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要人警護、政治家側の協力課題 単独犯の情報収集も強化 岸田首相襲撃1年・警察庁
https://news.yahoo.co.jp/articles/f38c324b085ae58b1f3f8aadd403e793c49cf164
★「菅生事件」報道 本格的な調査報道の草分け
1952年(昭和27年)6月2日午前零時半ごろ、大分県菅生(すごう)村(現在の竹田市菅生)で、警察の駐在所が突然、ダイナマイトで爆破された。警察は、爆発直後に現場付近を歩いていた日本共産党員2人のほか、仲間の党員3人を逮捕。計5人は爆発物取締罰則違反で起訴された。これが菅生事件の始まりである。
事件は当初、共産党よる武力闘争の一環だと報道された。当時の日本は、敗戦の混乱期。連合国軍総司令部(GHQ)の主導した日本社会の民主化政策は、東西冷戦の高まりによって頓挫。1950年6月に勃発した朝鮮戦争の前後には共産党員やその支持者らを公務員や企業から追放する「レッドパージ」も本格化していた。いわゆる「逆コース」である。事件はそうした騒然たる雰囲気の中で発生し、メディアの主流だった新聞各紙も「共産党よる武力闘争の一環」として報道した。
様相が変わるのは、公判が始まってからである。(1/6)
… | 1岸田首相へ爆発物が投げ込まれた事件から1年 「菅生事件」を振り返るName名無し 24/04/18(木)17:27:50No.41376+一審の大分地裁で被告らは「事件当日の深夜零時、共産党シンパの『市木』という人物に駐在所付近の中学校に呼び出され、その帰りに逮捕された」「事件は共産党弾圧のためのでっち上げだ」などと述べ、無実を訴えた。だが、言い分は通らず、5人全員が有罪になった。 |
… | 2岸田首相へ爆発物が投げ込まれた事件から1年 「菅生事件」を振り返るName名無し 24/04/18(木)17:29:26No.41377+これに対し、今度は毎日新聞が「戸高は現在、国家地方警察本部(現在の警察庁)の警備課に勤務している」という事実をつかみ、スクープとして報じた。1957年3 月13日朝刊の「菅生事件のナゾ 姿を消した警察官」という大型記事だ。この頃になると、事件は国会でも問題となり、警察庁側が防戦一方の答弁を続けていた。 |
… | 3岸田首相へ爆発物が投げ込まれた事件から1年 「菅生事件」を振り返るName名無し 24/04/18(木)17:30:37No.41378+その後、戸高は警察に匿われながら警察大学校などに潜伏していたことが明らかになった。交番爆破に関しては、自らダイナマイトを運び、共産党員に見せかけた駐在所宛の脅迫文をつくったことなども認めていく。罪をなすりつけられた共産党員ら5人の被告は、控訴審で逆転無罪が言い渡された。 |
… | 4岸田首相へ爆発物が投げ込まれた事件から1年 「菅生事件」を振り返るName名無し 24/04/18(木)17:35:53No.41380+一連の報道が1958年の第1回日本ジャーナリスト会議大賞に選ばれた際、受賞者の所属は大分合同新聞、大分新聞、福岡のラジオ九州(現・RKB毎日放送)、ラジオ東京(現・TBSラジオ)、共同通信という多岐にわたった。毎日新聞や朝日新聞も菅生事件報道に大きな足跡を残している。 |
… | 5岸田首相へ爆発物が投げ込まれた事件から1年 「菅生事件」を振り返るName名無し 24/04/18(木)17:37:47No.41381+なお、共同通信社会部の取材班には、後にジャーナリズム界のご意見番となる故・原寿雄氏がいた。原氏は自著「ジャーナリズムに生きて」(岩波現代文庫)の中で、特ダネには3つの種類があるとし、「発表を予定より早く抜くケース、時代が進むにつれニュース価値観が変わるため生まれるもの、記者が掴んで報じなければ社会に表面化しない情報」を挙げた。 |
… | 6無題Name名無し 24/04/18(木)17:48:15No.41382+ 1713430095052.jpg-(56635 B) 菅生事件 |
… | 7無題Name名無し 24/04/18(木)18:18:18No.41383+>菅生事件 |
… | 8無題Name名無し 24/04/18(木)21:37:03No.41389+ 1713443823973.jpg-(461575 B) 寺澤有 @Yu_TERASAWA |
… | 9無題Name名無し 24/04/18(木)21:37:58No.41390+寺澤有 @Yu_TERASAWA |