最近、どうしてだか朝起きる度に戸惑っている気がする。 少女は戸惑いの源を確認するかのように自分のことを思い浮かべる。 私の名前は雨取しぐれ、デジタルワールド・アカデミアの高等部1年生。 そして、運動会実行委員会。 すぐに思い出せるのに、起きたばかりだからかどうも実感が伴わない。 さっきまで見ていた夢のせいかと思い出そうとしてみると、おあしす、という言葉だけが浮かんだ。 何の言葉だろ?と思ったところで、喉が渇いていることに気づく。 きっとそのせいで見た夢なんだ。 しぐれはそう結論づけてベッドから跳ね起きた。 その動きに部屋の向かいで寝ていたフロッグモンも身じろぎをする。 今日も良い日になりそうだ。カーテンから入り込む陽光にしぐれはそう思った。 「おはよう!」 しぐれがフロッグモンと共に教室に入ると、既に教室にはクラスメートの三上竜馬がいた。 「へへっ、遅かったな、俺の方が先だぜ」 得意げな顔で竜馬が笑う。 「それは竜馬君が早いだけだよ、他に誰もいないじゃん」 「誰もいない教室ってちょっと見てみたくてね。ちょっと今日の助っ人の準備もあったから」 「いつも助っ人ばっかりだね。あんまり無理しちゃだめだよ」 「好きでやってるからなあ。そうだ、雨取も必要だったら言ってくれよ。そろそろ運動会の準備も本格化する頃だろ?」 「そうだね、人手が必要なときにはお願い!」 しぐれがそう言うと竜馬が任せとけと胸を叩く。 竜馬に限らず、このクラスは気のいい人が多い。 ちょっと変わっている人やデジモンもいて騒ぎになることもあるけれど。 こういうとき、この学校で良かったなあと思うのだ。 運動会実行委員会と言っても、基本的に運動会というのは毎年行う学校行事だ。 そのため基本的な運営は学園や生徒会が主導するし、前例的に大体のことは決まっているものだ。 しぐれはそう思っていたが、どうもこの学園ではそうではないらしい。 何というか、前例的なことが酷く曖昧なのだ。 例えば去年どんな競技をしていたかというのを調べてもどこにもない。 それで人に聞いても、はっきり言える人はいなくて、何度も聞いてみるとようやく徒競走とか玉入れとか出てくるのだが、みんな言う競技がバラバラなのだ。 不思議に思って、この人なら間違いなく知っているだろうと生徒会の久遠寺十子生徒会長に聞いてみても 「ふふ、あなたの好きに決めていいのですよ?」 そうにこやかに笑うばかりだった。 そんなわけでしぐれの仕事は競技の選定を中心に意外と多かった。 例えば定番の徒競走なんかも、最初はデジモンと人間別にしようかと思っていたが、普通にデジモンたちと互角以上の人たちがいたため、混合の予定だ。デジソウルってすごい。 それに合わせてデジモンと人間の二人三脚なんかや肉食い競争、なぜか運動会なのに水泳の種目もジョグモン借り物競走もある。 今日は部活動対抗リレーの参加部活のとりまとめだ。 この学校、妙な部活動が多くて参加するかどうかのとりまとめも一苦労だ。 学校を回る前に運動会の組ごとの立て看板の様子を見に美術部まで脚を伸ばす。 「しぐれちゃん見て見てこれ!」 美術室へ行くと、青山司が元気よく駆け寄ってきた。 その後ろからバケモンとソウルモンがゆったりと追いかけてくる。 「わあ、良い感じだね!」 白組の立て看板は線画までできていた。 中央に大きくそびえ立つオメガモンマーシフルモード。 その周りを玉入れやリレー、パン食い競争など様々な競技をするバケモンとソウルモンがコミカルに飛び回っていた。 「運動会まだかな? わたし全部の競技に出るんだ!」 「そうだね、そうして盛り上げてくれると助かるな。そうだ、美術部で部活動対抗リレー出る?」 「聞いてみたんだけど美術部あんまり走りたい人多くなくて…でも絶対出る!」 文化部なだけに他の美術部員はあまり乗り気ではないのだろう。 でもこの司に頼まれたら断れないだろうなあ…としぐれは心中で参加部活に加えた。 「頼もー」 「フロッグモンだ、どうしたの?」 「…フロッグモンと…しぐれさん、何か不具合でも…」 戸を開けるなり迎えてくる塗料の強い臭いも気にせず中に入ると、背を丸めて一心に作業をしていた青年がこちらを見やる。 特撮美術研究部、通称特美研の部員である日野勇太だ。 「ううん、とんでもない!フロッグモン本当にアレ気に入ってるよ、ありがとう」 しぐれの隣にいたフロッグモンはそのとおりだとでも言うように、いつのまにか以前勇太にもらったニンジャスーツを着ていた。 周囲には水流が自在に巡っていたが、「あ…今乾かしてるから湿度は…」という勇太の言葉が言い終わらないうちに消えていた。 「今日は私から勇太君にお願いあってきたの」 「なんですか…?俺にできることなんて何も…」 勇太は下を見たままつぶやく。 「運動会の部活動対抗リレー出てくれない?」 「リレー?僕出るよ!」 ヴォーボモンの言葉を押し止めて勇太が首を振る。 「いや、俺陰キャだし…年中引きこもってスーツ作ってるだけだから…運動会とか似合わないっていうか…そもそもこの部人数が足りないし…」 「お願い!参加人数少なくて困ってるの!それに理事長にお願いすれば人はなんとかなりそうだし!フロッグモン特美研扱いで出してもいいから!」 手を合わせて前に出すと勇太は目を逸らしたまま「だけど…」「俺が出ても…」と言ってはいたが、しばらくすると「人が集まったら、まあ…」とうなずいてくれた。 しぐれは心中ガッツポーズをする。 頼まれると断り切れないところにつけ込んだ罪悪感は多少あったが。 それでも煮え切らない勇太に「ありがとね!」ともう一度言うと、勇太は気まずげに下を向いた。 「後はどこかな…軽音部とか人がいるし…」 しぐれが次の部活の当てを考えていると 「おーい!しぐれちゃーん!」 と大きな声でハルコとドラコモンが駆けてきた。 「今何やってるの?おっきな肉って見つかった?」 「うん、農場の方でとっておきの肉用意してくれるって」 「やったねドラコモン!」 ハルコがドラコモンとハイタッチする。 運動会の競技を何にしようか考えていたときに、あれがやりたい!と来てくれたのがハルコでそれ以来何か思いつくと来てくれる。 運動会も楽しみにしているようで、そういう子がいるのはしぐれにとっても嬉しい。 「今はね、部活動対抗リレーの参加者探してるの」 「はいはい!水泳帰宅部出る!ちゃんとユニフォームもあるし!」 「ありがと。でも水泳帰宅部って他に部員いたかな?」 「絶賛ボシューチューだよ!」 ハルコは元気よく手を挙げる。 「うーん、水泳部とかと合同とか?」 「水泳帰宅部は水泳部とも水球部ともちがうからなー!水泳帰宅部として出たいぞ!」 しぐれの言葉にハルコは両手でバッテンを作る。 それなら助っ人か、としぐれは考える。 「フロッグモンは特美研にだしちゃったなあ。いっそ特美研に水泳帰宅部の助っ人として…いや、それは流石に日野君が可哀想か…助っ人と言えば竜馬くんだけど」 「そうか!竜馬に頼んでみる!」 ハルコはそう言うとドラコモンと一緒に駆けだしてしまった。 気がつくともう夕方だった。 校舎もいつの間にか赤く染まっている。 その鮮やかさに、しぐれは窓の外の夕日を見て立ち止まっていた。 毎日が忙しく充実した学園生活。 そんな日々の中で、今のように落ち着いたとき、頭をよぎる言葉がある。 『どうせ、雨が降るのに』 しぐれにもなぜかは分からないが、そんな言葉がいつも浮かんでしまうのだ。 雨が降れば運動会はできなくなる。 これまでの準備も多くが無駄になってしまう。 今はそんなこと考えていてもしょうがないと笑おうとしても、どうしてもその言葉が頭から離れない。 根拠も何もないはずなのに、ただ、イベントごとでは雨が降るというのが絶対の法則のように思えてしまう。 そんな気持ちが消えず、窓の近くで動けないしぐれだったが。 「しぐれちゃん?」 後ろから不意に呼びかけられ慌てて振り向く。 そこには、大きなてるてる坊主がいた。 しぐれは目を擦ってもう一度見る。 目の前にいたのは、青山司とバケモンとソウルモンだった。 バケモンとソウルモンが上下に重なっていて、ちょうどてるてる坊主のような見た目になっていたのだった。 「元気ないの?」 心配そうにする司。 その姿を見て、しぐれは先ほどまでの不安が消えているのに気づく。 根拠なんてないけれど、こんなに愉快なてるてる坊主と友だちの少女がいる。 それだけで大丈夫だという気がしたのだ。 例え不安が消えなくても、今だけは。 「一緒に運動会まで頑張ろうね、司ちゃん」 「うん!」 この慌ただしい日々に身を任せたいと、しぐれは思った。