「共産主義」という目くらまし
無題 名無し 02/11 62402
[画像無し]
「共産主義」という目くらましの言葉

ロシア革命の真実

ソビエト赤軍はどういう連中だたのか

無題 名無し 02/19 62425
ナチスドイツを滅ぼせたのは何よりソ連軍の功績がでかいというか
毒を以て毒を制す世界大戦だったという事だw
無題 名無し 02/19 62426
>何よりソ連軍の功績
レンドリースやら頑張ったアメリカだと思うけど
無題 名無し 02/22 62427
人を人とも思わない人海戦術の力技押し返したわけでして
本土と戦場が直接つながってる方が強いよ
無題 名無し 02/22 62429
実のところアメリカを参戦させた日本の功績が最も大きい(チャーチル)
無題 名無し 02/22 62433
フランス革命もそうだけど、いざ革命が起こり、どの程度の変化を望むかとなったとき、中間勢力は結局のところ一掃されてしまうことになるのかな?
ボルシェビキも革命当初は決して多数派ではなかった

ただそこからあと、組織自体が急進派をじゃんじゃん粛清して保守へと体質を変えて行けるかは、指導者の手腕に依りそう
ロベスピエールもそうだけど急進派が延びちゃうと内ゲバで終了する
無題 名無し 03/01 62456
それではここで一曲
https://youtu.be/EDx6rsapKqE
無題 名無し 03/18 63070
ロシア革命は寄生虫の乗っ取り
そんなのを革命と呼ばされている

ソビエト赤軍はウクライナの寄生虫ユダ公だ
そのユダ公のロシア乗っ取りを
既にユダ公に乗っ取られた各国が支援した
その中の最大勢力が日本軍
日本軍は7年間もロシア人を殺しまくった

それを「シベリア派兵」などと呼んで
あたかもシベリアだけの攻撃だと国民に思わせている
最低だ日本て国は
無題 名無し 03/20 63209
それではここで一曲。古きよき昭和の風景とともに・・・
https://youtu.be/84jIC0fUQOs
無題 名無し 03/27 63377
それではここで一曲。どこもかしこも大ヘンなご時世ですが。
https://youtu.be/rs2_Ac4sJXQ

無題 名無し 04/04 63511
人心掌握するために壮大なハッタリが必要だったんだろうね
無題 名無し 04/05 63516
それではここで一曲。
https://youtu.be/8x4XnMP4l3w
無題 名無し 04/05 63517
それではここで一曲。
https://youtu.be/EeD0twMtfCI
無題 名無し [ちょっと解説してみる] 04/09 63553
「約束の土地へ」(1989)と「夢を眠らせないで」(1993)。この二曲に共通するのは、機動警察パトレイバーの映画版用に作られたものであること、イメージソング扱いで本編には使用されていないこと(劇場で上映された予告編では流れるものの知らなかった人も多いのではないか)である。続けて聞いてみると「降りかかる災厄」と「その終わり」を意味しているようにもとれる。第一作目で重要な鍵となるのはコンピューターウィルスだし、それの拡散によって首都圏が大混乱に陥るのはご承知の通り。それにバビロンプロジェクトとオリンピックを符合させてもいいかもしれない。第二作目では厳戒態勢下の東京が描かれることになるがこれも現実の出来事になっているようである。これが偶然なのかどうなのか筆者には見当がつかない。もちろんこれを途方もない驚きであると言うことはできる。しかしそれと同時に途方もなく無意味な妄想(深読み)だとも言えるのである。例によってこんなことを考えなくても世の中は渡っていけるから深く考える必要はないが。それではここで一曲。https://youtu.be/QZOQUiroYGU
無題 名無し [曲名を間違えていました。訂正させていただきます。(;° ロ°)スイマセン] 04/11 63586
>「愛を眠らせないで」(1993)
無題 名無し 04/13 63623
それではここで一曲。時代に閉塞感が漂いはじめると、こんな気分にもなりますよね。
https://youtu.be/1hA6J9ON-ZQ
無題 名無し 04/22 63687
肩を寄せ合っただけでもいろいろ言われかねないこのご時世、仕方がないと言うべきか世知辛いと言うべきか・・・それではここで一曲。
https://youtu.be/-kT03F9grKI
無題 名無し 05/02 63749
ソ連時代の軍人にミハイル・カトゥコフという人物がいる。生まれは1900年というからロシア革命の時期に青年期を迎えていたようである。貧乏な農民の出身で、子沢山な一家だったという。彼が労農赤軍に入隊したのは1919年のことである。このころロシア革命はまだ完全に成っていない。国内の反ボリシェビキ勢力の活動はもちろん、外国からの干渉も激しさを増していた。ロシア内戦における一兵卒として始まったカトゥコフの軍隊人生であるが、入隊当初から優秀な若者として目をつけられていたようにも思える。1920年に歩兵指揮官としての訓練を受けることになり1922年に修了。以後、堅実に実務経験を積み上げていきながら、各種の高等軍事アカデミーでの教育を受け、当時最先端の軍事技術である機械化部隊の指揮官として専門教育を受けたのは1935年のことである。ほぼ同時期に進行していた「大粛正」にも生き残っているから、まずは現場一筋の職人気質の軍人だったのであろう。ちなみにソ連共産党へは1932年に入党している。そして第二次大戦が始まる直前、彼は第20戦車師団の指揮官としてソ連ポーランド国境に赴くことになるのである・・・という話である
無題 名無し [多分こちらが正しいと思います・・・(;° ロ°)] 05/02 63751
>そして第二次大戦が始まる直前、彼は第38戦車旅団の指揮官としてソ連ポーランド国境に赴くことになるのである・・・という話である
無題 名無し [(;° ロ°)・・・] 05/03 63759
>>そして第二次大戦が始まる直前、彼は第5軽戦車旅団の指揮官としてソ連ポーランド国境に赴くことになるのである・・・という話である

無題 名無し [(;° ロ°)] 05/04 63765
1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻する。第二次大戦の始まりである。同月17日ポーランド東部国境にソ連の大軍が押し寄せる。独ソ不可侵条約に付属する秘密議定書に基づく軍事行動である。カトゥコフの率いる第5軽戦車旅団もウクライナ軍管区からこれに加わっている。旅団の装備していた戦車はBT戦車若干とあとはT-37/T-38軽戦車ということなので、高い機動力を持った快速部隊であったらしい。率直に言えばあまり強力な戦力ではないが、「大粛正」という大混乱を経たばかりの労農赤軍の機械化はまだまだ発展途上であったとも言える。しかしまあこの時期の状況は大国同士のチェスゲームみたいなもので、特に大きな戦闘には巻き込まれなかったようである。同年10月にポーランドでの作戦が終了したあと、BT戦車の数が増えてそれなりの戦力を整えることになるのであるが。1940年6月、第5軽戦車旅団は南部に移動して当時ルーマニア領だったベッサラビア地方に進駐。カトゥコフは1940年7月までこの職務を遂行し、その後ごく短期間の第38軽戦車旅団長職を経て、キエフ軍管区で編成された第20戦車師団長に転じるのである・・・という話である
無題 名無し 05/05 63772
キエフ特別軍管区で第9機械化軍団が編成されたのは1940年11月のことである。書類上では戦車二個師団(第19、第20)と歩兵一個師団を基幹とする一大機械化部隊である。しかしカトゥコフの赴任した第20戦車師団にあったのは僅かなBT戦車と装甲車若干に過ぎなかったのである。もちろんこの部隊はまだ編成途上で、これから装備や人員は増えていくことになるのであるが、ソ連はすでにナチスドイツと国境を接しているのである。労農赤軍の機械化が「大粛正」によって停滞してしまったのは否定できないように思える。これによって労農赤軍の機械化、近代化を推し進めた先見性のある将官のほとんどが処刑され、その手足となって働いた将校たちも断罪されて第一線から一掃されてしまったのである。残された者たちは手探りで、今後起こりうる戦争の準備をしなくてはならなかったのである。今のところナチスドイツの関心は西欧に向けられていたが(フランス侵攻1940.5 - 6、英国本土航空戦1940.7 - 10)風向きはいつ変わるかわからない。果たせるかな、西欧での戦局が手詰まりになったナチスドイツは、その矛先をソ連に向けてくるのである・・・という話である
無題 名無し [いつもの妄想です( ・∇・)] 05/07 63811
ナチスドイツの装甲部隊は1941年春の時点で数多くの実戦経験を積んでいる。ポーランド、フランス、バルカン諸国といった様々な戦場を走り抜け輝かしい勝利を収めていた。一方ソ連戦車部隊はと言うと多少心許ない部分がなくもない。森林地帯を歩兵主体で力押ししなければならなかったフィンランドとの戦争(冬戦争1939.11 - 1940.3)はともかく、ほとんど唯一といっていい戦車主体の戦闘は極東における満蒙国境地帯での日本陸軍との紛争、いわゆるノモンハン事件(ハルハ河の戦い1939.5 - 9)があるのみだったのではないか。日本陸軍第一戦車団(戦車第3、第4連隊基幹)との死闘やノモンハン事件の決着をつけたともいえるソ連側による二重包囲戦は遠く極東の地で成されたものである。当時のソ連で最も実戦経験豊かな労農赤軍の戦車兵たちはモンゴル人民共和国(ソ連の衛星国)からソ連にかけての国境地帯で満州国(日本の傀儡国)の日本陸軍と睨み合っていたのである。1941年春の時点でソ連と欧州との国境地帯に、実戦を経験した戦車兵はほとんどいなかったように思える。そして世界は1941年6月22日を迎えるのである・・・という話である
無題 名無し 05/08 63831
「共産主義」はロスチャがマルクスに書かせた机上の空論
そんなものは存在しない

ロシアが寄生虫ユダヤ人に乗っ取られた状態を共産国家と呼び
中国が寄生虫満州族に乗っ取られた状態を共産国家と呼ぶ

つまり寄生虫民族を隠すのが「共産主義」という魔法の言葉
無題 名無し 05/08 63837
> 「共産主義」はロスチャがマルクスに書かせた机上の空論
この世界線だとフーリエとかの空想的社会主義や老子の原始共産主義なんかはどういう扱いなの?
無題 名無し 05/20 64002
もうちょっと妄想を続ける。軍人としてのカトゥコフという人物はどうも地味な感じである。冷遇されていたわけではないのであるが、ぱっとしないのである。熱烈な共産主義者ということではないようであるし、恐らく政治的野心のようなものが希薄だったので、平時においては目立たない存在だったのではないかとも思える。そういう意味では、軍人としてはほぼ同期といっていいパーヴェル・ロトミストロフ(1901 - 1982)の経歴のほうが、如何にも労農赤軍らしい感じである。1919年に労農赤軍入隊するが、それとソ連共産党入党が同時期であり、1921年にクロンシュタットで起こった反ボリシェビキ峰起を鎮圧するために兵士として従軍しているというから相当なものである。実務経験を積みながら各種の高等教育を受けたのは彼も同じだが、ある時期から軍事理論家としての側面を持ちはじめるようである。しかし1930年代後半の「大粛正」で逮捕された将官たちとの関係が問題視され危うく連座しかかっている。汚名挽回というわけなのか冬戦争(1939.11 - 1940.3)では志願して最前線を希望し、勲章を授与されるほどの奮闘を見せるのである・・・という話である。
無題 名無し 05/21 64005
なんかソ連英雄伝説みたいになってきたが、気にしないで続ける。ロトミストロフが「大粛正」を生き残ったのは、恐らく軍事理論家としての価値を党中央が惜しんだからであるようにも思える。十代でソ連共産党に入党することを許されているのであるから、大変な切れ者だったのであろう。二十代で労農赤軍内部の目付役とも言える政治将校をやったりもしている。しかしロトミストロフが頭角を現してくるのは、機械化部隊の運用に関する見識を認められてからである。1933年、彼は特別赤旗極東軍司令部へ転出することになる。当時の極東地域は、日本の大陸進出(満州国建国1932)によって緊張が高まりつつあったようである。ここではすでに労農赤軍が長大な国境線を守るためには、火力と機動力を備えた戦車と自動車化された歩兵を効率的に運用するしかないというコンセンサスが形成されていたのではないか。数年に及ぶ極東軍勤務によってロトミストロフが得た洞察は、のちに「スターリン労農赤軍自動車化・機械化士官学校」における講義として労農赤軍内にフィードバックされたのではないか・・・というのが筆者の妄想なのであるが特に根拠はない・・・という話である
無題 名無し 05/21 64008
そんな無意味なこと考えなくていいんだよ
主要各国は寄生虫民族に支配されている
欧米を支配しているのは、アシュケナージ・ユダヤ人だ

でもロシアはロシア人による国だったから、欧米がよってたかって攻撃していたわけ
無題 名無し 05/24 64019
>反ボリシェビキ蜂起
無題 名無し 05/27 64067
あれだけ失敗レが多いのに未だに続けてるって
もう引っ込みがつかなくなっちゃったんだろうな
持論を引っ込める事は恥じゃない
アップデートしないで迷惑をかけ続ける事こそ恥だよ

無題 名無し 05/29 64075
まあ筆者としてはメモか覚え書きぐらいの感覚でこのスレッドを使わしてもらってるわけであるが、読み返してみると、我ながら多少変なところが目に付いたりする。実際は独ソ戦の話をやりたかっただけなので、ソ連(労農赤軍)軍と日本陸軍の関わりについてはまったくの余談である。日露戦争以降、この二つの軍隊は極東地域での宿敵同士だったといっていいのかもしれない。西欧列強の老獪さとは対照的に、勃興間もない大日本帝国の行動は、いかにも自国第一主義的な直情的なものだったのであろう。日露戦争から三十年足らずの間に朝鮮半島を完全に押さえ、中国東北部に傀儡国家まで造ってしまったのであるから。日露戦争の結果が帝政ロシアの崩壊にどの程度影響したのか筆者はよく知らないが、この期間の帝政ロシア・ソ連の極東政策は不安定な国内事情のために防戦一方だったのである。しかし日本の方も広がりすぎた版図を維持するために四苦八苦することになり、のちにこの膨張政策が米国との関係悪化を招くことになる。ソ連は人跡疎らな極東地域より欧州正面を重視していたし、日本にはまったく余裕がない。かくして極東地域は・・・(以下略)・・・という話である。

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