宿屋の一室で傭兵アリシアが休んでいると、控えめにドアを二度ノックする音と、その直後にフレイの控えめにアリシアを尋ねる声が聞こえた。 「どうぞー?」  返事のあと、数秒の沈黙の後にゆっくりと、扉が開いていく。開かれた扉の奥に立っているフレイを見たアリシアは息を飲んだ。 「と、トリックオア、ト、トリート…」  アリシアの目の前に背に黒い羽根と尻尾を生やし、可愛らしき角を頭に生やした美少年が三又の槍を持ち、不安げに佇んでいた。 「何これ?天使?」 「え?悪魔だけど…」 「ふーん、そっか、今日ってハロウィンだったか」  フレイを部屋に招き入れ、紅茶をコップに淹れながらアリシアは呟いた。正直すっかり忘れていたというのが彼女の正直な答えであった。 「はいよ」とアリシアがベッドに腰かけ足をプラプラさせてるフレイにコップを渡すと、フレイは小さく礼を言いながら受け取り一口飲んだ。 「あちちっ」 「あ、こらっ。淹れたばっかだから熱いにきまってるでしょっ」  心配顔でアリシアがフレイの隣に腰かけると、恥ずかし気にフレイがベロを出して笑う。  今の二人を傍から見る者が仮にいたら、まず微笑ましいきょうだいの触れ合いと皆が想像するであろう。この二人が片や凄腕の狙撃手で傭兵。シーフの冒険者だとは夢にも思わないに違いない。 (長かったなあ…)  息を吹きかけながら慎重に紅茶を飲むフレイを感慨深げにアリシアは見つめている。  初めであった頃はフレイはアリシアに中々自分からは近づこうとしなかった。正確にはアリシアではなく、女性にだが。妹の入院費の送金のために銀行に足繫く通っていたアリシアと、子供の養育費の送金のために銀行に訪れるフレイ。  フレイはなぜアリシアが送金してるのかは知らないし、アリシアもフレイが大金が必要な理由は聞かないし、聞けない。それでも、金を必要としている2人がシンパシーを感じたのはむしろ自然な流れといえよう。 「で、その恰好は?」 「う、うん。ドアンが衣装を今日はハロウィンだからってこの衣装を用意してくれて、アリシアに突撃してみろって…絶対うまくいくって」 「アイツ…」  アリシアは目頭を抑えた、勇者ドアン・セス。凄腕の勇者であり、アリシアたちのPTの長であるこの男。金の亡者であり、他人のプライベートには興味を示さないし踏み入れようともしない。いわばアリシアにとっては都合のいいといっていいビジネスパートナーだったが、認識を改める必要がありそうである。 「あ、あの…」 「あ、ごめん!どうしたの?」  考え込んでいたアリシアがフレイの声に我に返った。フレイはベッドから飛び降りるとテーブルにコップを置き、立てかけてあった槍を掴むと矛先をアリシアに向け、叫んだ。 「ト、トリックオアトリート!お、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!?」 「……あー」  アリシアは頬に指をあて考え込む。悪戯か、お菓子か。今のアリシアの心中を正直に言えば、フレイの考える悪戯も魅力的な選択肢にアリシアには見えた。 (でも…) 「パウンドケーキがあるけど、一緒に食べる?」 「ケーキ!?」 (まだ、その時は早い)と自らに言い聞かせたアリシアは、お菓子を選択する。  急ぐ必要はない。女性恐怖症のフレイに悪戯の選択肢は酷かもしれない。その選択肢は、もっと、フレイの心が自分に開かれてから。流行る胸を抑えながらアリシアは目を輝かせてケーキを待つフレイのために、ケーキを切り分けるべくベッドから腰を上げた。 ******************** 「ふっふっふっ…!ついにハロウィンが来たわね!」  某国某所の宿屋の一室の、洗面所の鏡を前にしたアズライールことハナコが吠えた。狼のケモミミに特徴的な犬歯、服装は狼仕様のもこもこのスーツと、人狼少女スタイルに着替えたハナコは鏡にむかってにかっと笑う。 「うん、ばっちり!メトリはどう思う?」  ハナコの背後に控えていたメトリに尋ねると、メトリは表情一つ変えず頷いた。 「はい、馬子にも衣装という言葉は真実だと確信いたしました」 「あはは。はっ倒すわよこん畜生」  軽口を叩くハナコの顔色は明るい。ギルにトリックオアトリートを仕掛けるとハナコが企んでから幾日。衣装の選択からセットまでのハナコへのメトリの貢献は、決して小さくはなかった。  メトリの方にくるっと振り向いたハナコが両手を頭の位置まで持ち上げ、指を鉤爪のように開くとにカッと笑った。 「じゃあ、行ってくるわ!がおー!」 「…はい、『楽しんできてください』」 「ええ!」  速足で部屋を飛び出していくハナコをメトリは薄く微笑んで見送った。  ……後から思えば普段殆ど表情を変えない彼女が珍しく笑みを浮かべていたことにハナコは気に掛けるべきだったかもしれない。  だが、この後のギルの反応のことで頭がいっぱいだったハナコにそれを指摘するのは酷であっただろう。  抜き足、差し足、忍び足。一歩、また一歩と極力音を立てなよう気を配りながらハナコは廊下を歩く。目指す先はギルの泊っている部屋。 「すぅーーーーーーっ……はぁーーーーーー…」  ハナコの深く深呼吸をした。彼女の心臓が早鐘を叩いたように聞こえ、部屋の向こうにいるギルの耳に聞こえてしまうのではないか、というような錯覚すら抱かせる。  ギルの部屋の扉の前にハナコは立つと、深く息を吐いた。髪が乱れてないか気になるようで頻りに弄っていたが、やがて意を決するとドアノブを掴み、一気に開けた。 「トリックオアトリート!………あれ?」  部屋の中はガランとしていて人の気配は全く見られない。 「ギル―…?」  洗面所とトイレを覗いてもそこにはいない。あるとすればギルが普段背負って歩く棺桶のみ。 「出かけているのかしら…」  リビングの椅子に座ると、ハナコはため息を吐いた。気負って乗り込んだのに、これでは肩透かしにあったようなものである。  頬杖をついてハナコが不興気に頬を膨らませている時だった。 がたっ  どこかから音が聞こえてビクッとハナコは飛び上がった。 「な、なに!?」  部屋の中を見渡すも、相変わらず人の気配は見つからない。棺桶が床に置いてあるのみである。気のせいかとハナコが息を吐いた。その直後。 どんっどんっ 「なによぉ!?」  なにかを叩くような音にハナコは悲鳴をあげた。明らかに部屋の中に誰かがいる。でも、どこに。  気遣わし気に周囲を見渡すハナコの視界に棺桶が入った。 「はは、ま、まさかね…」  笑い飛ばそうとしたが、ハナコの声は上ずり、緊張で掠れている。 がたがたっ どんっどんっ 「ひっ」  間違いない、間違いなく”棺桶の中に誰かがいて、棺を中から叩いている”。  へっぴり腰になりながらもハナコは棺桶ににじり寄る。棺桶にあと一歩という所まで近づいたハナコは素早く玄関口に目をやり、いざという時の脱出路を確認した。 「い、いくわよ…」  ハナコが棺桶に手を伸ばし、そっと開けた。  中にサーヴァイン・ヴァーズギルトが変わり果てた姿で仰臥していた。その顔は真っ白で、顔の至る所に赤黒い血がこびりついている。  絶句して硬直するハナコ。その手をギルが掴んだ。 「ヴぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!あああああああああああ!!!!!!」 「ひ、ひぃぃぃ!!!???」  ハナコが仰け反り、無様に尻餅をついた。四つん這いになりながら必死に玄関口を目指して進むハナコの背後から、ギルの笑い声が聞こえた。 「クックック…!ドッキリ大成功だな」 「ふぇ…?」  泣きべそをかきながらハナコが振り向くと、そこにはニヤニヤ笑いながらタオルで顔の化粧を落としている、ギルがいた。 「あ、あ、あ、アンタねぇぇぇ!!??」 「旦那、上手く逆ドッキリ決めてるかねぇ…」 「あの?どうしましたスナイプさん?」 「いやいやごめんねリタちゃん!ちょっと考えしちゃって!ところでリタちゃんその魔女っ娘コス可愛いね!」 「そ、そうですか…?え、えへへ…」 ********************  レンハート王国はハロウィン一色に染まり、様々な催しが街中で開かれていた。その光景を眺めつつ歩いていた聖盾のクリストは満足げに頷く。 「うん、民の顔に平穏が感じられてなによりです」  神にサカエトルの市民の幸福な日常への感謝を祈りながらクリストが大通りを歩いていると、魔女姿に身を包んだ細目の女性と、パンプキンを頭に被ったゴブリンがクリストの前に立ちはだかった。 「フフ…トリックオアトリート」 「お菓子をくれなきゃ悪戯するぜ!旦那!」 「ジュダ、それにヴリッグズ!貴方たちも参加してたのですね」  神速のジュダ。石剣のヴリッグズ。共にクリストと冒険を共にする頼もしい仲間である。 「クリストはん?どぉ?」  ひらりと一回転して可愛らしく杖を掲げたジュダがクリストを見ながら微笑むと、クリストも釣られて笑みを返した。 「お似合ですよ。ジュダさん」 「フフ・・あんがと」 「旦那、俺はどうだい?」  かぼちゃの被り物を被っているヴリッグズが前に進み出た。 「ヴリッグズも可愛らしいですよ」 「そこは怖いと言ってくれよ旦那」  ヴリッグズの言葉にジュダとクリストが噴き出す。 「そんで旦那、トリックオアトリート?」 「ええそうでしたね」  ゴソゴソとポケットをまさぐっていたクリストが二人に菓子を渡した。 「はい」 「おおきに……随分と準備がええなあクリストはん」  さりげなく尋ねたジュダの言葉を気にすることなく、クリストは笑顔で答える。 「ええ、今日はハロウィンということで幾つか菓子を買っておきました」  にこやかに手を振りながら去っていくクリストを見送ったヴリッグズは、クリストの姿が見えなくなると隣に立つジュダに囁いた。 「姐さん。ターゲット、残弾複数ありと。伝えてくれねえか」 「承知や」 「トリックオアトリート」 「トゥルー!それに…もしやあなたはイゾウさんですか!?」 「ご名答」  吸血鬼のマントを翻し、口元を隠して笑う吸血鬼衣装のトゥルー・ディテクティブの横で。イゾウが豪快に笑う。  彼(?)の姿は何とも不思議なものだった。白衣の科学者のような姿をし、そのおでこには真一文字に縫合後があり、側頭部び両側にはボルトがくっついている。 「フランケンシュタインっていう怪物だってよ。どうだ。怖いか?」 「え、ええ…何とも不気味ですね」  和気藹々と話していた三人だったが、思い出したようにトゥルーが、クリストにお菓子を要求しだした。 「トリックオアトリート?お菓子をくれなければ……君の生き血を頂こうか」 「それは困りましたね……はい」  クリストがポケットからチョコレートを取り出し、二人に渡す。  チョコを握りしめたイゾウが口惜しそうに口にチョコを放り入れる。 「ちぇ、まだストックがあったか。悪戯してみたかったぜ」 「あはは、残念。この時のために備えておいたので」 「ちなみに、あと何個あるんだい?」  何気なく尋ねたトゥルーの言葉に疑問を抱くことなく、クリストはポケットを弄りながら答えた。 「あと一つですね」 「……そうか」  去っていくクリストを見送ると、トゥルーは表情を引き締め、イゾウの耳に顔を近づけて囁いた。 「騙り屋に連絡を。狼を討つ残弾は残り1発と」 「了解」  通りを歩くクリストの眼に、彼等が宿泊している宿の姿が目に入る。その玄関口の前で立っている女性の姿を見つけたクリストがうえっ、という表情を浮かべた。 「トリックオアトリート? 「カタリナ、さん。貴女もレンハートにいたのですね」  黒いローブに、大鎌を持った、所謂死神衣装に身を包んだ聖女カタリナ・イーネがクリストに気づくと、誰もが心癒されるような聖女の笑みを浮かべながらクリストに近寄る。  だが、クリストは知っている。この笑みの内に隠された。承認欲求の塊のようなこのシスターの本性を。ハッキリ言ってクリストには苦手な部類の人物だが、不思議なことに彼女との縁は続いている。  理由はクリスト本人もわからない。勇者として望まぬ名声を得てしまい、負い目を覚える己と、名声に執着し、そのたにあらゆる研鑽を積む彼女。何かしらの縁を覚えずにいられないからか。それとも魔術師マーリンを始めとする、聖都では出会うことのできないであろう多様な冒険者との邂逅が、クリストの心に変化を与えたのであろうか。 「キルオアトリート?お菓子をくれなきゃ命を刈ります」 「ちょっと釣り合いが取れなさすぎませんかそれ!?」  鎌を大きく振り回すとカタリナは鎌の刃をクリストの首筋にピタリと当てた。首筋から伝わる感触からその大鎌が本物であることを察したクリストが慌ててチョコレートをポケットから取り出した。 「ふふ、チョコレート、頂きました」  大鎌をクリストの首から離すとカタリナは優雅に微笑む。  ホッとした顔を浮かべながら宿に入ろうとするクリストの背に、カタリナが語り掛ける。 「頑張ってくださいね?」 「はあ…?」  何のことかわからないクリストが振り返って問い返そうとするが、既にカタリナの姿はなく、ポツンと彼女の使い魔が佇んでいた。 「転移魔法ですか……意味が分からない」 「ク、クリスト……トリック・オア・トリート?」 「イ、イザベラ様ァ!?」  部屋に戻ったクリストは驚愕した。そこには彼の所属するPTの長にして、彼の最愛の女性。漆黒の勇者イザベラがそこにいた。 「が、がおー?」 「………イザベラ、様…?」 「うぅ……」  唖然として言葉も出ないクリストに、羞恥心が限界に達したイザベラが、赤面しながら両腕で胸元を隠した。クリストが絶句するのも無理もないだろう。今の彼女は人狼衣装、それもかなり際どい衣装に身を包んでいた。  頭にケモミミ、それに手足に可愛らしいグローブと足カバーを身に着け、胸元と腰に茶色の腰巻のようなものを撒いた以外は素肌を曝け出しているという、なんとも大胆でセクシーな衣装デザイン。 「イ、イザベラ様……その衣装はどうやって?」  何とか言葉を絞り出したクリストがイザベラにその衣装の発案の出所を尋ねる。 「う、うん。マーリンがこの衣装ならクリストもきっとお気に召すだろうって…」 (マァァァァァリィィィンンンッッ!!!!)  心中でクリストは、己の悪友ともいうべき詐欺魔術師に向け、心の限り叫んだ。  煩悩と必死に闘っているクリストに、顔を羞恥で真っ赤にしながら、おずおずとイザベラが尋ねた。 「ト、トリックオアトリート…」 「え…?…あ……」  クリストはその時ようやく気付いた。彼が持っていた菓子は全て配り終え、今己の手元には一つも残っていないことを。 「すいません…。菓子はもうないんですイザベラ様」 「そ、そうなんだ!じゃ、じゃあ」  顔を真っ赤にしたイザベラが、じりじりとにじり寄るその動きは非常に緩慢にも関わらず、クリストは蛇に睨まれた蛙のように動きが取れない。 「い、い、い、いたずら、するね?」  イザベラの両手が、クリストの両肩を掴む。長身のイザベラを見上げながら、クリストはやっとの事で掠れた声でイザベラに懇願した。 「お、お手柔らかにお願いします…」 「ぜ、善処します」  そう答えた直後、イザベラがクリストの首筋に顔を近づけ、カプッと噛みつく。甘い痛みに身を浸されながら、己の要望が敵いそうもないことをクリストは察した。 ********************  喫茶店「バリスタ」を訪れた聖騎士イザベルと、ビジョン・オーサンは、店員のバリスタに案内され席に着くと、興味深げに店内を見渡す。 「ここが、ボーリャック殿の構えた喫茶店か」  高価なアンティークの類などはないが、落ち着いた雰囲気の、客のことを考えて設計された。どこかレトロな雰囲気の漂う居心地のよい空間。  イザベルの声に慎重に言葉を選びながらも、ビジョンは賛同の声を挙げた。 「はい、どこか懐かしいような、安心できるような作りですね」  イザベルとビジョンの会話が途切れるのを見計らって、ボーリャックがメニューを訊ねに来た。 「本日はようこそ。ご注文は?」 「ボーリャック殿の今日のお勧めは?」 「ボーリャック殿、はよしてくれ。ランチをご所望で?」 「む、すまない」  いつもの癖でな、と小さく頭を下げるイザベルを、笑って許したボーリャックが、話を元に戻す。 「いえ、コーヒーと菓子を」  イザベルとボーリャックのやり取りを複雑な面持ちでビジョンは見つめる。何気ない風を装っているが、ビジョンは気づいていた。膝の上に置かれたイザベルの拳が、固く握られてることを。 「本日はハロウィンに対応した、カボチャを使用したスイーツが当店のおすすめとなっております」 「そうですか、じゃあ…」  イザベルはカボチャを使用したロールケーキを注文し、ビジョンはカボチャのタルトを注文した。  去っていくボーリャックの背に視線を送っていたイザベルが、ビジョンの気遣わし気な目に気づくと笑って首を横に振った。 「大丈夫さ」  ケーキも、コーヒーも極上だった。カボチャの甘みが活かされたケーキは頬が蕩けそうなほど美味しく。コーヒーもビジョンはそれほど詳しいわけでもないが、それでも旨いと唸らせる出来だった。  コーヒーに角砂糖を4つ5つとポイポイ放り入れるイザベルの姿にバリスタが目を丸くしていたのは、ご愛敬というべきか。  食事を終え、会計を頼んだ後、イザベルはボーリャックを呼び止め話しかけた。 「今回のような期間限定の菓子はこれまでにも行っているのですか」 「ああ、イベントや、季節に合わせたスイーツは色々考案している」 「そうですか」  なにやら思い詰めるように考え込んでいたイザベルが、思い切って尋ねた。 「どうですか、喫茶店の店員という職は」 「そうだな…」  ボーリャックが腕を組んで考え込む。イザベル、ビジョン、それに、店の奥で固唾を飲んで見つめているバリスタの視線がボーリャックに集中する。 「色々な言葉が浮かぶが、結構大変だな。経営というのは、宮仕えの方が自由度が低い分、ある意味楽かもしれん」 「そうですか…なら」 「だが、お客のありがとうや美味しかったを聞けたときの喜びは何にも勝るな」  そう語るボーリャックの顔に、イザベルは何も言わず、ただ、頷く。 「俺の手で作った料理で客が喜ぶ光景が嬉しい。憩いの空間を提供できていることが、自分を誇らしく思える」 「…………」 「イザベル」  ボーリャックが、何も言えずに床を見つめているイザベルに優しく声を掛けた。 「今日は来てくれてありがとうな」 「ビジョンもよく来てくれた。次はトゥルーも連れてきてくれ」  店を出た二人は黙々と帰路を歩んでいく。先に沈黙に耐え切れなくなったビジョンが、前方を歩くイザベルに声を掛けた。 「良かったのですか?イザベルさん」 「何がだ?」 「魔王を滅ぼし、奪還した聖都に、勇者として帰還してもらいたかったんでしょう」  ビジョンの問いに、イザベルはただ首を横に振った。 「あの二人の生活を私が壊すことなどできんさ」  淡々としたイザベルの声に苛立ちを募らせたビジョンが、進み出てイザベルの横に並ぶと、イザベルはビジョンに微笑みを向けた。 「それに、あの二人は、恐らくパートナーな関係だろう。事実婚というやつかもな」 「そうなんですか!?」  ああ、とイザベルは頷く。 「バリスタはあの女性の名前と聞く。店長はボーリャック殿ではなく、あの女性だ」  だから、イザベルは店員とボーリャックに言ったのか、と合点が言った顔で頷くと、イザベルが空を見上げた。釣られてビジョンも空に目を向ける。憎いくらいに青い空だった。 「二人の仲を裂くような無粋な真似はしたくはないさ」  空を見上げるイザベルが、どんな表情をしているのか、ビジョンには伺えない。だが、隣に並んでいて、まるで押したら崩れ落ちそうなくらい儚い、そんな印象を、今のイザベルは漂わせている。そんなイザベルを放っておくことはできず、ビジョンは衝動の赴くままに叫んだ。 「イザベルさん!」  驚いた様子でイザベルがビジョンの方に顔を向ける。 「俺が……俺が!ボーリャック殿なんかいらないくらい、立派な聖都の聖騎士として君臨してみせます!」  ビジョンの剣幕に、驚いた表情のまま固まっていたイザベルだったが、やがて、目頭を左手で強引に拭うと、ビジョンの頭をわしゃわしゃと撫でた。 「馬鹿者、百年早い!」