前のページ
 「熊本県は私の古里です。私
無題 名無し 04/17 143630
年老いた両親はここでどうやって暮らせばいいのか、熊本に戻って一緒に暮らさなければいけないのか、それまで歩んできた人生を大きく変えなくてはいけないのか、大きな不安と絶望のようなものを感じたことを覚えています。窓が二つ飛んだだけでこれほど大きな不安を感じるわけで、家が倒壊したり、大切な人を失ったりした人は、どうやって生きる希望や力を得ていくのだろうと思ったものです。
 阿蘇大橋のたもとにあったレストランの男性経営者と取材で知り合い、定期的に訪ねました。阿蘇大橋が落ちたことで人や車の流れが変わり、店の再建のめども立たない中、わずかな希望を抱きながら少しずつ前に進もうとされる姿に胸を打たれました。仮設暮らし、自宅の再建、店の再建、そしてコロナ。「本当に少しずつ、少しずつです」という男性の言葉に重みを感じ、一歩ずつ前に進む大変さを痛感しています。

続きを見る22日06:12頃消えます









戻る

レス

おなまえメールコメント