「熊本県は私の古里です。私
無題 名無し 04/17 143629
 熊本城が大きな被害を受け、帰省のたびに通っていた阿蘇大橋が落ち、高校時代にテニス部で合宿していた東海大阿蘇キャンパスや、毎年初詣に行っていた阿蘇神社が被災した姿を見た時は、自分の心が傷つけられる感じでした。東日本大震災の被災地などでも胸が痛くなる思いを何度もしましたが、よく知っている地域が傷ついた姿に思い出が次々と浮かび、やり切れない思いでした。

■希望抱きながら
 地震後、初めて熊本に帰ったのは本震の数日後だったと思います。高森町の実家はそれほど大きな被害はありませんでしたが、妻の実家は座敷の砂壁が崩れ、家具が倒れ、大きな窓のサッシ2枚が外に飛んでおり、住める状態ではありませんでした。
無題 名無し 04/17 143630
年老いた両親はここでどうやって暮らせばいいのか、熊本に戻って一緒に暮らさなければいけないのか、それまで歩んできた人生を大きく変えなくてはいけないのか、大きな不安と絶望のようなものを感じたことを覚えています。窓が二つ飛んだだけでこれほど大きな不安を感じるわけで、家が倒壊したり、大切な人を失ったりした人は、どうやって生きる希望や力を得ていくのだろうと思ったものです。
 阿蘇大橋のたもとにあったレストランの男性経営者と取材で知り合い、定期的に訪ねました。阿蘇大橋が落ちたことで人や車の流れが変わり、店の再建のめども立たない中、わずかな希望を抱きながら少しずつ前に進もうとされる姿に胸を打たれました。仮設暮らし、自宅の再建、店の再建、そしてコロナ。「本当に少しずつ、少しずつです」という男性の言葉に重みを感じ、一歩ずつ前に進む大変さを痛感しています。

続きを見る23日02:58頃消えます









戻る

レス

おなまえメールコメント