薬草を採取したり、開拓農地に迷い込んだ小型の魔獣を駆除したりして食いつないできた。  だが、新大陸の奥地へ踏み込み、一人前の冒険者として名を上げるためには、どうしても信頼できるギルドへの所属が不可欠だった。 「『紅蓮の牙』は初月の報酬保証あり、か。こっちの『蒼穹の天秤』は魔導具の貸与制度が充実していて……『黄金の麦穂』は初心者歓迎、アットホームな職場、と」  アレンがチラシを一枚ずつ指で弾きながら呟いていた、その時だった。 「ハッ。そんなケツを拭く紙にもならないゴミ束を、よくもまあそんな真剣なツラで眺められるものね。あんた、よっぽどのお人好しか、さもなきゃ救いようのない馬鹿のどっちかよ」  頭上から、冷ややかで、それでいて妙に耳に残る凛とした声が降ってきた。  アレンが驚いて顔を上げると、そこには酒場の喧騒とはまるで不釣り合いな格好をした女性が立っていた。  くるぶしまで届く黒のロングスカートに、糊の利いた純白のエプロン。頭には白いフリルのついたカチューシャ――いわゆるクラシカルなメイド服というやつだ。年は二十代前半といったところだろうか。艶やかな黒髪を後ろで無造作にまとめ、切れ長の瞳には琥珀色の光が宿っている。整った顔立ちをしているのだが、その口元には皮肉っぽい笑みが浮かんでおり、片手には木製のトレイを抱えていた。 「えっと……店員さん、ですか? すみません、追加の注文ならまだ――」 「誰がこんな脂臭い酒場の給仕よ。勝手に店員扱いするんじゃないわよ、このクソガキ」  メイド服の女は忌々しそうに舌打ちをすると、アレンの返事も待たずに、向かいの木の椅子を乱暴に引いてドカリと腰を下ろした。そして、トレイの上に乗せていた自分のものらしき紅茶のポットとティーカップをテーブルの端に置き、足を組んで頬杖をつく。 「……はあ。じゃあ、なぜそんなメイド服を?」 「趣味よ。悪いか」 「いえ、悪くはないですけど……」  開拓地の酒場で純白のエプロンを着ている人間が、給仕に間違われてキレるのは理不尽極まりない気がしたが、アレンは礼儀正しく言葉を飲み込んだ。  女――ロザリアは、ティーカップに琥珀色の茶を注ぎながら、品定めするように細めた目でアレンを上から下までねめ回した。 (……ふうん。遠くから見た時は半信半疑だったけど、やっぱりこいつ、ただのヒヨッコじゃないわね)  ロザリアは内心でほくそ笑んでいた。  彼女の正体は、開拓地でも指折りの実力者として知られる上位冒険者――通称『殲滅の黒メイド』である。もっとも、普段はギルドの雑務や情報収集を兼ねて街をうろついており、こうして酒場の片隅で「使いものになりそうな新人」を物色するのが最近の日課になっていた。  彼女がアレンに目をつけたのは、ほんの十分ほど前のことだ。  アレンが酒場の扉をくぐって入ってきた瞬間、ロザリアの鍛え抜かれた観察眼は、彼の奇妙な点にいくつも気がついた。 「あんた、旧大陸から来たばかりの新人でしょう。名前は?」 「アレンです。アレン・ウォーカー。よく分かりましたね、僕が新人だって」 「そんなの、あんたのその安っぽい旧大陸製の革鎧を見れば一目瞭然よ。……でもね、私が気になったのはそこじゃないわ」  ロザリアはカップを口元に運び、一口すすってから、顎でアレンの足元をしゃくった。 「そのブーツ。靴底の縁にだけ、北の『霧泣き森』特有の青い粘土が付着してる。あそこは足場が悪くて、慣れない新人が入れば膝まで泥まみれになるはずなのに、あんたのズボンの裾には泥跳ねひとつない。つまり、ぬかるみに足を取られない重心移動と歩法が、完全に身体に染み付いてるってことよ」 「っ……」  アレンの目がわずかに見開かれた。ロザリアは構わず言葉を続ける。 「それに、あんたがさっき換金カウンターで提出していた討伐部位――『翠鱗の樹蜥蜴(フォレスト・ドレイク)』の幼体の尻尾だったわね。あの魔獣は樹上から音もなく飛びかかってくる厄介な連中よ。普通の新人なら、不意打ちを食らって鎧に爪痕のひとつも残すし、慌てて剣を振るって鱗で刃こぼれさせる。なのに、あんたの革鎧は無傷。腰の剣からは、血脂を丁寧に拭き取った後の油の匂いしかしない」  ロザリアはテーブル越しに身を乗り出し、琥珀色の瞳でアレンを射抜いた。 「急所である首の継ぎ目を、初撃の抜き胴か突きの一閃だけで正確に断ち切った証拠よ。……あんた、旧大陸でかなり腕の立つ師匠に扱(しご)かれてきたわね? それも、見世物の剣術じゃなくて、生き残るための実戦剣術を」  しばらくの沈黙が落ちた。  アレンは苦笑いを浮かべると、降参したように両手を軽く上げた。 「驚きました。換金所の職員さんですら『運が良かったな、新人』って笑っていたのに。……はい、故郷の辺境村で、元冒険者だった祖父に小さい頃から叩き込まれました。でも、魔獣の種類も環境も違う新大陸では、まだ右も左も分からないただの新人ですよ」 「へえ、謙虚じゃない。自分の実力を鼻にかけて初日で死んでいく馬鹿どもよりは、よっぽど好感が持てるわ」  ロザリアは満足そうに鼻を鳴らし、背もたれに体重を預けた。 (大当たりね。基礎の身体操作と危機察知能力がこれだけ完成してる新人は、年に一人いるかいないかよ。変な手癖がつく前にうちのギルドに引き込めば、半年で一線級の戦力になるし、何より――)  ロザリアの脳裏に、自分の所属ギルドの散らかり放題の拠点と、戦闘以外ではてんで役に立たない変人揃いのメンバーたちの顔が浮かんだ。 (――私の雑用と家事の負担を、こいつに丸投げできるじゃない!)  極めて邪(よこしま)かつ切実な動機を胸の奥に隠し、ロザリアはさりげなくテーブルの上の勧誘チラシへと視線を落とした。  いきなり自分の素性を明かして「私のギルドに入りなさい」と言ったところで、警戒心の強い人間なら裏を疑うだろうし、何より上位冒険者である自分が新人を直接口説き落としたなどとギルドの連中に知られれば、後でどれだけからかわれるか分かったものではない。  あくまで「通りすがりの事情通」として、他のギルドの選択肢を自然に潰し、自分のギルドを自分の意思で選ばせる――それがロザリアの描いた完璧な筋書きだった。 --- ## 二、大手ギルドの甘い罠とメイドの毒舌 「で、その見所のある新人くんは、どこのギルドに身を売るつもりなわけ?」 「身を売るって、人聞きの悪いことを言わないでくださいよ……。ええと、今迷っているのはこの三つです。やっぱり最初は、基盤がしっかりしている大手か中堅どころに入るべきかと思って」  アレンがテーブルの中央に並べたのは、豪華な金箔押しの紋章が入った羊皮紙など、見た目にも金がかかっていそうな三枚の募集要項だった。  ロザリアはそれを見るなり、心の底から汚いものを見るような目で眉間(みけん)に皺を寄せた。 「……あんたねえ。剣の腕はいいのに、紙切れを見極める目は節穴なの? 最初に言った通り、これは全部ゴミよ。ゴミ」 「そ、そこまで言いますか!? でも、この『紅蓮の牙(クリムゾン・ファング)』なんて、開拓地で最大手の武闘派ギルドだって聞きましたよ。所属人数は三百人以上で、未踏域の開拓実績も一番だし、新人への前払い金も弾んでくれるって……」 「前払い金じゃなくて、あれは『葬式代の前渡し』って言うのよ、この世間知らず」  ロザリアは赤い獅子の紋章が描かれた羊皮紙を指先でつまみ上げ、ひらひらと振ってみせた。 「いい? 私の……そうね、私の友達の友達に、昔この『紅蓮の牙』に所属していたすごく美人で優秀な女冒険者がいたんだけどね」 「ずいぶん具体的な友達の友達ですね」 「うるさいわね、黙って聞きなさい! いいこと、あそこがなんで常に新人を大量募集してるか分かる? それだけ人が減るからよ。新大陸の遺跡や原生林には、旧大陸の常識じゃ測れない罠や初見殺しの魔獣がウジャウジャいるわ。大手ギルドが未踏域の開拓実績を上げるために、一番手っ取り早い方法は何だと思う?」  アレンは少し考え込み、やがてハッとしたように顔を曇らせた。 「まさか……新人を斥候や囮(おとり)に?」 「ご名答。前払い金という名の借金で縛り付けて、ろくな装備も情報も与えずに最前線の危険地帯へ放り込むのよ。新人が罠を踏んだり魔獣に襲われたりして場所が割れたら、後ろで安全に控えていた幹部連中が出ていって、美味しい手柄と素材だけを横取りするっていう寸法ね」  ロザリアの声には、単なる伝聞とは思えないほどのドス黒い実感がこもっていた。 「しかもね! その幹部連中ときたら、旧大陸の没落貴族の三男坊だかなんだか知らないけど、プライドばっかり高くて実力はスカスカなのよ! 自分が指揮を誤って魔獣の群れに囲まれたくせに、『おいそこの新人、殿(しんがり)を務めて時間を稼げ! これは命令だ!』なんて抜かしやがって! あの時、そいつの頭を後ろからフライパン……じゃなくて剣の柄で殴り飛ばして脱退してやったのは、今思い出しても――」 「えっと、お姉さん? 『友達の友達』の話ですよね?」 「ッ、当たり前でしょ! 感情移入しすぎただけよ、重箱の隅をつつくんじゃないわよ!」  ロザリアは咳払いをひとつして、顔をわずかに赤くしながら紅茶を飲み干した。 「と、とにかく! 『紅蓮の牙』なんかに入ったら、あんたみたいに真面目でそこそこ動ける新人は、一番最初に便利な使い捨ての盾にされて終わりよ。次!」  ロザリアは一枚目の羊皮紙を丸めてテーブルの隅へ放り投げると、二枚目の青い羊皮紙を指差した。 「この『蒼穹の天秤(アズール・スケイル)』ね。魔導師や探索者(シーカー)上がりの連中が作った頭脳派の大手ギルド。……これもやめときなさい。あそこは息が詰まって死ぬわよ」 「ここもダメなんですか? 福利厚生や装備の貸与がしっかりしているって評判でしたけど」 「口八丁よ、あんなの。確かに新人を無駄死にさせるような無茶な突撃はさせないわ。でもね、あそこは規則と官僚主義の塊なの。朝は六時に点呼、依頼に出る前には提出書類が三枚、帰ってきたら消費したポーションの空き瓶の数から、魔獣を倒した時の剣の軌道まで報告書に書かされるのよ! 意味が分からないでしょう!?」  ロザリアはテーブルをバンと叩き、身を乗り出してまくし立てた。 「それだけじゃないわ。貸与される魔導具には法外なレンタル料と保険料が設定されてて、討伐報酬の七割が『ギルド運営費』『装備維持費』『幹部への指導料』なんて名目で天引きされるの! ちょっとでも文句を言おうものなら、眼鏡をかけた陰気な会計係が分厚い規約書を持ち出してきて、ネチネチと三時間くらい説教してくるのよ! 挙げ句の果てに『君のそのメイド服はギルドの風紀を乱すから指定のローブを着ろ』だなんて、人の誇りに土足で踏み込んでくるような連中なのよあそこは!」 「完全に実体験ですよね、それ! メイド服って言っちゃってますよ!」 「た、例え話よ! 比喩表現ってものを知らないの、あんたは!?」  ロザリアはキッとアレンを睨みつけたが、アレンは呆れを通り越して感心したように目を丸くしていた。  大手の華やかな宣伝文句の裏にある、開拓地ならではの歪んだ搾取構造。それは外から来たばかりの新人であるアレンには、決して見えてこない生々しい現実だった。口は悪いしどう見ても本人の体験談が混ざっているが、この謎のメイドが言っていることは、驚くほど的確にギルドの本質を突いているように思えた。 「……じゃあ、この三つ目の『黄金の麦穂』はどうですか? 大手じゃなくて三十人規模の中堅ギルドですし、ノルマも厳しくない、家族みたいな温かいギルドって書いてありますけど」  アレンが最後の希望を託すように差し出したチラシを見て、ロザリアはこれまでとは違う、どこか冷めきった、哀れむようなため息をついた。 「あんたがもし、この開拓地の隅っこで、一生薬草摘みと迷子の猫探しだけをして過ごすつもりなら、そこでもいいんじゃない?」 「え……?」 「『アットホームでノルマがない』っていうのはね、裏を返せば『向上心のない連中が、お互いのぬるま湯で傷を舐め合っているだけ』ってことよ」  ロザリアはティーカップの縁を指先でなぞりながら、静かな声で言った。 「新大陸はね、アレン。綺麗事だけで生き残れるほど優しい場所じゃないわ。普段はどれだけ仲良しごっこをしていても、ひとたび森の奥で格上の魔獣に遭遇したり、遺跡の罠が発動して退路が断たれたりした時、人間の本性が出る。実力のない連中がパニックを起こしてあんたの足にしがみついてきた時、あんたはそいつらを見捨てられる? それとも、一緒に共倒れになって魔獣の餌になる?」  アレンは言葉に詰まった。  彼の脳裏に、今日『霧泣き森』の浅瀬で見た光景がよぎった。魔獣に追われて仲間を突き飛ばし、自分だけ逃げていった冒険者たちの惨めな後ろ姿だ。 「……背中は、預けられないですね。そういう人たちには」 「そういうこと。優しいのと、頼りになるのは全然違うのよ。特にあんたみたいに実力がある人間がそういうぬるい場所に入ると、最初は『頼りになる新人くん』って持ち上げられて、気づけば連中の尻拭いと護衛ばかり押し付けられることになるわ。それで自分が怪我をしても、誰も責任なんか取ってくれない。『だってアレンくんが強いから任せたのに』ってね」  ロザリアの言葉には、かつて仲間に裏切られたか、あるいは一人で全てを背負わされた経験がある者特有の、乾いた痛みのようなものが滲んでいた。  アレンは手元のチラシを置き、真っ直ぐにロザリアを見つめた。 「ありがとうございます、お姉さん。僕、危うく表面上の条件だけで飛びつくところでした。……でも、そうなると困ったな。大手は使い潰されるか搾取されるか、中堅の穏健派は足を引っ張られるとなると、僕はいったいどういうギルドを選べばいいんでしょうか」 (よし、来たわね!)  ロザリアはテーブルの下で、小さくガッツポーズを作った。  ここからが本番だ。あくまで自然に、さりげなく、自分が所属するギルドへと誘導するのだ。決して怪しまれてはいけない。 --- ## 三、見え透いた勧誘と『黒鉄の茶会』 「ま、まあ? どうしてもって言うなら、世の中には数は少ないけど、あんたみたいな変わり者に向いているギルドもないわけじゃないわよ」  ロザリアはわざとらしく視線を明後日の方向へ逸らしながら、アレンが積んでいたチラシの山の、一番下の方へと手を伸ばした。  そして、豪華な羊皮紙の束の下に埋もれていた、わら半紙の切れ端のような粗末な紙を二本の指でつまみ出した。 「あ、それはさっき掲示板の下に落ちていたのを、一応拾っておいたやつです。文字が殴り書きすぎて、何かのいたずらかと思ってましたけど……」 「いたずらじゃないわよ! 誰が書いたと思ってるの、この達筆を!」 「え? お姉さんが書いたんですか?」 「ち、違うわよ! そういう豪快で勢いのある筆跡が好きな人もいるって言っただけ! ほら、よく読みなさい!」  ロザリアは顔を真っ赤にして怒鳴ると、そのわら半紙をアレンの鼻先に突きつけた。  そこには、インクが滲んだ乱暴な文字で、たった数行だけこう書かれていた。 『ギルド【黒鉄の茶会(アイアン・ティーパーティー)】 新規メンバー募集。  現在の所属人数:5名。  条件:自分のケツは自分で拭ける奴。あと掃除と料理ができる奴優遇。  場所:北区・旧時計塔の裏にある黒い屋根の洋館』  アレンは目をしばたたかせ、そのあまりにも簡素な募集要項と、向かいに座るメイド服の女を交互に見た。 「……『黒鉄の茶会』。なんだか、すごく小規模なところですね。それに、条件が『掃除と料理ができる奴優遇』って、これ本当に冒険者ギルドの募集なんですか?」 「なっ、小規模で何が悪いっていうのよ! 少数精鋭って言いなさい、少数精鋭って!」  ロザリアは身を乗り出し、唾を飛ばさんばかりの勢いで力説し始めた。 「いいこと、よく聞きなさい! 人数が少ないってことはね、面倒な派閥争いも、上からの理不尽な命令も一切ないってことなの! 報酬の分配だって、ギルドの維持費としてほんの僅かな頭割りを引くだけで、残りは貢献度に応じた完全実力主義! 大手がピンハネするような希少素材も、自分で見つけた分は自分の懐に入るわ!」 「へえ、それは確かに魅力的ですね。でも、たった五人しかいないってことは、開拓庁から降りてくるような高難度の依頼は受けられないんじゃ……」 「ハッ、素人丸出しの疑問ね。開拓庁が依頼を卸す基準は『頭数』じゃなくて『実績とランク』よ。その『黒鉄の茶会』に所属している五人はね、全員が旧大陸でも名を馳せた一騎当千の猛者揃いなの! 百人の雑兵が束になっても勝てないような連中が集まってるんだから、そこらの大手ギルドよりよっぽど高ランクの特務依頼や、未踏遺跡の独占調査権を持ってるわ!」 「そんなにすごい人たちの集まりなんですか!?」  アレンが驚きの声を上げると、ロザリアは得意げに胸を張り、ふふん、と鼻を鳴らした。 「ええ、そうよ。まずギルドマスターの男は、普段は昼行燈(ひるあんどん)みたいにだらしないヘビースモーカーだけど、いざ剣を抜けば魔獣の群れを一人で切り伏せる剣鬼だしね。他にも、性格は最悪だけど開拓地で一番の腕を持つドワーフの鍛冶師兼重戦士とか、口を開けば呪いの話しかしない不気味な女魔導師とか、金に汚いけどどんな罠でも一秒で解除する斥候とか……ま、まあ、どいつもこいつも人間性に致命的な欠陥がある連中ばっかりだけど!」 「なんだか、聞いてるだけで胃が痛くなりそうなメンバーですね……」 「でもね、その中で一人だけ! 本当にたった一人だけ、凛としていて、美人で、家事から戦闘まで完璧にこなす、まさにギルドの良心と呼ぶべき素晴らしい女性メンバーがいるって噂よ! 実質、彼女がそのギルドを支えていると言っても過言じゃないわね!」  ロザリアは頬を染め、うっとりとした表情で拳を握りしめた。  アレンはその様子を見て、じっとロザリアのメイド服と、チラシに書かれた『茶会(ティーパーティー)』というギルド名、そして『掃除と料理ができる奴優遇』という文言を見比べた。 (……これ、どう考えてもこのお姉さんのギルドだよな)  いくら新大陸の事情に疎いアレンでも、ここまであからさまなヒントを出されて気づかないほど鈍感ではなかった。  さっきまでの他ギルドへの容赦ない酷評とは打って変わって、この『黒鉄の茶会』に対する熱烈な褒めちぎりよう。特に最後の「美人で完璧な女性メンバー」のくだりに至っては、自画自賛以外の何物でもない。  しかし、目の前の女は自分の正体がバレていないと完全に思い込んでいるらしく、ハッと我に返って慌てて咳払いをしている。 「こ、コホン! ま、まあ? そういう噂を酒場の小耳に挟んだってだけの話よ? 私は別にそのギルドの関係者でもなんでもないんだから、詳しいことは知らないけどね!」 「……はあ。そうですよね。お姉さんはただの、趣味でメイド服を着ている通りすがりの人ですもんね」 「そ、そうよ! そういうこと!」  アレンがわざとらしく頷いて見せると、ロザリアはホッと胸を撫で下ろした。そのあまりにも分かりやすい反応に、アレンは思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。 (最初は怖い人かと思ったけど……この人、すごくいい人だ)  見ず知らずの新人である自分に、開拓地の危険な裏事情を教えてくれただけでなく、不器用なやり方で自分のギルドへと招き入れようとしてくれている。おそらく、自分の剣の腕や素質を買ってくれたのだろう。  だが、アレンにはひとつだけ、どうしても確認しておきたいことがあった。 「あの、お姉さん。その『黒鉄の茶会』がすごく実力のあるギルドだっていうのは分かりました。でも、そんな一騎当千のすごい人たちのところに、僕みたいな新人が入っても、それこそ足手まといになるだけじゃないですか? さっきお姉さんが言っていた、実力不足で仲間の足を引っ張るっていう……」  アレンの真剣な問いかけに、ロザリアはふざけた態度を引っ込め、琥珀色の瞳で真っ直ぐにアレンを見つめ返した。 「足手まといになるかどうかは、そいつの覚悟と基礎次第よ」  ロザリアの声は、先ほどまでの騒がしさが嘘のように落ち着いていた。 「さっきの『黄金の麦穂』の連中がダメなのは、弱いからじゃない。強くなろうとする意志も、自分の命に責任を持つ覚悟もないまま、群れることで安心しようとしているからよ。……でも、あんたは違うでしょう?」  ロザリアはアレンの腰にあるロングソードを指差した。 「あんたは今日、一人で『霧泣き森』に入る前に、酒場の裏手で三十分以上も素振りと足運びの確認をしてたわね。森から帰ってきた後も、換金所に行く前にまず井戸端で自分の装備の汚れを落として、革鎧の留め具が緩んでいないか全部点検していた」 「……そこまで見ていたんですか」 「たまたま目に入っただけよ。でもね、そういう当たり前の準備と手入れを、誰に言われるでもなく一人で黙々と続けられる奴は、絶対に仲間の足を引っ張ったりしないわ。今はまだ新大陸の魔獣に慣れていなくても、背中を預けるに足る『芯』を持ってる」  ロザリアはふっと口角を上げ、少しだけ不敵で、それでいてひどく魅力的な笑みを浮かべた。 「『黒鉄の茶会』の連中はね、口は悪いし面倒見も最悪だけど、そういう『芯』のある奴のことだけは絶対に馬鹿にしないし、見捨てたりもしないわ。……もちろん、最初は拠点の掃除から荷物持ち、あのろくでなしどもの飯の支度まで、死ぬほどこき使われることになるでしょうけどね!」 「はは、掃除と料理なら得意ですよ。故郷では祖父と二人暮らしでしたから、家事は全部僕がやっていましたし」  アレンが笑顔でそう答えた瞬間、ロザリアの瞳が夜行性の肉食獣のようにギラリと輝いたのを、アレンは見逃さなかった。 「……っ、そう! 料理と掃除が得意なのね! 特に油汚れの落とし方とか、朝早く起きて五人分の朝食を作るのとかも苦にならないタイプかしら!?」 「ええ、まあ、早起きは日課ですから」 「採用!! ……じゃなくて、あー、えっと、そのギルドならきっと大歓迎されるんじゃないかしらね! うん、そうに違いないわ!」  危うくその場で採用通知を出しそうになり、ロザリアは必死で取り繕った。もう完全にボロが出まくっているのだが、アレンは優しい微笑みを浮かべて気づかないふりを続けた。 --- ## 四、嵐の前の小競り合いと、明日の約束  その時だった。  酒場の入り口の扉が、蝶番(ちょうつがい)が外れんばかりの勢いで乱暴に蹴り開けられた。 「おいコラァ! さっき換金所で俺たちの獲物にケチつけやがった新人はどいつだァ!?」  怒号とともにドカドカと踏み込んできたのは、赤い獅子の紋章――先ほど話題に上がった大手ギルド『紅蓮の牙』のエンブレムを肩当てに刻んだ、三人の大柄な男たちだった。  酒場のざわめきが一瞬にして静まり返る。周囲の冒険者たちは「また『紅蓮の牙』の下っ端が因縁をつけてるぞ」「関わるな、面倒だ」とばかりに視線を逸らし、席を立って距離を取った。  先頭のスキンヘッドの男が、酒場の中をぐるりと見渡し、やがて隅のテーブルに座っているアレンを見つけて下卑た笑みを浮かべた。 「いたぞ、あいつだ! おいテメェ、さっき換金所の前で、俺たちが狩ってきた『翠鱗の樹蜥蜴』の縄張りを横取りしただのなんだの、ふざけたこと抜かしてくれたよなぁ?」  男たちは大股でアレンのテーブルへと歩み寄り、威圧するように取り囲んだ。  アレンは落ち着いた様子で立ち上がると、冷静に答えた。 「横取りだなんて言っていませんよ。あなたたちが森の入り口で酒を飲んで昼寝をしている間に、僕が奥の群生地で狩ってきただけです。そもそも、開拓庁の共有狩場に縄張りなんてないはずですが」 「あぁん? 新人風情が口答えすんじゃねえよ! この『ラスト・アンカー』じゃ、俺たち『紅蓮の牙』が目を付けた獲物は全部俺たちのもんなんだよ! お前が換金した銀貨五枚、耳を揃えてこっちによこせ。さもなきゃ、ここで腕の一本もへし折って――」  スキンヘッドの男がアレンの胸倉を掴もうと、太い腕を伸ばした、その瞬間だった。 「――ちょっと、そこの三流以下のドブネズミども」  氷点下の冷気を孕んだ声が、静まり返った酒場に響いた。  ロザリアは椅子に座って足を組んだまま、ティーカップをソーサーに戻すことすらしていなかった。ただ、その切れ長の琥珀色の瞳が、わずかに男たちの方へと向けられただけだ。 「あ? なんだテメェ、どこの酒場のメイドだ。女は引っ込んで――」  男が言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。  ガンッ!! と、乾いた衝撃音が酒場に木霊した。  何が起きたのか、周囲の冒険者たちの目にはまったく映っていなかった。ただ、アレンの目だけが、ロザリアが座ったまま空いている方の手でテーブルの上の銀のティースプーンを弾き、それが目にも留まらぬ超速の弾丸となってスキンヘッドの男の眉間スレスレを掠め、背後の太い木の柱に根元まで深々と突き刺さったのを捉えていた。 「ひっ……!?」  スキンヘッドの男は、自分の頬から一筋の血が垂れてくるのに気づき、顔面を蒼白にして凍りついた。あと数ミリずれていれば、頭蓋骨ごと脳天を貫かれていたことは明白だった。  それだけではない。ロザリアの全身からふわりと解き放たれた、濃密で圧倒的な『覇気』――数え切れないほどの死線を越え、幾千もの魔獣を屠ってきた本物の怪物だけが纏う殺気に、取り巻きの男二人も膝をガクガクと震わせて尻餅をついた。 「私の紅茶が冷める前に、視界から消えなさい。……三秒あげるわ。一、二――」 「ひ、ひいいいいっ! バ、バケモノだぁっ!!」  『三』を数え終わる前に、三人の男たちは腰を抜かしながら転げるように酒場の扉から這い出ていき、夜の闇へと一目散に逃げ去っていった。  嵐が去った後の酒場に、再び静寂が戻る。  だが、今度は誰もロザリアから目を逸らせなかった。カウンターの奥にいた酒場の店主が、引きつった笑みを浮かべて額の汗を拭いながら声を張り上げた。 「お、おいおいロザリアの嬢ちゃんよぉ! いくらなんでもうちの柱にスプーンめり込ませるのは勘弁してくれよ! これだから『黒鉄の――』」  店主が余計な一言を口走るより早く、ロザリアが手元の小袋から金貨を一枚、親指でパチンと弾いた。  放物線を描いて飛んだ金貨は、店主が抱えていたジョッキの中へと正確にチャリンと音を立てて落ちた。 「……柱の修理代と、口止め料よ。店主、あんた確か、今は何も見なかったし、私の名前も知らないわよね?」 「へ、へえ! もちろんでさあ! あっしは今、奥で皿を洗ってたところで、可愛いメイドのお客さんが一人で静かにお茶を飲んでたことしか知りませんぜ!」  店主は金貨を素早く懐にしまい込むと、愛想笑いを浮かべて猛スピードで厨房の奥へと引っ込んでいった。  アレンは、柱に深々と突き刺さったまま小刻みに震えている銀のスプーンと、何事もなかったかのように涼しい顔で紅茶の最後の一口を飲み干しているロザリアを見比べ、感嘆のため息を漏らした。 「……すごいですね。ただの趣味でメイド服を着ている通りすがりのお姉さんが、銀のスプーンひとつで大手ギルドの冒険者を撃退しちゃうなんて」 「な、なによう! あいつらが勝手に足をもつれさせて転んで、勝手に怖気づいて逃げただけじゃない! 柱のスプーンは……そう、手が滑っただけよ! 誰にだって手が滑ることくらいあるでしょ!」  ロザリアは顔を赤くして言い訳を並べ立てると、立ち上がってメイド服のスカートの皺をパンパンと払った。  もう完全に正体は割れているようなものだったが、彼女がここまで頑なに「通りすがりのメイド」を通そうとしている以上、ここで野暮なツッコミを入れるのは礼儀に反するだろう。 「そうですね。お姉さんの手が滑ったおかげで助かりました。ありがとうございます」  アレンが深々と頭を下げると、ロザリアはバツが悪そうに視線を逸らし、鼻先をポリポリと掻いた。 「……べ、別にあんたを助けたわけじゃないわよ。うるさくてお茶の邪魔だっただけ」  そう言って、ロザリアは自分のトレイを抱え直すと、アレンに背を向けて歩き出した。だが、三歩ほど進んだところで足を止め、肩越しにちらりとアレンを振り返った。 「……いいこと、新人。さっきも言った通り、自分の身をどこに置くかはあんた自身で決めなさい。でも、もし……万が一にでも、さっきの『黒鉄の茶会』とかいうちっぽけなギルドに興味があるなら、明日の朝八時に、そのチラシに書いてある北区の洋館に行ってみるといいわ」 「明日の朝八時、ですね」 「ええ。私の……その、友達の友達に、見所のある新人が行くかもしれないって話を通しておいてあげるから。遅刻したら門前払いになるらしいから、時間厳守よ。……じゃあね」  今度こそ、ロザリアは黒いスカートを翻し、カツカツと小気味よい靴音を響かせながら酒場の扉の向こうへと消えていった。  残されたアレンは、テーブルの上の粗末なわら半紙を手に取ると、それを丁寧に折りたたんで胸ポケットにしまった。 「掃除と料理ができて、八時前に起きられる新人、か。……明日は少し早めに起きて、身だしなみを整えていかないとな」  アレンの口元には、新大陸に来てから初めての、晴れやかで楽しみな笑みが浮かんでいた。 --- ## 五、黒鉄の館の扉を開けて  翌朝。  雨上がりの澄んだ青空が広がる中、アレンは北区の古い時計塔の裏手にある、黒いスレートの屋根を持つ瀟洒(しょうしゃ)な洋館の前に立っていた。  時計塔の針は、午前八時ちょうどを指そうとしている。  洋館の庭は少し雑草が伸びており、二階の窓からは「おい、俺の予備の煙草どこやった!」「知るかボケ、それより誰か朝のコーヒー淹れろ!」といった、野太くも騒がしい男たちの怒鳴り声が聞こえてきていた。  アレンは苦笑いを浮かべつつ、胸の奥で心地よい緊張感を味わいながら、重厚な木製の扉についた真鍮のノッカーを三度叩いた。  すぐに館の奥から、カツ、カツ、と聞き覚えのある足音が近づいてくる。  やがてガチャリと鍵が開き、ゆっくりと扉が開かれた。  そこに立っていたのは、糊の利いた純白のエプロンに黒のロングスカート、頭には白いフリルのカチューシャをつけた、切れ長の琥珀色の瞳を持つ黒髪のメイド――ロザリアだった。  ロザリアは片手に掃除用の羽根ぼうきを持ったまま、扉の前に立つアレンの姿を認めると、わざとらしく目を見開いてみせた。 「――あら? あんた、昨日の酒場にいた新人じゃない。奇遇ね、どうしてこんなところにいるのかしら?」  どこまでも白を切るつもりのロザリアの棒読みな台詞に、アレンは吹き出しそうになるのをグッと堪え、背筋を伸ばして爽やかな笑顔で一礼した。 「おはようございます! 昨日、酒場ですごく美人で親切な通りすがりのメイドさんに紹介していただいて、『黒鉄の茶会』の入団試験を受けに来ました、アレン・ウォーカーです! ちなみに、得意料理は肉と根菜の煮込みと、ふわふわのオムレツです!」  ロザリアの頬が、みるみるうちに耳の付け根まで真っ赤に染まった。 「……っ、な、なにが美人で親切なメイドよ、お世辞を言ったって最初の雑用が減ったりしないわよ、このクソガキ!」  ロザリアは羽根ぼうきで自分の顔を隠すようにしながらも、その口元だけは嬉しそうに綻んでいた。彼女はくるりと踵を返し、館の奥へと続く廊下を示した。 「……合格よ。さっさと中に入りなさい、アレン。まずはあの上で騒いでるろくでなしどもの朝飯を一緒に作るわよ。あんたのそのオムレツの腕前、たっぷりと見極めさせてもらうんだから!」 「はい、よろしくお願いします、先輩!」  赤土の開拓地『ラスト・アンカー』。  少々口が悪くて不器用な先輩メイドと、少しだけ世渡り上手になった新人冒険者の、騒がしくも輝かしい新大陸での日々は、こうして幕を開けたのだった。 (了)