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画像ファイル名:1592794661764.webp-(28362 B)
28362 B無題Name名無し20/06/22(月)11:57:41No.1975+ 29年2月頃消えます
大乗仏教スレ
黄色が大乗仏教
オレンジは大乗仏教+後期密教
赤は上座部仏教
1無題Name名無し 20/06/22(月)12:02:23No.1976+
    1592794943524.png-(242604 B)
242604 B
マハーヤーナ
タントラヴァジラナーヤ
テーラワーダ
まあ聞いたことあるかなって感じかね
2無題Name名無し 20/06/26(金)18:06:20No.1990+
ブッダは大乗仏教など説いていないぞ
3無題Name名無し 20/07/03(金)01:27:54No.1998+
もう何の会社か分からないくらい
事業が多角化しても
やっぱり富士フィルムなのと同じみたいな
4無題Name名無し 20/07/03(金)10:10:02No.1999+
ええ処の御曹司が家を出て離婚し大手企業に勤めたが
そこがブラック企業だったので独立
経営理念は素晴らしかったが一代で消滅
何百年か後に会社名と経営理念を使った会社が発足
しかし理念の解釈の違いで分社化
そして現在に至る ってところかな
だから誰も創業者の本当の姿を知らない!
5無題Name名無し 20/07/06(月)21:09:19No.2009+
>だから誰も創業者の本当の姿を知らない!
それが大事
釈迦の時代には直接釈迦と会えた
釈迦死後には仏、法、僧が成り立たなくなって仏を観た、というのが全部自己申告になった
どこで観、想、念の仏や称名念仏が成り立つかってのを追求してったのが大乗の歴史の一面とも言える
6無題Name名無し 20/07/09(木)03:04:42No.2014+
受や識というものを想定する仏教と仏と一体化するって仏教は両立し得ない気がするんだけど、その辺どうなんだろう]
7無題Name名無し 20/07/15(水)13:14:35No.2028+
    1594786475850.png-(457841 B)
457841 B
いわゆる大乗仏教のマークがこれ
いわゆる仏法が展開してますよっていう「法輪」をモチーフにした、帆船の舵輪みたいなやつ
大乗仏教全般の特徴として、いわゆる独覚をそこまで重要視しないってのがある
いつ仏教が興ったかというのには諸説あるかもだが、初転法輪が起こったのは釈迦が法を説きそれを行者が正しく受け取った瞬間、ということになってる
釈迦が悟りを開いたとして誰かにその悟りを正しく伝えるまでの間に事故やらで突然入滅されてたりしたら、もちろん今でも法輪は回ってないことになるわけですな
8無題Name名無し 20/07/17(金)19:53:33No.2030+
小乗も大乗も後の人々の創作
ブッダが説いたこととは無関係
9無題Name名無し 20/07/17(金)20:45:02No.2031+
仏教にはユダヤ教のヤハウェ、イスラム教のアッラーの様な「唯一神」が存在しない
梵天や大日如来は後世の後付け
宗教というより哲学と捉えた方が良いな
10無題Name名無し 20/07/18(土)02:36:40No.2032+
因果の理法、というものがいわゆる神の成立には欠かせない
信賞必罰が組織の基本やからね
その因果に釈迦が持ち込んだのが縁の思想、諸行無常に諸法無我
11無題Name名無し 20/07/18(土)03:25:31No.2033+
釈迦の滅後、各地にストゥーパができた
釈迦の説法の口伝が各地で行われたが、口伝は文書ではなく絵解きで行われた
後世の東南アジアにボロブドゥール遺跡とかあるけど、めっちゃ仏教説話のレリーフ多いでしょ
あれはつまり釈迦生誕とかの物語を表した絵解きのお経なんだけど、それに似たものがインドのストゥーパには既にあったと言われている
いろんな釈迦が、生まれた時に天上天下してたり全て救うとかいろんな場面でいろんな印相を結んでたりするわけですよ
その各地の印相レリーフがギリシャ彫刻と出会ったりして化学反応を起こし、各地で各仏単独の部派仏教を生みだす結果となったのではと最近言われとります
釈迦の入滅後、仏という存在を既に亡くなったものでなく、常住のもの、今現在説法するものとして改めて見出す必要があった
重要なのは、大日であれ薬師であれ阿弥陀であれ釈迦であれ全て仏の属性、仏の表現であるということ
どの仏が1番ってのは過去の高僧にしか許されない判断だと思います
凡人がこだわっても毒にしかならない
12無題Name名無し 20/07/19(日)03:07:07No.2038+
密教の立場は…
13無題Name名無し 20/07/19(日)15:34:53No.2043+
後期密教なんかは自ら俺達は大乗じゃねーよと言ってるわけで
龍樹が密教を説いたとされる著作について、中村元とかは複数の龍樹がいる、と密教のは暗に別人判定してるね
14無題Name名無し 20/07/24(金)06:13:10No.2047そうだねx3
>No.2028
「よく分かった!」
「伝わってよかった!」
みたいな愛がありますな
15無題Name名無し 20/07/26(日)12:54:46No.2060そうだねx1
>「よく分かった!」
>「伝わってよかった!」
>みたいな愛がありますな
篤く三宝を敬え、の三宝が円満に成立した時には必ず両者に感動があるもんですよね
人師であれ、法であれ
そしてその関係性の円満がその証明となるもんですから、悉有仏性を言うならそりゃこの世の人過去の人全てが師ですよ仏ですよとか言い出さないといけなくなるわけで
凡夫がそんなこと言えるわけもない、口だけやんという前提もあるのですが、例えば法華経なら常不軽菩薩のお姿とか、浄土真宗なら阿弥陀が如来であることに南無するとか
各宗派で仏、菩薩に遭ったその感動が絶えることなく相続されて来たのが、仏教の歴史だったはずです
そして、その三宝が成り立つ場所を各宗派で浄土と呼んだりしてたわけです
釈迦の滅後、証明の無い個人的な悟りをひたすら積み重ねていくというスタイルだった仏教は、常住の仏、浄土を見出し、そして三宝を抑えるということで始めて社会性を獲得したと、その面では言えるかと思います
同時に仏像のポーズごとの解釈、これは阿弥陀の仏だとかこれは薬師の仏だとか、また仏に近付くための方法論とかで好きなだけ流派も細分化されてった形ですね
16無題Name名無し 20/07/31(金)02:07:31No.2103+
阿含経典にも大乗経典にも存在し、絵解きでも有名過ぎる経典として大般涅槃経がありますナ
阿含経典ではわりと淡々と釈迦臨終前後の様子を描写してるのですが、大乗経典として編集された時にはめっちゃ尾ヒレが加えられてます
大乗経典でのハイライトの一つは、臨終の釈迦への純陀による施食は、釈迦が悟りを開く前のいわゆるスジャータからの施食と同等である、と説かれる所
成道以前の釈迦というのは、仏でなく一般人の修行者ですよね
悟りを開いてるわけでもない一修行者への施食と、現に覚者の道を何十年も説き終わられたどっから見ても釈迦涅槃図な人への施食は同じものである、と涅槃経は説きます
仏の因になるものへの礼拝と仏になられた果への礼拝が同じものである、それを成り立たせているものは何か、それは仏性である。それぞれに仏性を見て、スジャータも純陀も施食を行ったのだと
今後釈迦は入滅するが、如来は常住にして変易すること無し、そして仏性はどこの誰にあるものか、一切衆生は悉有仏性である。ただし唯除一闡提ね、と涅槃経は展開していきます
17無題Name名無し 20/07/31(金)02:35:41No.2104+
注意して欲しい点は、涅槃経では仏性はあくまで礼拝讃嘆の対象として示されてるものだということです
禅宗でも見性成仏といいますね
悉有仏性というのは涅槃経においては我に仏性有りと言うためではなく、悉くに仏性を見出した時のための言葉なんです
18無題Name名無し 20/08/05(水)11:06:47No.2141そうだねx1
仏教ってだいたい仏ごと宗派ごとのポジショントークな印象
19無題Name名無し 20/08/23(日)20:59:23No.2218+
なんで長文ででたらめ知ったかしてんの
20無題Name名無し 20/09/20(日)10:18:25No.2369+
>受や識というものを想定する仏教と仏と一体化するって仏教は両立し得ない気がするんだけど、その辺どうなんだろう�]
受や識の外に神仏がいてそれらに干渉する
神仏は一体となるもの(受や識に影響を与える)以外にもそれらの外側から対象の関係性、縁などに干渉するものもいる
21無題Name名無し 20/09/20(日)10:20:06No.2370+
>仏教にはユダヤ教のヤハウェ、イスラム教のアッラーの様な「唯一神」が存在しない
>梵天や大日如来は後世の後付け
>宗教というより哲学と捉えた方が良いな
何のためにインド土着の神を取り入れたのかが問題
行動が何によるかの研究を哲学と呼ぶならそれでいいと思います
22無題Name名無し 20/09/20(日)10:23:55No.2371+
>>「よく分かった!」
>>「伝わってよかった!」
>>みたいな愛がありますな
>篤く三宝を敬え、の三宝が円満に成立した時には必ず両者に感動があるもんですよね
>人師であれ、法であれ
>そしてその関係性の円満がその証明となるもんですから、悉有仏性を言うならそりゃこの世の人過去の人全てが師ですよ仏ですよとか言い出さないといけなくなるわけで
>凡夫がそんなこと言えるわけもない、口だけやんという前提もあるのですが、例えば法華経なら常不軽菩薩のお姿とか、浄土真宗なら阿弥陀が如来であることに南無するとか
>各宗派で仏、菩薩に遭ったその感動が絶えることなく相続されて来た
阿弥陀仏も観音も不動明王も大黒天もシヴァ神だという説があるけれど仏ってなんでしょうね
大乗的な仏って神さまみたいなものだと思うの
23無題Name名無し 20/09/23(水)13:35:49No.2385+
>阿弥陀仏も観音も不動明王も大黒天もシヴァ神だという説があるけれど仏ってなんでしょうね
その辺の説明のために曇鸞とかだと方便法身、法性法身という言葉を使ってますね
浄土論注
「諸仏・菩薩に二種の法身あり。一には法性法身、二には方便法身なり。法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は異にして分つべからず。一にして同ずべからず」
そしてその弟子の注釈には
「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、(法蔵菩薩と名乗らせたまいて〜)」
大抵の仏画仏像には方便法身尊像って裏書きがありまして、人間が思い付くような文字や絵、名前によるキャラクター分別は全て方便として仮に現れたものだと説明してるのですね
キャラ偏重になればそりゃキャラの神格化になるんじゃねって話になりますので
24無題Name名無し 20/09/24(木)01:46:59No.2387+
シヴァ神は仏教より先にありますがこれを仏教が取り入れて礼拝を実行している意味とはなんでしょう?
25無題Name名無し 20/09/24(木)11:02:59No.2390+
儀式関連になると、先人の行儀に倣っている部分がかなり多く出てきますからね
仏教で大事にされる菩提樹はヴェーダ成立以前、インダス文明からの信仰の対象だったりしますし、釈尊もインドではヴィシュヌの化身であるという信仰のされ方してたりする面が一部ありますし
ヴェーダを読むこと、ヴェーダの言葉に呪力、ブラフマンがあるというバラモン教をそのまま踏襲した仏教宗派もありますしね
だいたいの宗教は当時受け入れられてた文化習俗と混ざりながら次の世代、次の土地に受け継がれて行くことになります
そういう習俗は自覚的に受け継ぐものと無意識に受け継ぐ物があって、だいたい過去の経験値に近い物なので、代替のものや補う物が無いのに簡単に切り捨てたり文化大革命しちゃうと精神レベル的なドレインダメージが大きいってのもよくある話…
自覚的ならまだいいですけど、無意識の行動様式に穴が開くわけですから。
シヴァ神は白いヴィシュヌと対象的に、有色人種で下部カーストだったドラヴィダ人にも人気のあった神だそうですよ
26無題Name名無し 20/09/25(金)13:20:59No.2392+
礼拝対象として神仏はいるという事ですね
如来にたいしてシヴァ神を讃える言葉を捧げたりする場合はどのような事が想定されますか?
その他の神さまを讃える言葉を捧げたりしますがそれらに関して真言を訳するべきではないとする方も多いと思いますが
これはどのような事情でしょうか?
27無題Name名無し 20/09/26(土)16:45:37No.2396+
>礼拝対象として神仏はいるという事ですね
ホンマにぃ〜?
釈迦自身は在家に対して、礼拝対象のガイドラインを示してますね。修行が完成した人、独覚の人、菩薩道を歩む人、転輪聖王の四者は塔を立てて拝むべき、と言ってます
なぜ方便法身と法性法身の話を挙げたかというのは、礼拝対象、タターガタなんかを実体化して捉えてしまい、結局仏教として堕落しちゃう問題と各宗各派がどの時代でも常に相克していた、ということを示せると思ったからです。シヴァ神云々も、その文脈の中にあるものではと思いますよ
起こる問題は四顛倒といわれるものではないですか?常でないものを常と思い、楽でないものを楽と思い込み、我でないものを我と思いなし、清浄でないものを清浄と思いなす。人間のいつものやつですよ
28無題Name名無し 20/09/28(月)03:13:15No.2400+
先に挙げられてる初転法輪経は釈迦最初の説教として部派仏教の各団体がけっこう共通した内容で伝承してたものでして、釈尊が元々言ってたであろう言説の大枠として例に出されることが多いです。そこに通じて語られてるものとしては、四諦八正道、苦集滅道の十二支縁起説、五蘊などがあります。
だいたいのあなたの苦しみや問題は誤認や思い込みから発生してるものであって、その無明から離れ、何が正しいことなのか、自分の認識を精査して改めるものは改め、正しい行動を修められるようになることで、その原因を断絶し、苦を消滅に導くことができる…的な。
苦、と表記してますが、日本語的な意味ではさわり、に近いものでしょうか。
この基本教義と瞑想を主体とする部派仏教は上座部だ大衆部だと分裂し、アショカ王の時代を経て20派あまりに分裂していくわけですが
ところで、大乗仏典の成立がストゥーパ由来だとする説って現在だとかなり支持薄いらしいなんですよねー。キリンの種族の首が突然伸びたように見えるように、いわゆる変異の過程にある経典がやっぱり少な過ぎる、ということのようでした。残念。
29無題Name名無し 20/09/28(月)19:45:36No.2401+
状況証拠の一つとしては、三蔵法師玄奘の西遊でインドに残ってたのが口伝を主体とする上座部仏教だけだったこと。大乗経典を口伝する部派が確認できてないわけです
あと、大乗経典には経典を書写すると功徳があるよ、と書写を勧めるアマビエみたいな文言が時々出てきます。口伝を書写し、切り取った時にそんな言い方になることってなかなかあり得ませんよね。
最初の大乗経典は文字で突然登場してる可能性がやっぱり高いとのことです。個人的な感覚としては、やっぱり信じ難いのですが。
同時に、仏像の出現もクシャーン朝で仏足石等足型等から人型へ変化した時期が最初の登場、ということになるようです。古い情報を出してしまい申し訳ない
30無題Name名無し 20/09/30(水)01:32:30No.2404+
>礼拝対象、タターガタなんかを実体化して捉えてしまい、結局仏教として堕落しちゃう
これあかんの?
31無題Name名無し 20/10/04(日)03:15:13No.2408+
真言では如来にたいしてなぜ
マタンギ神よお救いください
と唱えるのですか?
そして何故それらによって証があらわれるのですか?
簡潔にお答えしてほしいのですが
32無題Name名無し 20/10/04(日)03:32:04No.2409+
すいません
哲学的な方ですね
密教は実践的な経験が大事ではありますが
それらは神仏との関係性によって生じます

心というものは確かに錯覚なのであります
意識の主観に対してその他の五感感情思考その他もろもろを統御している主体性のあるものが生じさせております
これらの感覚との相違または暴走が医学的にいえば統合失調症であり昔でいえば狐憑きのたぐいといえます

チベット密教などではこれにわざと相違を起こさせる方法をタルパの法といいます
私自身は意識と思考の補助以外の有用性はわかりませんがその他の方法とあわせて何かを為すためのものだと思います

その統御している主体性のあるものに対して働きかけるものが真言系の神仏やマントラですが体験するならば雑念の多い方は不動明王の前で真言を108回ほど唱えてみるのも有効かもしれません
ただ懸念として灌頂などを受けてみないと効能が薄い場合もあります
密教の密 秘密とは普通の人には考えが及ばない所のものであるとしていましてなかなか自分の求める答えを持っている方語れる方とはあえずにおります
33無題Name名無し 20/10/05(月)02:01:04No.2410+
>これあかんの?
宗派によって立場は少しづつ違いますが、だいたいに共通する大事な要素ではないかと思ってます。そもそも受、から話が始まってる、ということの敷衍ですね
実体と実体化させたものが同じなら楽な話なんですけど
彼岸を私物化してしまうみたいなことですから、例えば空海さんくらいの人にしか許されないことなのでは
>マタンギ神
その辺自分は不勉強で申し訳ないのですが、確かマタンギ神(シヴァの妻)が不浄の旃陀羅の格好をしてシヴァ神と会い、彼女を娶るためにシヴァ神が旃陀羅のカーストに変わった、という話があったように思います。
めっちゃいい話でカーストって何ってことへのアンサーの一つにもなってるし、流石シヴァ神人気も出るわって感じですよね。証についてはよく分かりません。
34無題Name名無し 20/10/05(月)03:28:34No.2411+
>すいません
>哲学的な方ですね
ついさっきまでも古い説を自慢げに脳内から垂れ流しにしてました。あまりろくなもんじゃないです
>心というものは確かに錯覚なのであります
>意識の主観に対してその他の五感感情思考その他もろもろを統御している主体性のあるものが生じさせております
その主観、というもの外界からの反応で発生したものであれば、つまりは錯覚、執着である時がほとんどですからね。
たいがいが心の仮の平安求めて傷付くのを避けようとしたりマウント取ろうとしたり居場所無くしたり無理やり居場所作ろうとしたり右往左往してるだけですし
ていうかその辺のそちらの仰ってる主観って個人的な主観の方ではなくて、真我とか大我とか、阿頼耶識がどうとか法蔵とか如来蔵とかの方だと思うんですよね。色んな宗派で呼ばれてるそれが釈迦の時代からどんな理由で展開され示されて行ったのか、ちょっと確認してみたくてこの駄文を垂れ流しております
35無題Name名無し 20/10/05(月)15:35:22No.2412+
主観、というもの錯覚の産物である場合がある可能性があるよ、ということがあります。
人間の主観が求めるのはたいがいが結局は緩い自己肯定自己満足、自尊心が保たれる世界、ということになってたりするわけですから。それが邪魔されるのが何よりの苦しみ、とか考えてたりするわけですから。私らは人間ですから、いわゆる無我の境地とはほど遠いものを求めることになってる可能性が常につきまとってるわけです
元々の釈尊が言ってたであろう言説には、五蘊(色、受、想、行、識)はアートマンにはあらず(非我)、というのがあります。この非我という視点からアートマンは有るのか無いのか、という話になり、釈尊は無記という立場を取られたというのは有名な話です
36無題Name名無し 20/10/05(月)15:36:37No.2413+
諸法無我と言ってるのに、誕生仏は天上天下唯我独尊と言ってるのって変じゃね?というのは皆さん一度は考えたことがあるでしょう。釈尊の否定する我と釈尊が尊ぶ我の二つをどう位置付ければいいんだよ、っていう問題がずっとありました。
それらは釈尊の生前は釈尊に聞けば解決した問題だったんですが、釈迦滅後は人間がいちいち前例に当てはめて仮の答えを出すしか無くなって行った。
そこでいつの間にか前例踏襲主義になっていた説一切有部、いわゆる上座部仏教に対抗して人無我なんじゃね?法無我なんじゃね?というカウンターが初期の大乗仏典として生まれることになるわけです

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