夕暮れの風が、竹刀袋を肩にかけた円堂澄香の黒髪を揺らしていた。 今日は近隣の強豪校を集めた剣道部の交流試合だった。全国大会常連の名門校で主将を務める澄香は、今日もまた、ただの一本も相手に譲ることなく全戦全勝を収めた。部員たちの羨望の眼差し、顧問からの称賛、対戦相手からの畏敬の念。いつも通りの、完璧な主将としての1日だった。 けれど、帰り道の公園を一人で歩く澄香の表情は、拭いようのない倦怠感に沈んでいた。 「……はぁ」 誰の目もないことを確認し、澄香は誰もいない公園のベンチに深く腰を下ろした。誰に対しても礼儀正しく、凛とした佇まいを崩さない彼女が、この瞬間だけはただの疲れた少女の顔になっていた。 彼女の胸の内には、誰にも言えない、言ってはならない倒錯した願望が渦巻いていた。 ――一度でいいから、完膚なきまでに敗北したい。 手を抜いて負けるのではない。ましてや、部の看板を背負っている以上、公式戦や練習試合でわざと負けるなど論外だ。彼女が求めているのは、自分の持てる全ての技、全ての力を振り絞って挑んだにもかかわらず、それがまるで児戯であるかのように捻じ伏せられる、圧倒的な『強者』との邂逅だった。 自分の剣が全く通用せず、誇りもプライドもズタズタに引き裂かれ、ただ無력に組み敷かれて無様に負けてしまいたい。そんな浅ましくも甘美な妄想は、彼女が連戦連勝を重ねて「無敵の主将」として祭り上げられるほどに、日に日に強く、濃くなっていた。 「私、何を考えているのでしょうね……」 自嘲気味に呟きながら、澄香はポケットからスマートフォンを取り出した。画面をタップし、溜まっていた通知やメールボックスをなんとなく開く。 その時、澄香の指がピタリと止まった。 メールボックスの画面下部に表示された広告欄。普段なら目もくれないそこに、妙に目を引くピンク色のバナー広告が浮かび上がっていたのだ。 『お疲れのあなたへ。誰かの胃袋の中で、一度ぜんぶ溶かしてみませんか?【vorepal】』 「……ヴォア、パル?」 ハート型の唇を模した怪しげなアイコン。どう見ても新手のスパムか、悪質な出会い系アプリの広告にしか見えない。いつもなら即座に画面を閉じているはずだった。しかし、今の澄香の満たされない心と、抑圧された歪な願望が、その奇妙な文言に強く惹きつけられてしまった。 誰かの胃袋の中で、ぜんぶ溶かす。それはつまり、捕食されるということだろうか。生き物として最も原始的で、最も決定的な『敗北』。 気づけば澄香の指は、そのバナーをタップしていた。 瞬間、スマートフォンの画面がほんのりと熱を帯びたように感じられ、「チュルン♪」という可愛らしい効果音とともに、ホーム画面に見慣れないアイコンが自動インストールされた。 「えっ……? い、いつの間に……」 戸惑いながらもアプリが自動で起動し、画面にはポップなアニメーションとともに、可愛らしいマスコットキャラクターが表示された。 『ようこそ! 当アプリは、魔族のお腹の中で安全に消化・吸収されるリラクゼーションサービスです♡ ご利用前に、あなたの現在の肉体・魂データをクラウドに保存します。指紋認証部にタッチしてくださいね!』 「魔族……? 消化・吸収……?」 荒唐無稽な説明のはずなのに、なぜかそれを単なるジョークだと切り捨てられない不思議な説得力が、そのアプリからは漂っていた。一度ドロドロに溶けても、バックアップデータから安全に再構築されるという利用規約の文字を流し読みしながら、澄香の心臓が早鐘を打ち始める。 彼女は吸い寄せられるように、スマートフォンの認証部に指を添えた。ピコン、と軽快な音が鳴り、会員登録が完了する。 続いて表示されたのは、自分のプロフィールと『マッチング相手希望欄』の入力画面だった。 どのような相手に、どのように食べられたいか。澄香はしばらく画面を見つめた後、震える指先で、しかし強い決意を込めて文字を打ち込んでいった。 『私を倒せるほど強い人希望』 入力を終え、確定ボタンを押す。自分の最も恥ずかしい秘密をネットの海に解き放ってしまったような背徳感に、澄香の頬が朱に染まった。 すると、登録完了からわずか数秒後。スマートフォンの画面が激しく振動し、一件のマッチング通知が表示された。 『Predator(捕食者):ヴォルフィーナ・ビョルンが、あなたの希望に「食べたい♡」を送りました!』 画面に表示されたプロフィール写真を見て、澄香は息を呑んだ。そこに写っていたのは、2メートルを優に超えるであろう長身の、鋭い眼光と美しい銀灰色の毛並みを持つ狼獣人の女性だった。 さらに、プロフィール欄の下部には見慣れない項目とユーザーレビューが並んでいる。 【捕食スタイル:荒々しい「丸呑み・捕食」特化】 【ユーザーレビュー:『まるで本物の獲物になったみたいで最初は怖かったですが、無力な仔羊の気分を味わえて最高でした!★5』】 『無力な仔羊の気分』。その言葉が、澄香の胸の奥底にあるスイッチを強烈に押した。 ピコン、とチャット画面が自動で開き、相手のヴォルフィーナから短いメッセージが届く。 『面白い希望を書くじゃないか、お嬢さん。私の腹の中に収まりたいなら、まずは私に勝ってみろ。もっとも――お前さんの力が、私に少しでも通じればの話だがな』 男口調の、冷静で自信に満ち溢れた文面。 それを見た瞬間、澄香の全身に電流のような武者震いが走った。恐怖よりも先に、喉が渇くような興奮が込み上げてくる。 「……望むところです」 澄香は竹刀袋の紐を強く握りしめ、指定された待ち合わせ場所へと向かうべく、夕闇の迫る公園から勢いよく立ち上がった。 指定された待ち合わせ場所は、夜の帳が下りた寂れた埠頭の倉庫街だった。 街灯の下、2メートルを優に超える巨躯を壁に預けて立っていたヴォルフィーナ・ビョルンは、足早に近づいてくる少女の姿を見て、銀灰色の耳をピクリと動かした。 「はぁ、はぁ……っ! お待たせいたしました! 円堂澄香と申します!」 肩で息をしながら、道着の上にジャージを羽織った姿で深々と頭を下げる澄香。その瞳は異様なほどの熱気を帯びており、鼻息も荒い。 普段からアプリを通じて数々の人間を呑んできたヴォルフィーナだが、まるで仇討ちにでも来たかのような気迫を放つ少女の姿には、思わず少し気圧されて苦笑いを浮かべた。 「ああ、私がヴォルフィーナだ。そんなに急いで来なくても、逃げも隠れもしないさ。……しかし、ずいぶんとまあ、血気盛んなお嬢さんだな」 「メッセージで仰いましたよね。『まずは私に勝ってみろ』と……! 私の剣がどこまで通じるか、試させていただきたく思います!」 凛とした声で礼儀正しく、しかし頑なな決意を秘めて言い放つ澄香。 だが、長年の経験からか、あるいは獣人特有の鋭い嗅覚ゆえか。ヴォルフィーナは言葉を交わすうちに、目の前の少女が放つ奇妙な空気感に気づき始めていた。 (なるほどな……。口では勇ましいことを言っているが、このお嬢さん、本気で私に勝とうとしているわけじゃない。むしろ、自分の全力が一切通用しないほどの圧倒的な『敗北』を、心の底から渇望していやがる) 張り詰めた糸のように自らを律し、強者として振る舞い続けてきた少女が抱える、誰にも言えない歪な願望。それを見抜いたヴォルフィーナは、喉の奥でククッと低く笑った。根は面倒見がよく気のいい彼女にとって、そうした可愛らしい強がりに付き合ってやるのも一興に思えたのだ。 「いいだろう。そこまで言うなら、存分にかかってきな。ほら、得物を構えろ」 ヴォルフィーナが軽く手招きをすると、澄香はゴクリと唾を飲み込み、袋から竹刀を抜き放った。 ――スッ。 竹刀を中段に構えた瞬間、澄香の纏う空気が一変した。全国大会常連の名門校で主将を務め、敵無しの実力を誇る剣士の顔。深く息を吐き出し、極限まで集中力を高める。 「……参りますっ!!」 鋭い裂帛の気合とともに、澄香が地面を蹴った。 常人ならば目にも留まらぬ神速の踏み込み。全身のバネと体重、そしてこれまで積み上げてきた鍛錬の全てを乗せた、渾身の面打ちがヴォルフィーナの脳天へと振り下ろされる。 手抜きなど一切ない、正真正銘の全力の一撃。 しかし――。 「……えっ?」 ピタリ、と。振り下ろされた竹刀は、ヴォルフィーナの顔面の数センチ手前で、まるで巨大な岩盤にでもぶつかったかのように完全に静止していた。 衝撃音すら鳴らない。ヴォルフィーナがただ無造作に突き出した『人差し指の先』が、竹刀の切っ先を真正面から受け止めていたのだ。 「な、にが……っ!?」 澄香は目を見開いた。腕にどれだけ力を込めても、竹刀はミリ単位すら押し込めない。自分が放った全力の威力が、たった一本の指先に完全に殺されている。 何が起きたのか理解が追いつかず、硬直する澄香。 「いい太刀筋だ。人間にしてはな」 ヴォルフィーナがニヤリと獰猛に笑い、指先を軽く弾いた。 それだけで、澄香の手からいとも容易く竹刀が宙へと跳ね飛ばされる。カラン、と乾いた音を立てて竹刀が地面に転がった次の瞬間には、ヴォルフィーナの長い腕が伸び、澄香の華奢な両手首を片手でまとめて鷲掴みにしていた。 「あっ……、きゃあぁっ!?」 そのまま強引に引き寄せられ、澄香の身体はなす術もなく地面へと押し倒された。 大柄な狼獣人のしなやかで強靭な肉体が、澄香の上から覆いかぶさる。頭上で片手にまとめられた両手首は、まるで万力に挟まれたかのようにピクリとも動かせない。足をバタつかせようにも、ヴォルフィーナの長い脚に下半身を軽く押さえつけられただけで、すべての抵抗が封じ込められてしまった。 圧倒的な体格差。そして、絶望的なまでの膂力の差。 「さて、お嬢さん……お望みの『完敗』を見せてやったぞ?」 耳元で低く響く、ヴォルフィーナの余裕に満ちた男口調の囁き。 見上げれば、月光を反射して金色に輝く獣の双眸が、完全に組み敷いた獲物をすぐ上から見下ろしていた。 「あ……、う、ああぁ……っ……」 掴まれた手首から伝わる絶対的な力。自分がどれほど暴れようと、この獣人の指一本すら動かせないのだという事実が、澄香の脳髄を痺れさせた。 手も足も出ない。文字通り、赤子のように捻じ伏せられたのだ。 求めてやまなかった『完膚なきまでの敗北』が現実となった瞬間、澄香の顔には、捕食者を前にした本能的な恐怖と、それ以上に湧き上がるどす黒い歓喜とが入り混じった、なんとも艶めかしい恍惚の表情が浮かんでいた。 その時だった。 『――ピロリン♪ いただきます認証(チェックイン)、完了しました♡』 2人のポケットの中でスマートフォンが同時に淡い光を放ち、軽快な電子音が静かな倉庫街に響いた。 『vorepal』の機能が自動起動し、半径数メートルに「認識阻害と防音の魔術結界」が展開される。それと同時に、アプリの規定によって澄香の着ていたジャージと道着が光の粒子となってパージ(デジタル収納)され、夜の空気の中に彼女の白く引き締まった裸体が晒された。 「ひゃっ……!? ふ、服が……っ!」 「ククッ、いい身体をしているじゃないか。鍛えられた極上の赤身肉ってところだな」 羞恥に身をよじる無防備な少女の肢体を見下ろし、ヴォルフィーナが鋭い牙の並ぶ口元を大きく歪める。その口内からは、すでに獲物を前にした熱い吐息と、キラキラと光る粘液が滴り落ち始めていた。 「さあて、約束通り負けたんだ。ここからは私の『楽しみ』に付き合ってもらうぞ、小さな剣士さん」 荒々しくもどこか嬉しそうな捕食者の宣告とともに、澄香が味わう本当の『敗北』が幕を開けようとしていた。 ずい、と。 ヴォルフィーナの強靭な両腕が澄香の脇の下に差し込まれ、まるで軽いぬいぐるみでも扱うかのように、彼女の華奢な裸体が宙へと持ち上げられた。 2メートルを超す長身の狼獣人に抱え上げられ、澄香の足が地面から完全に離れる。自分の力ではどうすることもできない圧倒的な体格差と膂力の差を改めて突きつけられ、澄香の胸の奥で、抑えきれないほどの甘美な戦慄が弾けた。 (ああ……っ、私、本当に、手も足も出ないまま……っ) 普段の凛とした剣道部主将の仮面が、音を立てて剥がれ落ちていく。 心から望んでいた「完膚なきまでの敗北」のシチュエーションを前にして、澄香の中に眠っていた被虐的な本能が完全に目を覚ました。彼女は手足を力なくバタつかせながら、自ら無様な「敗北者」を演じるように、甘く上擦った声で命乞いを始めた。 「やっ……やだぁっ♡ お願いしますっ♡ 許してっ♡ 私がっ♡ 浅はかでしたからっ♡」 ポロポロと瞳から大粒の涙をこぼし、顔を真っ赤に染めながら、必死に許しを請う澄香。だが、その声色には隠しきれない媚びと、これから自分の身に起こる「処刑」への熱い期待がたっぷりと滲んでいた。 もちろん、百戦錬磨の捕食者であるヴォルフィーナに、そんな可愛らしい演技が通じるはずもない。それどころか、この気の良い狼獣人もまた、澄香の望む「無力な獲物ごっこ」にすっかりノリノリになっていた。 「駄目だなぁ、お嬢さん。威勢のいいことを言ってボロ負けしたヤツには、相応の末路がなきゃだろ?」 ヴォルフィーナがニヤリと獰猛に笑い、持ち上げていた澄香の身体をグッと引き寄せる。 そのまま、澄香の細い両腕を自分の引き締まった腰へと強引に回させ、逃げ場を完全に塞いだ。銀灰色の美しい体毛と、捕食者特有の熱い体温が澄香の素肌に直接触れ、それだけで彼女の全身がビクビクと震える。 「あ、あぁっ……♡」 見上げれば、ヴォルフィーナの顎が人間ではあり得ない角度まで、ガクリと大きく開かれていた。 鋭い牙が居並ぶその奥には、赤黒く濡れそぼり、獲物を迎え入れるために波打つ肉壁と、糸を引く大量の粘液が見えている。獣の熱い吐息が顔面に直接吹きかかり、澄香の脳がクラクラと揺れた。 「やだぁぁぁ♡ 終わっちゃうっ♡ 食べられちゃうぅ♡」 澄香は最後の抵抗とばかりに一生懸命手足をばたつかせ、細身の身体をよじってもがいた。しかし、彼女の必死の暴れなど、ヴォルフィーナにとっては心地よいスパイス程度の刺激にしかならない。岩のように揺るがない獣人の腕によって、澄香の身体はさらなる高みへと持ち上げられ――そのまま、大きく開かれた狼の顎へと、頭から乱暴に突き入れられた。 「んひゃあぁぁっ……♡!?」 ジュプッ、と粘り気のある水音が響き、澄香の頭部が熱い口内へと飲み込まれる。 分厚くザラついた狼の舌が、澄香の顔面から黒髪、そして首筋へと容赦なく絡みつき、全身をぬめりとした唾液でコーティングしていく。まさに「捕食」と呼ぶにふさわしい、一切の遠慮がない荒々しい丸呑み。 「んぐっ、んんっ……!」 ヴォルフィーナが喉を鳴らして一度大きく嚥下すると、強靭な食道の筋肉が澄香の頭と肩をギュウウッと万力のように締め上げながら、奥へ奥へと強引に引きずり込んでいった。 息苦しさと、全身の骨が軋むような圧倒的な圧迫感。自分の誇りも、鍛え上げた剣の技も、すべてがただの「肉塊」として処理されていく絶対的な屈辱と快楽に、澄香は口内で甘い悲鳴を上げ続けた。 ゴクン、ゴクンッ……と、ヴォルフィーナの長い首筋が澄香の身体のラインをなぞるように大きく波打つ。 豊かな胸が押し潰されながら喉を通り抜け、引き締まった腰が呑み込まれ、最後に空中で力なく痙攣していた白い太ももとつま先が、チュルンと唇の奥へと消え去った。 「……っぷはぁ! ふぅ、なかなか飲み応えのある良い獲物だったぞ」 そして遂に、澄香の全身はヴォルフィーナの胃袋の中へと完全に収まってしまった。 外では、ヴォルフィーナが剣士一人分を丸ごと呑み込んで大きくせり出した自分のお腹を、満足げにポンポンと叩いている。 一方、胎内の暗闇へと滑り落ちた澄香は、四肢を折り曲げた窮屈な胎児のような体勢で、分厚い胃壁にギュウギュウと押し包まれていた。 「はぁっ……、あ、あぁ……♡」 周囲から絶え間なく響いてくる、ドクン、ドクンというヴォルフィーナの力強い心音。そして、波打つ胃壁が分泌する、甘く芳醇な香りを放つ大量の消化液が、澄香の白い肌へとじゅわじゅわと絡みついてくる。 その時、アプリの機能による思念リンクを通じて、外にいるヴォルフィーナの低く落ち着いた声が澄香の脳内に直接響いた。 『ククッ、どうだ? 私の腹の中の居心地は。……せめて痛みなく消化してやろう。慈悲に感謝することだな、お嬢さん』 「あ……っ、ありがとう、ございますぅ……♡」 お腹の中で、澄香は涙で濡れた瞳を細め、うっとりと微笑んだ。 媚薬のような魔力を帯びた消化液が肌に染み込むにつれ、苦痛どころか、全身を熱い舌で舐め溶かされるような猛烈な快感が彼女の神経を駆け巡り始めていた。 『現在の消化率:15%……30%……手足からトロトロに融解中♡』 脳内に浮かび上がるアプリの無機質な通知とは裏腹に、澄香の心はこれまでにないほどの深い充足感で満たされていた。 どれほど鍛え上げた肉体も、名門校の主将という肩書きも、この圧倒的な強者の胃袋の中では何の意味も持たない。ただの無力な獲物として、相手の栄養になるためにドロドロの液体へと溶かされていく。 (ああ……私、本当に負けたんだ……。なにもかも通用しなくて、食べられて、今、この人の血肉にされてる……♡) 手足の先から輪郭が甘く曖昧になり、自分の身体が温かい魔力のスープへと変わっていく感覚。 心から望んでいた「完膚なきまでの敗北」を骨の髄まで味わわされた澄香は、ポロポロと歓喜の涙を浮かべつつも、誰にも見せられないほど満足げで幸せそうな表情を浮かべながら、ヴォルフィーナの胃袋の中でじっくりと消化されていった。 『現在の消化率:100%……完食です♡ ごちそうさまでした!』 静まり返った夜の埠頭に、スマートフォンの軽快な通知音が響いた。 さっきまで剣士一人を丸ごと収めて大きく膨らんでいたヴォルフィーナの腹部が、ゴキュルル……という腹鳴とともにゆっくりと元の引き締まったラインへと戻っていく。それと同時に、消化・吸収された澄香の良質な栄養と生気がヴォルフィーナの全身へと巡り、彼女の豊かな胸元やしなやかな筋肉が、ほんのりと艶めかしくサイズアップして紅潮した。 「ふぅ……っ、ごちそうさま。さすがは鍛え上げられた剣士だ、極上の噛み応えと濃厚な味わいだったぞ」 ヴォルフィーナが満足げに息を吐き、自身の少しふくよかさを増した胸元を撫でながらスマートフォンの画面をタップする。 すると、彼女の足元の地面に淡いピンク色の魔法陣が展開された。クラウドサーバーに保存されていた肉体と魂のバックアップデータがダウンロードされ、光の粒子が渦を巻いて人の形を成していく。 やがて光が収まると、そこにはデジタル収納されていた道着とジャージを身に纏い、まるで上質なエステや長風呂から上がった後のように肌をツヤツヤと輝かせた澄香が、ぺたんと座り込んでいた。 「はぁ……っ、あ、あれ……? 私、元に戻って……」 澄香は自分の手足を確かめるように触れ、それから目の前に立つ長身の狼獣人を見上げた。 つい先ほどまで、あの強靭な顎に噛み砕かれるように呑み込まれ、熱い胃袋の中でドロドロの液体になって溶かされていた感覚が、まだ全身の神経に甘い余韻として残っている。さらに、目の前のヴォルフィーナの体からは、自分と同じシャンプーの香りがふわりと漂っており、本当に自分が彼女の血肉として吸収されたのだという事実を否応なしに実感させられた。 澄香はハッと我に返ると、慌てて立ち上がり、姿勢を正して深々と頭を下げた。いつもの礼儀正しい剣道部主将の振る舞いだったが、その耳先は隠しきれないほど真っ赤に染まっている。 「あ、あのっ……! 先ほどは、突然竹刀を向けたり、その……取り乱して見苦しい命乞いのような真似をしてしまい、大変失礼いたしました……! でも、おかげさまで、胸のつかえがすっかり取れたと申しますか……本当に、ありがとうございました!」 日々の重圧から解放され、心から望んでいた「完全なる敗北」と「捕食される快楽」を味わえたことで、澄香の表情は憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。 そんな彼女の生真面目な謝罪と感謝を受け、ヴォルフィーナは銀灰色の耳を揺らして快活に笑った。 「ハハッ、気にするなと言っただろう。私の捕食スタイルは少しばかり荒っぽいからな、怖がって逃げるヤツもいるんだが……お嬢さんみたいに、真正面から鼻息荒くがっついて来る子は初めてだったよ。おかげで私も、なかなか楽しい経験ができたさ」 気の良い笑みを浮かべ、ヴォルフィーナは澄香の肩をポンと軽く叩いた。 その手のひらから伝わる圧倒的な強者の余裕に、澄香の胸の奥が再びキュッと甘く疼く。澄香は足元に転がっていた竹刀を拾い上げ、袋に収めながら、凛とした瞳でヴォルフィーナをまっすぐに見据えた。 「ヴォルフィーナさん。本日は私の完敗でしたが……これで終わったとは思わないでください。明日からまた一から鍛錬を積み直し、次こそは必ず、あなたを倒してみせます!」 高らかな再戦の宣言。 それを見たヴォルフィーナは、やれやれといった様子で苦笑いを浮かべ、長い前髪をかき上げた。 「おいおい、お嬢さん。その意気込みは買うがな、一応言っておくぞ? 何か特別な魔術や力でも持っていない限り、生身の人間が私たち魔族の膂力に勝つなんてのは、土台無理な話なんだがなぁ」 怪我をさせないよう、遠回しに「何度挑んでも結果は同じだぞ」と諭すヴォルフィーナ。 しかし、それを聞いた澄香の口元に、ふわりと少し含みのある、どこか艶めかしい笑みが浮かんだ。 「ええ、存じております。ですが――到底敵わないと分かっているお相手だからこそ、私の持てる全霊を尽くして挑む意味があるのです」 (そして、全力を出し切ってなお、また今日のように指一本で捻じ伏せられ、無力な獲物としてあの温かいお腹の中に収められてしまえるのですから……♡) 後半の本音だけは胸の内に秘めたまま、澄香は輝くような笑顔で一礼した。 その瞳の奥に宿る、剣士としての誇りとは別の「被食者としての熱い期待」に気づいたヴォルフィーナは、呆れたように、けれどどこか嬉しそうに肩をすくめて笑った。 「やれやれ、とんだ負けず嫌いのお嬢さんだ。……こりゃあ、また近いうちに付き合わされそうだぞ」 夜の倉庫街に響く狼獣人の笑い声と、すっかり心も体も軽くなった少女の足音。アプリが繋いだ奇妙な「捕食関係」は、どうやら今日だけでは終わりそうにないのだった。 (おわり)